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政権交代を政治とカネに、目くらましに惑うムラ社会 http://www.asyura2.com/10/senkyo80/msg/539.html
昨春の西松献金事件は、「国策捜査」とも言われ、政権交代から国民の関心を政治とカネにすり替える、政治テロの役割を果たした。民主党は、企業団体献金の全面禁止を提案し、小沢代表は政権交代を優先して辞任し、鳩山内閣が発足している。政権交代を選択したのは、国民だ。 ところが野党やマスコミは、その底流を掘り下げず、八ッ場ダム、事業仕分け、普天間移設、郵政人事、石油税暫定税率、天皇と習近平中国副主席の会見問題に加え、小沢・鳩山の政治とカネで、ネガティブキャンペーンを繰り広げている。政権交代の反動で、その主役二人に、抵抗勢力による政治テロが行われているのだ。 政治とカネを始め、こうした小沢・鳩山タタキは、政治的なイジメ、国民主権・民主主義への攻撃に他ならない。小沢は、民主党大会で東京地検の手法を、民主主義への攻撃と指摘した。野党やマスコミの小沢・鳩山攻撃は、それを選択した国民に向けられている。 こうして鳩山・小沢への不信がつくられ、世論調査などで流布された。だが 米調査分析会社、ユーラシア・グループは、今年注目すべき世界の指導者10人を公表。民主党の小沢一郎幹事長は中国の温家宝首相、米国のバラク・オバマ大統領に次ぐ3位で、世界的にも注目されている。日本の世論と、何故違うのか。 政治とカネとムラ社会、そこには歴史的に形成された日本のムラ社会を、イジメや閉鎖性など負の側面に収斂し、武家支配から官僚主導への移行、侍ジャパンなど武士道の歴史的な継承がある。また政治とカネでは、法を守る検察への”暗黙の信頼”がある。それは、お上依存と表裏で、戦前からの集権体制に根源がある。 政権交代は、明治維新・敗戦と並ぶ改革と言われる。歴史的に形成されたムラ社会は、イジメや閉鎖性など負の側面に矮小化され、武家支配から官僚主導への移行、侍ジャパンなど武士道の受容を、曖昧したまま放置してきた。皇国史観・マルクス史観の一方で、富国強兵と高度成長を重ね成功神話を語る司馬史観が、テレビ「坂の上の雲」で映し出されている。 日本の社会は、稲作農耕文化を軸に、双系の継承的な家族と水利・林野共同体で担われてきた。イジメの発生、閉鎖性など負の側面だけを見てはならない。ムラ社会を光と影の複眼で、また歴史の流れから、その屈折を見れば、本来の日本社会の特質とチェンジの方向が明らかになる。それは、政権交代とムラ社会の土台にある問題である。 中国は古来、アジアで中華文明圏を築いてきた。これに日本、朝鮮半島、東南アジアは、周辺国として関わってきた。そして大航海時代から西欧文明との交流が加わり、21世紀を迎えている。 遡るが万葉の歌人山上憶良は、百済からの渡来人という説がある。古代から日本社会は、開放的で、漢字と仮名の日本語をつくりだした。聖徳太子の十七条憲法は「和を以て貴しと為し…」、天正少年使節は西欧に中世の安土桃山文化を伝え、坂本龍馬の船中八策は近代日本を描き、戦後の憲法には国民主権が書かれている。 また日本は、元寇や倭寇を別として、足利義満の金閣寺建立、朝鮮通信使来訪など、大陸と交流の歴史を刻んできた。だが秀吉の朝鮮出兵と日清戦争以後は、「和」の日本が「恨」や「仁」の大陸を侵攻し、支配する過ちを犯している。その根っこにあるのは、武家と統帥権でそれを受け継いだ官僚の政治だ。 本来、武家は、開発地主であった。開墾した農地と住民を守るため武装し、本領安堵のため主君に隋身した。だが太閤検地と石高制・刀狩りで兵農が分離し、天下布武は、文禄・慶長の役に行き着いた。武力は、自衛と侵略の両面を持っているのだ。 これに学ばず、明治維新の指導者たちは、列強の植民地支配から自国を守るため、先進国に仲間入りする道を選んだ。そして富国強兵は、敗戦につながっている。戦前の統帥権を抱えた政治体制は、敗戦に当たって誰も戦争の責任を取らず、原因を明らかにしないで歴史問題を現在に残しているのだ。 今も日本の近代化を、成功とする神話が語られるが、それはイジメを受けないため、イジメの側に仲間入りするのと変わらない。孫文は、1925.12.28「大アジア主義」の演説で、「日本は、西洋覇道の鷹犬となるのか東洋王道の干城となるのか」と問うている。 本来開かれた日本の社会は、鎖国・太閤検地・石高制で、近世は武家統治の重農主義に、維新の版籍奉還・地租改正で近代は富国強兵の集権国家に、その官僚体制を敗戦で三割自治に継承し、対米追随の経済大国に歪めている。中世の文化と社会は、日本の原点と言われるが、鎖国・明治維新・敗戦で、歴史の流れが屈折しているのだ。 日本は、首相の靖国参拝、歴史教科書、領土問題を超えて、自らの「国のかたち」を、歴史的に総括する必要がある。また富国強兵と貿易立国・経済大国の背景には、農村の貧困と懐の狭い国内市場がある。平和には、貧困の打開、仕事と暮らしの安定が不可欠なのだ。 日本の社会は、イエ家族を核にしたムラ集落共同体で構成され、生活文化を担ってきた。平成の政権交代は、国民主導、生活第一、地域主権の国のかたち構築の一里塚と捉えたい。 官僚の裁量行政は、検察だけではない。戦前の統帥権を抱えた政治体制は、敗戦に当たって誰も戦争の責任を取らず、歴史問題を現在に残している。足利事件など、えん罪事件も根っこは同じだ。 国会やマスコミの論議も、法の解釈を裁量している。予算には決算・会計検査の検証があるが、立法後の行政は、政令を始め裁量に任されているのだ。調書を取るのは、警察・検察に限らない。税務署・労働基準監督署など多岐に亘っている。 官僚主導とは、裁量行政を主権者国民の上に置くものだ。教育基本法と文科省の指導要領を思い起こす。現職の首相、立法府議員の鳩山が、検察に「上申書」を書き、不自然と思う人は少ないのではないか。根は深く、国会に、法と裁量行政を検証する仕組みが必要だ。取り調べの可視化も、弁護士の同席義務化も対症療法に過ぎない。 政治の説明責任は、政治とカネに矮小化してはならない。先日の朝日新聞で、山口二郎は、司法の場ではなく、政治の場の闘いを求めていた。天皇と習近平中国副主席の会見では、羽毛田信吾宮内庁長官の発言を、小沢民主党幹事長が批判した。これに野党とマスコミは、憲法解釈を含め、天皇の国事行為から政治利用として反論を加えた。 憲法の条文は、その成立の歴史からも国民に身近なものではない。だが自然に一読し条文の流れから全体を捉えれば、象徴天皇と国民主権は政治体制そのものである。この象徴天皇制に、羽毛田長官が、非政治性、中立性・公平性という抽象的な政治概念を組み入れることこそ、恣意的な政治利用、官僚の政治介入なのだ。 繰り返すが本来開かれた日本のイエ・ムラ社会は、鎖国・太閤検地・石高制で、近世は武家統治の重農主義に、維新の版籍奉還・地租改正で近代は富国強兵の集権国家に、敗戦で三割自治を継承し対米追随の経済大国に屈折した。平成の政権交代は、国民主導、生活第一、地域主権の国のかたち構築の一里塚と考える。 この官僚主導体制を、どうチェンジするのか。政治は、国の舵取りだ。政治主導は、官僚の裁量行政に対し優位に立たねばならない。議会制民主主義下の政治と法律、行政・立法・司法は、三権分立に加え三位一体で結ばれ、立法が最上位にある。国権の最高機関は、議会であり、議員を選ぶ国民の主権が基礎にある。 また政権交代に、国民が期待するのは、国民主導・生活第一・地域主権の日本再生だ。事業仕分けは、その一歩に過ぎない。普天間移設・東アジア外交と共に、コンクリートからヒトへや、新成長戦略の中身が問われている。 太陽光・小水力・バイオマスなど自然エネルギーの活用、固定価格買い取り制度の拡充と、農林漁業・地場産業再構築の設計図が必要だ。政府・与党は、選挙区に立ち住民と語ることから、全てが変わる。そして野党にも、チェンジが及び、ムラ社会は「新しい公共」に進展する。 42歳の知り合いの女性は、テレビで小沢に接し、人間としての生き方に学び励まされ、健康な様子に安心すると言う。81歳の無党派の私も、支持者を前に「毎度お騒がせしています」と語る、小沢の笑顔に日本の未来を託している。
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