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保守論壇は、何故、かくも幼稚になったのか?(魚の目)【人は自分というプリズムを通してしか人の話を聞かないし理解できない】
http://www.asyura2.com/10/senkyo80/msg/515.html
投稿者 アルカディア 日時 2010 年 2 月 15 日 02:06:01: jjR5cYzLvBZKE
 

http://uonome.jp/feature/sougan/gekkannippon/277

保守論壇の「沖縄集団自決裁判」騒動に異議あり!!!
……保守論壇は、何故、かくも幼稚になったのか?   
山崎行太郎

■保守論壇は、何故、かくも幼稚になったのか?
昨年末の、「沖縄集団自決」において「軍命令」があったか、なかったか……を争う大江健三郎の『沖縄ノート』の記述をめぐる名誉毀損裁判に、訴えられている側(被告)のノーベル賞作家・大江健三郎が大阪地裁に出廷し、被告として証言したことから、この「沖縄集団自決裁判」問題が、マスコミや論壇だけではなく、教育界や政界をも巻き込んだ形で、あらためて話題になっているが、私も、かつて青春時代に決定的な影響を受けた大江健三郎という作家が被告として法廷に立つということでちょっと興味を感じ、遅ればせながらこの裁判の資料や大江健三郎の『沖縄ノート』、あるいは曽野綾子の『ある神話の背景』などを読み進めて行ったわけだが、読み進めて行くうちに、私はすっかりこの問題に魅入られてしまった。というのも、実は私は、自分の父親が、かつてすでに妻子持ちでありながら沖縄の「南大東島」に出征し、末期の沖縄戦に参加、沖縄全滅という噂から、ほぼ生存は絶望と言われながらも、病身を引き摺りながら、命からがら生き延びて帰還したという話や、薩摩半島の奥地に疎開していた母親が、米軍が薩摩半島南端の枕崎方面に上陸するのではないかと言う噂が流れたために、米軍機が飛来するたびに、乳飲み子を抱えながら、さらに山奥の避難所へ逃げ込むということを繰り返していたという、まさに沖縄集団自決の現場を連想させるような話を思い出し、この問題が、他人事ではないと実感しつつ、あらためてこの問題に深入りすることになったからだ。というわけで、すでに、この問題については、本誌の前月号(「月刊・文藝時評」)でも簡単に触れているが、しかし、そこでは紙数の制限もあり不充分な発言しか出来なかったわけだが、幸いにも本誌編集主幹より今月号の誌面をあらためて提供され、さらにこの問題に関して詳しい私見を述べよ、という申し出をいただいたので、批判や反論を覚悟の上で敢えて再論する次第である。
さて、日頃の私の「保守反動的」な言論からは意外かも知れないが、私は、「沖縄集団自決裁判」に関しては、多くの留保をつけた上でだが、原告側の旧帝国軍人や曽野綾子の主張よりも、本質的には大江健三郎の主張を擁護する立場に立っている。保守派を自称していながら、何故、左翼作家・大江健三郎を擁護するのか、と疑問に思われる方も少なくないだろうが、以下に私が書こうとしていることで、その疑問は解けるはずである。
今回、青年時代の読書体験を思い出しつつ『沖縄ノート』をあらためて熟読し、さらにそれを批判して、今回の裁判の切掛けになっている曽野綾子の『ある神話の背景』(『「集団自決」の真実』に改題、ワック)をもあらためて熟読、そしてその上で、保守論壇やその周辺で展開されている「大江健三郎批判」の言論をも読み較べてみたわけだが、そこで保守論壇に蔓延している「曽野綾子神話」と、「曽野綾子神話」を前提にした「大江健三郎批判」の無知無教養と論理的な出鱈目さに、私は、自称とはいえ保守反動派を自認しているにもかかわらず、愕然とした。愕然とした理由は単純である。それは、保守論壇の面々が、大江健三郎の『沖縄ノート』や曽野綾子の『ある神話の背景』をまともに読むこともせずに、噂話や伝聞を根拠に付和雷同しつつ気軽に議論しているという事実と、そもそもこの裁判は、『ある神話の背景』を書いた曽野綾子の「誤字・誤読」事件から、つまり大江健三郎が書いた「罪の巨塊」を「罪の巨魁」と誤読した事件……から始まっているという事実を発見したからである。さらに付け加えるならば、「曽野綾子神話」の根拠になっている曽野綾子の「現地取材主義」や事件当事者達への「直接取材主義」なるもの歴史的実証性に疑問を感じ始めたからである。そして、問題はむしろ、曽野綾子の発言や著書を正確に読むことを怠り、曽野綾子経由の歴史資料や伝聞情報を、言い換えれば一種の「曽野綾子神話」を、盲目的に信奉して議論している保守派や保守論壇の知的退廃と思想的劣化現象にこそあるのではないか、と私は考えるようになった。私は、政治的にも思想的にも、青年時代以来一貫して保守派や保守思想を支持しているつもりだが、しかし、明らかな誤解や誤読、あるいは無知無学、あるいは勉強不足に基づく、思想的レベルの低い堕落した保守思想や保守理論までをも擁護し、支持するつもりはない。むしろ、「愚かな保守からよりも、優秀な左翼から学ぶべし」というのが私の長年の持論である。というわけで、誤解を恐れずに、敢えて言わせてもらうならば、以下は、自称・保守派からの保守論壇批判であり、保守思想批判であり、より具体的に言えば、保守論壇に無批判的に受け入れられている「曽野綾子神話」への批判である。

■『ある神話の背景』は歴史的実証性批判に耐えられるか?
さて、渡部昇一の文章には、実はもう一つの問題点がある。それは、

 ≪そして曽野綾子さんが足を使って綿密な取材をした結果、ついに赤松大尉が集団自決」命令をしたという事実はどこからも出てこなかったのです。≫

と書いている部分で、渡部昇一は、曽野綾子の『ある神話の背景』の登場で「沖縄集団自決」に関するすべての問題が一挙に解決したかのように錯覚し確信しているようだが、むろん錯覚である。後述するように『ある神話の背景』はなかなか面白い本だが、歴史的実証性という点では問題だらけの本である。
 『ある神話の背景』を熟読して行くと、曽野綾子が自慢する沖縄渡嘉敷島の現地取材による情報はあまり多くなく、ほとんどの重要な情報や資料や文献が、生き残った赤松隊長や赤松部隊関係者からの聞き取り情報や、赤松隊作成の『陣中日誌』であることがわかる。たとえば、曽野綾子は、沖縄の取材先の現地の旅館で、「手榴弾配布」を最初に証言した当時の兵事主任・富山真順という人物から取材していることが明らかになっているが、富山真順の名前は『ある神話の背景』には一回も登場せず、しかも後に、家永教科書裁判の法廷では、「そういう人物は知らない」と嘘の証言までして、富山真順との接触を否定しているが、その理由は、富山真順が、曽野綾子の取材に対して、「軍命令はあった……」に近い証言、つまり自決用の「手榴弾が配られた……」という証言を行ったからだと思われる。富山真順は、証言者としてはかなり問題のある人物らしいが、少なくとも法廷でこう証言しているのは事実だろう。

≪玉砕場のことは何度も話してきた。曽野綾子氏が渡嘉敷島の取材にきた1969年にも、島で唯一の旅館であった『なぎさ旅館』で、数時間も取材に応じ事実を証言した。あの玉砕が、軍の命令でも強制でもなかったなどと、今になって言われるとは夢にも思わなかった。事実がゆがめられていることに驚いている。法廷のみなさんに真実を訴えるためにも、わたしの証言を再確認する次第である。≫

 曽野綾子が「会ったこともない」「知らない」と言う人物の証言である。それにしても、曽野綾子は、何故、富山真順との接触さえ否定するのだろうか。むろん私がここで確認したいのは、富山真順が嘘を言っているか曽野綾子が嘘を言っているかというようなことではなく、二人が取材を通じて接触したという事実である。いずれにしろ、当然のことだが、曽野綾子が、自分に都合のいい資料やデータだけを収集し、富山真順証言のような都合の悪い情報は排斥した上で、沖縄戦の歴史を記述しようとしていることは明らかだろう。逆に、曽野綾子が決定的な資料として頻繁に引用し、議論の根拠として活用しているのが赤松隊員の一人(谷本小次郎)が、戦後になって書き上げた『陣中日誌』という資料であることも、『ある神話の背景』を熟読するまでもなく明らかであろう。しかし、この『陣中日誌』は、赤松隊が「沖縄集団自決」の当事者としてマスコミに大きく取り上げられ、世間の批判や非難の目が、赤松隊長や赤松隊隊員に向けられていた頃に書き上げられ、昭和45年に、赤松隊員や曽野綾子等に配布されている。むろん、執筆者は赤松隊員であり、戦闘の現場にいた当事者なのだから、『陣中日誌』の内容がまったくのフィクションということではないだろうが、そうだからと言って、曽野綾子のように、これこそ決定的な歴史資料の出現であると即断するもの問題だろう。この『陣中日誌』とは、いわば、赤松隊長や赤松隊員の「名誉回復」という目的をもってまとめられた、一種の政治的な意図をもった「謀略文書」の一つなのであって、純粋な意味での『陣中日誌』ではない。しかるに曽野綾子は、沖縄タイムスの『鉄の暴風』などに関しては、かなり辛辣な「資料批判」を展開し、「伝聞情報」を元にしているが故に資料的価値はないと断罪しているわけだが、この『陣中日誌』に対しては、そもそも資料的価値があるのかないのか、というような物書きとしての初歩的な疑いすら持たず、これぞ最後の決定的な資料と確信(錯覚)し、全面的に信頼し依存した上で、沖縄側の資料やデータ、証言を批判、罵倒する論拠として活用しているが、しかし実は、この『陣中日誌』には明らかな加筆修正があることがわかっている。曽野綾子の『ある神話の背景』の中で、赤松嘉次自身が加筆の事実を告白しているのだ。沖縄現地の少年をスパイ疑惑で処刑した話の部分である。

≪「実を申しますと、陣中日誌にを主に書きました谷本(候補生)も、私も、そのことについては、まったく、この前沖縄へ慰霊祭に行くまでは知らなかったんです。(中略)ちょうど陣中日誌の印刷準備にかかっていた時でした。その事実がわかった以上、いくらこちらの記憶にないことでもいれねばいかん、ということで、谷本が後から付け加えたのですが、……」≫(『ある神話の背景』)

 この赤松発言は重大である。というのは、この赤松発言によって、一切の加筆も削除もないという『陣中日誌』の歴史的実証性に疑問が出てくるからだ。ちなみに、『陣中日誌』の執筆者(谷本小次郎)は、次のように、『陣中日誌』の中に書いているのだ。

≪(前略)私、本部付として、戦闘詳報、命令会報を記録し、甚だもつて僅かの戦闘のみしか参加せず、誠に汗顔の至りでございますが幸いに、基地勤務隊辻正弘中尉殿が克明に書き綴られた本部陣中日誌と第三陣中日誌(中隊指揮班記録による四月十五日より七月二十四日迄の記録、第三中隊長所有)を資に取りまとめ、聊かの追加誇張、削除をも行わず、正確な史実を世代に残し、歴史は再び巡りて精強第三戦隊たりと誇れることを念願します。(中略)戦死の概況は記述調査官により、復員時援護局へ提出済のものであります。以上の如く沖縄現地に在る渡嘉敷戦闘概要は、全く史実に反し記述しあることを、現地の村民の方々からも聞き及んでおります。 昭和四十五年八月十五日 元海上挺進第三戦隊本部付谷本小次郎≫

 そもそも、「聊かの追加誇張、削除をも行わず……」とわざわざ書き加えて弁解しなければならないというところに問題がある。つまりこれは、明らかに自作自演の戦後版『新訳・陣中日誌』なのである。僕は、この『陣中日誌』の中身や、谷本小次郎の「断り書き」が「嘘」で「虚偽」だと言うつもりはないが、逆にここに、「嘘」や「虚偽」、あるいは「書き換え」や「書き加え」「削除」はいっさいないと言いきることもできないだろうと思う。谷本が、「基地勤務隊辻正弘中尉殿が克明に書き綴られた本部陣中日誌と第三陣中日誌……」「を資に取りまとめ……」と書いていることからも明らかなように、谷本執筆の『陣中日誌』は第一次資料ではなく、「昭和四十五年」の時点で、第一次資料から引用・編集・再構成して出来上がった第二次資料であることがわかるだけでなく、さらに「以上の如く沖縄現地に在る渡嘉敷戦闘概要は、全く史実に反し記述しあることを、現地の村民の方々からも聞き及んでおります。」とあることからも分かるように、この『陣中日誌』の執筆意図が、赤松隊の「戦争犯罪」の自己弁護、自己正当化にあることは明らかであろう。ところが、この『陣中日誌』を手にした曽野綾子は、それを疑った気配はまつたくなく、逆に、執筆者である谷本小次郎の「但し書き(まえがき?)」を読んだ感想として、

 ≪これは唯一の、「手袋は投げられた」という感じの文章ではないだろうか。≫

と書いている。「手袋は投げられた」とは、決定的な資料が出たという意味だろうか。曽野綾子が、いかにこの『陣中日誌』という資料を全面的に信用し、そして依存している
かが解るだろう。いずれにしろ、この『陣中日誌』が、加筆修正の疑いから、客観的な歴史資料としてはあまり信用できないとすれば、この『陣中日誌』に全面的に依存している『ある神話の背景』も、そして「曽野綾子発言はすべて正しい」とする「曽野綾子神話」も、あまり信用できないということになるわけだが、むろん、保守論壇の面々で、こういうテキスト・クリティークに基づく問題提起をしたものは皆無である。

■「集団自決事件」の陰に「沖縄住民処刑事件」が……。
 曽野綾子は、不思議なことだが、赤松大尉や赤松隊を擁護し弁護するあまりに、赤松大尉や赤松隊の「戦争犯罪」めいた問題については、「批判的なこと」は一切書いていない。たとえば、赤松大尉や赤松隊が、沖縄現地住民や少年少女達を、「スパイ疑惑」や「密告の可能性」という理由から、次々と処刑・斬殺していったことを記述しているが、それらの斬殺事件はすべて戦時下でのことであり、法的にも許されるはずだ……とか、軍隊は住民を保護する存在ではなく、戦うことを第一義とする存在である、それ故に住民処刑もやむをえなかった……とかいうような論理で擁護しているが、私は曽野綾子のその強引な論理に何か腑に落ちないものを感じる。何故、曽野綾子は、赤松部隊を一方的に擁護し、弁護しようとしているのか。曽野綾子の目的は何か。私は、曽野綾子は、赤松嘉次元隊長や赤松部隊の隊員たちと、綿密な打ち合わせと情報交換した上で、『ある神話の背景』を執筆し、そして標的を大江健三郎に絞り、やがて裁判闘争へという戦略を練っていたのではないかと、疑っている。当然のことだが、「曽野綾子神話」を鵜呑みにして論理を組み立てている保守派の面々も、この「沖縄住民スパイ疑惑斬殺事件」には触れようともしない。おそら
くその原因は、曽野綾子の『ある神話の背景』を、彼等がまともに読んでいないからだろう。読めば誰だって、疑問に思うはずである。ちなみに私が、この「沖縄集団自決裁判」に関心を持ち、深入りして行く切っ掛けの一つは、この残酷な「住民処刑事件」を、『ある神話の背景』で読んだことだった。たとえば、『ある神話の背景』に、こんな記述があるが、これらの記述をどれだけの人が読んでいるのだろうか。

≪赤松隊がこの島を守備していた間に、ここで、六件の処刑事件があつた、といわれる。琉球政府立・沖縄資料編集所編『沖縄県史』によっても、そのことは次のように記されている。
一、伊江島から移住させられた住民の中から、青年男女六名が、赤松部隊への投降勧告の使者として派遣され、赤松大尉に斬り殺された。
二、集団自決の時、負傷して米軍に収容され、死を免れた小峰武則、金城幸二郎の十六歳になる二人の少年は、避難中の住民に下山を勧告に行き、途中で赤松隊に射殺された。
三、渡嘉敷国民学校訓導・大城徳安はスパイ容疑で斬殺された。
四、八月十五日、米軍の投降勧告に応じない日本軍を説得するために、新垣重吉、古波蔵利雄、与那嶺徳、大城牛の四人は、投降勧告に行き、捕えられることを恐れて、勧告文を木の枝に結んで帰ろうとした。しかしそのうち、与那嶺、大城の二人は捕えられて殺された。
五、座間味盛和をスパイの容疑で、多里少尉が切った。
六、古波蔵樽は家族全員を失い、悲嘆にくれて山中をさまよっているところを、スパイの恐れがあると言って、高橋軍長の軍刀で切られた。≫

 私は、いかなる理由があるにせよ、これだけの「住民処刑事件」を引き起こしながら、名誉回復を目指す赤松嘉次元隊長や赤松隊隊員、あるいはそれを支援する曽野綾子等の気持ちがわからない。私は、ここで被害者側の立場に立って、斬殺された少年少女たちが可愛そうだ……と言いたいわけではない。むしろ逆に、これだけ残虐な住民処刑を軍法会議にかけることもなく次々と実行した赤松部隊が、それでも、自分達は悪くない、名誉回復をして欲しい……と裁判に踏み切ったという精神構造が、私には不可解だと言いたいのである。名誉を重んじる帝国軍人ならば、黙って死んで行くべきだったのではないか、というのが私の正直な感想である。
 さて、最後に、保守論壇にステレオタイプな物語として蔓延しているもう一つの話、「軍命令説」と「遺族年金」の問題についても言及したかったが紙数が尽きた。要点だけ簡単に記す。そもそも「軍命令説」なるものは、昭和25年の沖縄タイムスの『鉄の暴風』の段階で主張された説であり、「遺族年金」給付目的で「軍命令説」が創作・偽証されたのは昭和28年から31年頃にかけての話であって、遺族年金欲しさで、「軍命令説」がデッチ上げられたことが事実だったとしても、元々からある「軍命令説」には何の関係もなく、「遺族年金」をめぐる証言で、「軍命令説」はすべて破綻したとは言えないのだ。「遺族年金」証言を振りかざして大騒ぎする保守論壇の面々こそ、哀れである。

「月刊日本」2008年2月号より転載


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古いですがあえて乗せてみました。検索はしましたが既出であれば申し訳ありません。

曽野綾子などを根拠に発言するなんてあまりりに馬鹿すぎ。大江健三郎も認めているわけではないのですが。
取材をいくらしようと論拠が取材によっているとはいえないのは当たり前あえて隠してるとは言わないが。
人は自分というプリズムを通して理解をし、発言するもの。  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2010年2月15日 02:36:14
カトリックを自称する曾野綾子。

笹川良一の跡目として日本財団やボート博打利権を受け継ぎ、
二重国籍のくせにペルーの大統領に就いたアルベルト・フヒモリが
テロ主犯として指名手配になれば、彼を自宅に匿った女。

曾野綾子はメイソンじゃないのか?
この女を「愛国者」だと信じて祭り上げているバカどもは、
自分が狂信売国奴になっていることすら気づかぬ「子羊」たちだ。


02. 2010年2月15日 05:09:02
ここのところ、どうも工作の仕方を変えてるようで(逆効果と気づいたのか?w)
あからさまに煽ったりせず、さらりと見当違いを書く連中が出てきた
曾野綾子の正体を少しでも知れば
「曽野綾子などを根拠に発言するなんてあまりに馬鹿すぎ」
などとは言えない
山崎行太郎氏の意見は真にヒューマニズムにあふれていて支持出来るものだ
俺は、世の中は放っておいても保守に傾くので
保守派は必要はないと基本的には考えるが、彼のような男がもっと出て
健全なリベラル対保守の構図になれば少しはマシな国にはなるだろうとは思う

03. 2010年2月15日 05:15:01
>>02補足
もちろん共産党や旧社会党のようなクズも必要ない

04. 2010年2月15日 05:20:26
>>03
>曾野綾子の正体を少しでも知れば
>。ヨ曽野綾子などを根拠に発言するなんてあまりに馬鹿すぎ」
>などとは言えない


曾野綾子の実像を知ればこそ、信頼の置けない人物だと判る。

>>03はキリスト教的グローバリストかな?

キリスト教のイデオロギー性を全面的に肯定して、その利益を
享受するという立場であれば、曾野綾子は有能な「使徒」(笑)
であろうし、皇族がクリスチャンで溢れても、それは世界平和の
ために大いにケッコウでありましょう。 そういう考え方も可能だと
いうことは認めるよ。 但し、文化の多元性をクリスチャニティーで
平準化してしまう危険性を懸念する立場からは、曾野綾子が
「右派」とか「民族派」の代弁者として祭り上げられているザマは
感心できないね。


05. 2010年2月15日 05:53:11
>>04
02だが多分スレ主だろうが君は何を言っているのか
俺は平たく言えば曾野綾子は笹川良一の娘で右翼のクソババアだと言っている
人に理解してもらおうと思えば、それも古い記事を持ってきてまで投稿するからは
それなりの書き方があろう
君のコメントでは君の政治姿勢、さらには何を言いたいのかすら分からん

「人は自分というプリズムを通して理解をし、発言するもの」
これは一見そのとおりに思える、善悪を単純に二元化出来ないという人もいる
しかし真実は一つなのだ、それを自分の都合のいいように捻じ曲げるのは
許されることではない
今回の小沢の件では、検察は悪であるそれだけのことだ

曾野綾子をはじめとする右翼はそれを平気でやってのける
山崎行太郎氏の批判は、そういうことだと認識している
で、その批判を評論すると言うことは どういうことかと言っている


06. 2010年2月15日 10:54:06
>>02さん

>>04さんは
オラッチではないですね。

>君のコメントでは君の政治姿勢、さらには何を言いたいのかすら分からん
理解してもらおうとか、説得しようとかと思っての投稿はしてないですね。

>しかし真実は一つなのだ
その通りですね。しかしながら真実とは分りにくく、見つけにくいもの。

あなたも、自分というプリズムを通しているように感じますが。違ってっているのならばオラッチのプリズムがきついのでしょう。

コメントの訂正です
>古いですがあえて乗せてみました。
古いですがあえて載せてみました。
変換ミスです。タイプミス/変換ミスが多くて申し訳ありません。


byアルカディア


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