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Re: ロッキード事件揉み消しを米政府に依頼した中曽根氏 | 永田町異聞 http://www.asyura2.com/10/senkyo80/msg/486.html
(回答先: ロッキード事件揉み消しを米政府に依頼した中曽根氏 | 永田町異聞 投稿者 choir 日時 2010 年 2 月 14 日 11:59:17) ロッキード事件の真実・おさらいロッキード事件について、ポイント的なものを挙げると。 1 証拠はすべて米国側にあり、米国側の証人を日本の裁判所に呼んで、偽証罪を適用することを前提にして証言させない限り、裁判そのものが成り立たない。 2 民間の航空会社が航空機の選定をする際に、政治家に職務権限は無い。 3 しかし、軍用機は別である。児玉誉士夫はCIAのエージェントで、ロッキード社のセールスマンだった。防衛庁が国産化を検討していた次期対潜哨戒機が、ロッキード社のP3Cに変更された。当時の防衛庁長官は中曽根康弘である。 4 最高裁は嘱託尋問調書には証拠能力がないとし、事実上の田中角栄無罪判決を下している。 5 内閣総理大臣は国家元首であり、国家元首が任期中に行った決定について裁判所が裁くことは出来ない。内閣総理大臣の決定は国家による決定、また国民による決定だからである。裁判官は国民の代表ではない。国会で追及するのが筋である。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=226338
児玉誉士夫に対し医師は睡眠導入剤・麻酔剤を注射し国会で証言できないようにしていた。その工作を行ったのが当時自民党幹事長だった中曽根康弘だったという。 「天野氏が、喜多村教授に、「何を注射するのですか」と聞くと、喜多村教授は「フェノバールとセルシンだ」と答えた。 数時間後、国会医師団が児玉邸に行き、診察した。 この喜多村教授による児玉への注射は、誰の意向だったのか? このような「陰謀」の黒幕は誰か? 平野氏は、中曽根康弘自民党幹事長(当時)と特定している。」
「ロッキード事件が発覚したのは1976年2月5日のことで、その日の毎日新聞夕刊一面は「ロッキードがワイロ商法」「児玉誉士夫に21億円」と衝撃的なニュースで埋まった。 その二面に三段格の目立たない不可解な記事が出ていた。なぜ、ロッキード事件が発覚したのか、それが謀略の本体なのだ。[ワシントン5日毎日支局]昨年夏の暑い日、ワシントンにある米上院外交委多国籍企業小委員会(チャーチ委員長)事務所に小包が届けられた。開けてみると、なんとロッキード航空会社の極秘書類がぎっしり詰まっていた。4日同小委員会はロッキード社の贈賄を裏付ける同社とアーサー・ヤング会計事務所の重要書類を含めた46ページの報告書を公表したが、これらの書類はほとんどがこの小包に入っていたと見られる。 (1973年のオイルショックの際、田中角栄は「米国はイスラエルだが日本は油だ」と言い、アラブ寄りの姿勢を示す。) 「キッシンジャー国務長官が血相を変えて来日した。 http://blog.goo.ne.jp/taraoaks624/e/f7b1ee98db495ad382c39ee9990d4d8a http://mugentoyugen.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-c5e9.html 「ロッキード事件は、その端緒がアメリカ上院の院外交委員会の多国籍企業小委員会(チャーチ委員会)によるロッキード社の不正献金の発覚であった。 「コーチャンらの証言の真偽の吟味ができない東京地検は、刑訴法上の起訴前の裁判官による証人尋問制度に名を借り、さらには検察官の持つ起訴猶予権を濫用し、アメリカの裁判所に証人尋問を嘱託して、コーチャンらに刑事免責を与えてその黙秘権を剥奪し(刑事免責を与えても証言しないと、そのことがアメリカの法律では罪となる)、証言させたのだった。 http://mugentoyugen.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-6bf8.html 「平野氏は、ロッキード事件で最も重要なポイントは、「日米司法取決」であり、この取決が、合法なのか違法なのか、それを検証するのが、同書を執筆した大きな目的の1つだったという。。 平野氏によれば、以下のようなことである。 当時の日本社会党の成田知巳委員長は、この取決について、日米間の国家機関を通じて決まったものであり、一種の条約であるにも拘わらず、関連資料の提供を捜査機関のみに限定するのは、三権分立を定める憲法違反である、と指摘した。 http://mugentoyugen.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-892f.html 「角栄の死後に最終結論が出た「丸紅ルート」の最高裁判決で、ロッキード社のコーチャンおよびクラッターへの嘱託尋問調書には「証拠能力がない」と判断された」要するに田中角栄氏は無罪と言うことである。
1976年に発覚したロッキード事件も、アメリカが田中角栄潰しのために仕組んだ陰謀である可能性が高い。ロッキード社は、全日空の旅客機に自社の「トライスター」を導入させるため、合計30億円のカネを日本政界工作に使ったといわれている。そのうち5値円を総理大臣だった田中が受け取ったとされ、田中は収賄容疑、外為法違反容疑などで逮捕された。 なぜロッキードが仕組まれた事件であるのか。ここにもまた、岸の盟友である右翼の大物・児玉誉士夫が介在する。ロッキードからのカネは、日本におけるその代理人であった児玉を通して分配されていた。児玉は「コンサルタント料」として個人で21億円のカネを受け取っていたといわれている。つまり30億円のほとんどは児玉個人に渡っているのだ。ところが、捜査やマスコミの関心は田中に流れた5億円ばかりに集中し、児玉が受け取ったカネについてはまったく解明が進まなかった。 実はロッキード社の狙いは旅客機ではなく、軍用機のほうにあったといわれている。ロッキードの日本側代理人である児玉は、岸や自民党の人物たちに働きかけ、ロッキードの戦闘機F−104を自衛隊機に選定させるよう工作を行なっていたのだ。 また、ロッキード社のP3C対潜哨戒機導入という大問題もある。当時の防衛庁長官だった中曽根康弘、官房副長官たった故・後藤田正晴などをはじめとする有力な自民党議員のほとんどすべてが、P3C導入をめぐって賄賂をもらっていたといわれている。 つまり、事件の本丸は民間機ではなくて軍用機なのである。自衛隊がロッキード社の軍用機を採用すれば、動くカネは旅客機と比較にならないほど大きい。 検察や国会は、軍用機ルートのほうに力を入れて捜査、真相究明をするべきだった。ところがそれでは自民党政権自体が無茶苦茶に壊れてしまう。そこで、わざと田中の賄賂だけを取り上げ、欧米のマスコミに騒がせるよう、CIAが工作したのである。そうしなければ。“親米の砦”を失ってしまうからだ。 田中は日中国交回復や、独自のエネルギー政策を提唱するなど、明らかにアメリカから距離をおく自主外交路線を選択していた。アメリカにとってそれは非常に気に食わないことでもあった。だから、この機に乗じて田中だけを潰そうという狙いもあったのではないかといわれている。それが田中の5億円だけを取り上げて、児玉に流れた30億円の大半について解明がまったく進まない理由の一つである。 よくよく考えてみれば、アメリカと親しい関係にある政治家はいくらスキャンダルが出てきても逮捕されない。イトマン事件の亀井静香、泉井疑惑の山崎拓もそうだし、小泉にせよ森喜朗元首相にせよ、政治生命の危機に瀕することはあっても、警察・検察に捕まることだけは避けられている。 ロッキード事件から「CIAにさえ狙われなければ、何をやっても大丈夫だ」「アメリカと親しくしていれば、警察も検察も怖くない」と政治家たちが確信するようになり、対米従属を深めていく悪循環が始まったのだ。」
戦後、何人かの自民党政治家がアメリカから、あるいはアメリカの背後にいる国際金融資本からの独立を画策していたのですが、ことごとく潰された。田中角栄は、石油資源をロックフェラー頼みじゃない別のルートを模索して、失脚させられたのはよく知られた話ですよね。竹下登、橋本龍太郎、野中広務、鈴木宗男までみんな失脚させられた。つまり田中派はずっと彼らと戦っていたということですよ。 私が鈴木宗男議員に、「日本の政治家は、なんでアメリカの言うことを素直に聞くんですか」って聞いたら、「聞かないと石油をもらえないぞ」とか言ってましたよ。中国も同じだそうですよ。輸出が好調で貿易黒字になって、膨大なドルを抱え込んでも使い道がない。それで、もう全部売っちやおうかなと言ったら、すぐにOPECから電話が掛かってきて、中国政府には石油を売らないぞと脅された。2006年末の話です。 〔 龍 〕(橋本龍太郎) そう、敗戦後の日本の政治家で、ただ一人のまともな政治家というのは田中角栄なんです。 田中角栄というのは大学出じゃないんですよね。高等小学校を卒業しただけです。それで小学校を出て上京して働いて、それからいろいろ会社を起こしてね。それも大企業とかアメリカの助けとか、そういうのもまったく無しに独力で、ついには政治力を結集して総理大臣になったわけです。で、自民党の中でも強固な最大派閥だったでしょ。 田中角栄は、戦後の日本が屈辱的に隷従してきたアメリカから独立する方向に明確な目標を持ったわけ。それで意図的にロッキード贈収賄事件をでっち上げられ、失脚させられてしまった。しかし、このロッキード事件で逮捕されてもなお、土着の骨のある自民党の首領として、屈服しないで“閲将軍”として政界の采配をふるうでしょ。 田中角栄系統の政治家はほんとにたくさん殺されていますよ。それはフルフォードさんが言われている通り。私が知っている例では竹下登、小渕恵三、梶山静六。竹下は電電公社の民営化(NTT)に、小渕は郵政の民営化、要するに、日本国民がコツコツと血と汗と涙で稼いできた資産をそっくりアメリカに献上せよという、苛斂誅求的な厳しいアメリカの要求だったんですが、彼らは命がけで踏ん張って抵抗したのです。脅すだけでなく、手をかえ品をかえ、酒を飲ましたり金を握らせようとしたりしても一向に埓が明かない。そこで殺されたという話を聞きました。 梶山静六という人も田中角栄派の主要な幹部の一人です。 ちょうどその頃アメリカの要求というより命令で、日本の金融を全部アメリカが召し上げるようなプロセスが始まっていたでしょ。まさに、その汚い手口は、その本に書いてあるFRB(連邦準備制度理事会)が過去やってきたこととそっくりそのまま。そんな亡国の危機に悲愴な思いを募らせて、自民党の総裁選挙に立候補したそうです。で、かなりの票を取ったけど、落選した。そうしたら、“都合よく”交通事故に遭って入院・療養、すぐに死んでしまったんですよ。(橋本龍太郎も後に死亡) そういう苛酷で悲惨な状況を日本の政治家は間近で見ているでしょ。だから日本の政治家は、本当に恐怖心に満ちていますよ。」 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=167975 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=157878 「田中首相は、1973年頃から、独自の資源外交を展開していた。まず同年秋、仏、英、西独、ソ連を次々と訪問し、石油、ウラン鉱石、天然ガス等の共同開発について議論している。同年11月には親アラブ政策を打ち出している。翌1974年1月には、ASEAN5カ国を歴訪し、インドネシアとの間で液化天然ガスプラント、石油基地建設の建設協力で合意した。1974年9月には、メキシコ、ブラジル、カナダを訪れ、メキシコ原油の開発、アマゾン開発、西カナダのタールサンド開発について、それぞれ協議している。さらに、その翌月には、ニュージーランドやオーストラリア、ビルマを訪ね、マウイ天然ガス開発やウラン資源の確保について合意している。 1996年には、中曽根康弘元首相が、『天地有情―五十年の戦後政治を語る』において、さらに明確に述べている。 「田中君は、国産原油、日の丸原油を採るといってメジャーを刺激したんですね。そして、さらに、かれはヨーロッパに行ったとき、イギリスの北海油田からも日本に入れるとか、ソ連のムルマンスクの天然ガスをどうするとか、そういう石油取得外交をやった。それがアメリカの琴線に触れたのではないかと思います。世界を支配している石油メジャーの力は絶大ですからね。のちにキッシンジャーは『ロッキード事件は間違いだった』と密かに私にいいました」 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=224936 田中角栄とは全く逆に、米国の言いなりになってきた政治家が小沢一郎である。 http://urayamaneko.seesaa.net/article/141101502.html 「コメント」
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