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《新・森田実の政治日誌》政治家は誇りを取り戻せ! 理念なき政治家・小沢一郎 http://www.asyura2.com/10/senkyo81/msg/338.html
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C06113.HTML 《新・森田実の政治日誌》政治家は誇りを取り戻せ! 理念なき政治家・小沢一郎 [以下は『月刊日本』2010年3月号に掲載された私のインタビューです] 「人間は一人一人を見ると利口で分別ありげだが、集団をなせばたちまち馬鹿になる」(シラー) 兵馬俑を髣髴とさせた民主党議員の無表情 −− 結局、小沢一郎幹事長は不起訴となったが、説明が足りないという批判を受けている。問題は、民主党の党内から批判の声が上がってこないことだ。 森田 民主党議員が小沢さんを批判できないことは、深刻な問題だ。旧知の民主党議員も、「民主党内は誰もモノが言えない雰囲気だ。党内の空気は異様に重い」と語っている。 実は、2月に私は民主党の勉強会の講師を務めた。私が、小沢さんを激しく批判していることを承知の上でだ。百数十名の国会議員がいたと感じた。私が直接知っている議員もいたが、私が挨拶しても皆無表情なのに驚いた。私を警戒していたのかもしれないが、目にも光がなく無表情だ。たくさんの表情のない民主党議員の顔を見ていて、私は二十数年前に中国で見た光景を思い出した。それは、陝西省にある、秦の始皇帝の陵墓の周辺に埋納された兵馬俑だ。このとき、私は、小沢氏は独裁者になった、「小沢始皇帝」なのだ、と実感せざるを得なかった。同時に、ドイツの詩人シラーの次の言葉を思い出した。「人間は一人一人を見ると利口で分別ありげだが、集団をなせばたちまち馬鹿になる」。皆、小沢一郎支配の呪縛にとりつかれているように感じられた。 民主党は衆院300議席を上回る大政党になり、政権をとったが、そのとたんに「言論の自由」をなくし、非民主主義的な一枚岩の政党に変質してしまったのである。ほとんどの民主党議員が小沢幹事長を恐れ、または小沢幹事長にゴマをするだけの小沢チルドレン化し、小沢さんに追随することしか考えていない。自分の頭で考えることかできず、自立した政治家になれないような自立心なき弱い人間は、政治家になるべきではない。民主党がそんな弱い、根性のない人間ばかりだという現実をみるのは淋しいことである。 大部分の議員は、選挙において有権者に名前を書いてもらって当選した。選んでくれた有権者、国民のことを考えるよりも小沢幹事長のことを第一に考えるなどということはあってはならない。それは、国会議員になったことを否定することだ。小沢さんへの追従を支えているのは恐怖心だ。恐怖心で追従するような政治家は、いまの日本は必要としない。そんな政治家が国民から支持されるはずはない。 小沢氏には、「ジキル博士とハイド氏」の二面性がある −− 民主党への政権交代をいまどのように評価しているか。 森田 鳩山政権は、総選挙の結果によってそのまま誕生した、戦後の日本政治上希有な例であり、国民の期待感も非常に大きかった。しかし、新政権を担った勢力には、国民の期待に応えられるだけの政治力も指導力も倫理力も知的能力もない。民主党は、政権を担うだけの政党に成長していなかった。新政権が何をするかを国民に、的確に示すことができなかった。明確な理念とビジョンがなかった。細かい政策はあるし、それをかき集めたマニフェストはあるが、その政策を貫く思想がない。理念なきマニフェストを金科玉条のように振り回し、それによって日本の政治か混乱を起こしている。 2009年8月30日の政権交代は、まるでレーニンとともにロシア革命を指導したトロツキーが言った「裏切られた革命」に似ている。小沢革命は、スターリンによって裏切られたロシア革命のように、「裏切られた革命」になった。 私自身、政権交代の必要性を主張してきた言論人の一人である。かつては小沢一郎を激励したこともあった。特に、「国民生活が第一」というスローガンで戦うことに私は賛成していた。だが、裏切られた。 私が小沢さんと初めて会ったのは、1980年代の半ばだ。以来前回の参議院選挙まで、インタビューの目的で度々会ってきた。しかし、この間私にはずっとすっきりしない感じがあった。さらに言えば、納得のいかないことがあった。小沢さんが持つ暗さの根が理解できなかった。ひょっとしたら「ジキル博士とハイド氏」という二面性を持っている政治家ではないか、と感じ続けていた。小沢氏の中に、いつも「強い私的なもの」、非常にエゴイスト的側面を感じていた。この暗い面を表に出さず、建前でうまくやっていくという裏と表の二面性だ。しかし、私はそれを証明する材料を得ることができなかった。小沢さんをよく知る人にも聞いてみたが、彼らは小沢さんの暗部について語ろうとはしなかった。結局、材料を得られなかった私は、小沢さんの明るい面のみを評価せざるを得なかった。小沢さんに非常に好意を持つ編集者の企画を受け入れて、『「小沢一郎」人門』という本を書いたこともあった。しかし、どうしてもある種の空しさを感じ続けてきた。 2007年秋、小沢さんが自民党との大連立に動いた時、私は国民が小沢さんに裏切られたと思った。参院選での「国民生活第一」の小沢公約は、参院選直後に小沢自身によって踏みにじられた。私は、自らの小沢研究の不十分さに気づき、ジキル博士的な側面だけを描き、ハイド氏的側面を記さなかったことに、激しい自責の念に駆られて小沢一郎批判を始めた。 小沢さんの大連立の仕掛けの目的は「国民生活第一主義」の実現ではなく、公約したこともない安保外交政策だった。彼は憲法改正を行わずに解釈改憲により集団的自衛権行使を容認する態度を示し、今なお修正していない。彼は、「国連決議」があれば、何でもするという国連至上主義を主張し続けている。小沢氏は、自分が政権をとり、、外交安保政策を決定する立場に立ったら、ISAF(国際治安支援部隊)に参加すると、『世界』(2007年11月号)で明言した。ここに小沢さんの外交・防衛理論の危うさがある。 倫理の回復には100年かかる −− カネにまつわる小沢問題をどら考えているか。 森田 今回の小沢疑惑で、小沢さんの「ジキル博士とハイド氏」の二面性が証明された。政治家は、政治献金は国民がいい政治をやってほしいと願って出すものであり、それは神聖なものと見なければいけないはずだ。その政治資金で多くのマンションなどの不動産を買い漁るなどということは、まともな政治家の為すべきことではない。真面目な政治家の魂を持っている人間のやることではない。小沢氏の政治資金による不動産買い漁りが事実だということを確信したことで、私の小沢観は根本から変わった。許せぬ政治家となった。 政治活動は政治倫理に基づいて行われるべき人間の活動であり、政治資金は純粋な政治活動のために使われるべきである。将来、個人資産と同様に親族に相続される可能性のある土地・不動産の取得に、政治資金を使うべきではない。これは政界の常識でなければならない。小沢氏以外のほとんどすべての政治家は、この常識を守ってきた。 −− 今回の小沢疑惑をめぐっては、検察に対する批判もある。 森田 もちろん検察にもいろいろ問題はある。無実の人を罪人とした責任は問われて当然である。しかし、追及すべき相手が政界の大御所的存在である小沢さんだからということで手を抜いたとすれば、むしろこの方の罪悪の方が大きいと言わねばならない。昨年3月3日の、西松建設の問題での大久保隆規秘書逮捕に対して、小沢民主党政権誕生の阻止のために検察が勣いたという議論が展開された。民主党政権阻止のために小沢をつぶさなければならないと発想する検事が検察内部にいて、その意図でやったとすれば到底許されることではない。陰謀の可能性もないとはいえないかもしれない。しかし、私は捜査自体には問題はなかったと思う。企業内の対立から偶発的に検察に資料が入ったという報道が本当なら、検察が強制捜査に入るのは当然だと思う。政治的な影響の大きさを勘案して捜査を見送るようなことをしてはいけない。 −− 小沢氏は、田中角栄の系譜にある人物だ。 森田 私がフリーになったのは田中内閣の時代だった。田中派を取材して感じたことは、田中派の人たちは、例外はあったが、多くの人はとにかく人がよくて、庶民的だということだった。田中さんも非常に人がよかった。人のよさが田中さんの魅力だった。しかし、カネで人の心を買って味方につけていたことには疑問を持っていた。政治の理念よりもカネの力に頼った。カネの力で人の心を買うというやり方が、田中さんの成功で広がってしまった。それが、田中的なものとなり、自民党的なものとなった。しかし、普通の政治家はカネがない。田中のマネはできなかった。カネがあるのは今では小沢・鳩山の二人だけだと思う。 田中さんは、カネを集めるのもうまかったが、配るのは天才的と言われたほどうまかった。人間のスケールが大きく、カネ配りは名人芸ともいうべきうまさがあった。気配り、目配り、カネ配りに情があった。これが角栄流だった。だが、小沢さんの場合は徹底的に合理主義であり訂算ずくである。カネの配り方に違いはあるが、カネで権力をとるやり方は同じだ。 政治家には、高い倫理が要求される。経済は破綻しても30年から50年で立て直すことができるし、政治の再編成はもっと短期間でできるが、国民が倫理を失ってしまったら、それを取り戻すのに100年はかかる。 国民が政治家を倫理の点で信用できなくなったら終わりだ。有名な話だが、孔子は弟子の子貢から政治の要諦をたずねられ、「食を足し」(経済)、「兵を足し」(軍備)、「民これを信ず」(国民の信頼)と答えた。子貢が、三つのうち、やむを得ず一つ除くとしたらどれを除きますかと問うと、孔子は言下に「兵を去れ」と答えた。さらに、もう一つ除かねばならないとしたら、どちらを捨てますかと間うと、孔子は「食を去らん。古より皆死あり、民信なくんば立たず」と答えたという。政治家に対する国民の信頼が失われれば、国家は滅びるということだ。この孔子の教えは、今の時代にも有効だと思う。 理念なき政治家・小沢一郎 森田 いま、政治家としての在り方が問われている。これは、小沢さんだけの問題ではない。政治家全体の問題であり、かつての自民党政治の問題であるとともに今の民主党の問題でもある。アリストテレスは『ニコマコス倫理学』で、人間の職業を政治家的職業、実業家的職業、学者的職業の三つに分類した。それぞれの分野において、それが失われたらその職業が成り立たないものがある。「政治」においては「誇り」、「実業」においては「利益」、「学者」においては「理想」である。政治家が誇りを失ったら、政治家という職業は成り立たないのだ。 ところが、戦後わが国は経済だけを優先し、政治国家であることをやめ、また自分の国を自分で防衛するという考え方を捨ててしまった。アメリカに依存し、経済的利益だけを追求してきた。それでも戦後30年間は、経済人にも高い理想があった。経済人の中に政治家的発想、学者的発想が残っていた。したがって、経済人は単なる経済人ではなく、政治家的誇りと学者的理想を持って行動していた。 しかし、戦後30年を経た頃から、経済人から政治家的誇り、学者的理想が失われ、経済的利益だけを追求するようになった。価値判断基準は経済的利益だけという状況になった。この経済的利益最優先主義は、政治家と学者の精神をも支配した。政治家の変化は著しかった。1980年代以後、私が政治家に何か言うと、時に、「それは私にとって損ですか、得ですか」と聞かれるようになり、はじめ私は衝撃を受けた。その頃からアメリカもイギリスも自由競争主義、新自由主義の方向に変わり、その影響が全世界に広がった。「自分さえよければ主義」、ミーイズムが大多数の人々の精神を侵した。 こうして、経済人だけではなく、学者も政治家も自分にとって「損か得か」を基準にして物事を考えるようになった。法の精神、政治本来の理想が薄れ、道義の退廃をもたらした。自民党だけでなく、いくつかの政党にも「損か得か」の発想が強まった。自分を犠牲にして社会のために尽くすといった誇りを持った政治家たちは急激に減っていった。この結果、多くの国民は政治家に愛想を尽かした。自民党政権の最後に麻生首相が「上から目線」の代名詞となり、そして自民党政権は滅びた。 −− 小沢さんは権力を握って何をしたいのか。 森田 小沢研究をしてきて気づいたことがある。小沢さんは戦術家ではあるが、戦略家ではない。駆け引きや、選挙に勝つ技術は優れている。小沢さんは、勝って何をするかという理念や理想を持たないまま、権力闘争に勝つことだけを自己目的化して政権をとった。小沢さんと深く付き合った人々に聞くと、小沢には「信念」とか「理念」と言うべきものをほとんど感じなかった、という。あるのは敵を倒すための過剰な闘争心と戦術だけである、という。小沢氏さんは常に戦いと勝利を求めている政治家ではないかと思う。「政権をとって何をしたい」という理念らしきものはなく、より強い権力をもちたい、政敵に勝ちたい、自分への反対者を許さない、という権力欲だけの権謀術数型の政治家と見てよいと思う。 小沢さんは、晩年のスターリンや毛沢束、ロッキード事件後の守りに入った後の田中角栄に近いと思う。とにかくすべて目的は戦ってライバルを倒すことであり、「政治的報復」であり、反対派を粛清することである。小沢さんはこのためにより強い権力をもちたがるのだ。 脱「小沢・鳩山」革命が中心課題だ! −− 民主党の外交についてどうか。 森田 小沢さんが、たくさんの民主党国会議員を引きつれて訪中し、国会議員一人一人が胡錦濤中国国家主席に握手し、一緒に写真撮影してくれるよう頼んで行ったということは、誇りを失った恥ずべき行為だ。 日本外交にとって最も重要なアメリカとの関係も混迷を深めている。鳩山政権の幼稚な外交は目にあまる。もちろん、日本が従来のアメリカとの関係を修正して自立することは重要な課題である。ただし、外交関係の修正は丁寧に粘り強く、相手国を傷つけないように慎重に行うべきことである。また、礼儀正しい筋の通った交渉をする必要かある。重要な外交交渉は後世から見て恥じることないようなやり方で行わなければいけない。そのためには、まず日本自身がしっかりすることが先決である。 今回の小沢不起訴をめぐって、驚くべき情報が駆けめぐっている。あくまで噂であるが、多くの人々が信じている。アメリカの関与とアメリカとの取引があったという噂である。私は、科学的に政治分析をする立場なので、証拠のない推測は信じないことにしている。しかし、こうしたことが多くの人に信じられていることは、アメリカに支配されているという気持ちが多くの国民の中にあるからだろう。日本の政治の自立が必要である。 −− 鳩山政権に期待できないとすると、どのような選択肢があるのか。 森田 小沢・鳩山体制は長く持たないだろうが、次の総選挙までは民主党政権は続くだろう。まずは、民主党内での民主主義革命に期待したい。私は、民主党内で反小沢革命が起こることが必要だと思っている。言論の自由のない政党に政権を任せるわけにはいかないのである。それができない時は、自民党が自己改革をして立ち直るか、第三勢力の登場を待つしかない。知事や大都市の市長には優れた人材がいる。彼らが団結して第三の勢力を形成すれば、第三極に発展する可能性がある。 すでに、参議院選挙を控えて水面下では動きも出てきている。脱「小沢・鳩山」革命が、政権交代後の日本政治の中心課題である。これを為すのが、民主党の新勢力か、自民党か、第三勢力か、新同盟か。ここに日本の政治の再生がかかっている。
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