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田中良紹:政治家の面の皮 【The JOURNAL:2/11】 http://www.asyura2.com/10/senkyo80/msg/381.html
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2010/02/post_208.html
陰謀と謀略に満ちた国際政治に立ち向かう政治家の面の皮は厚く出来ていないと困るのだが、今回の東京地検による目茶苦茶な現職議員逮捕を批判するどころか、「政治資金規正法違反は重大だ」とか「政治的道義的責任を厳しく問え」とか発言している政治家を見ると、別の意味で面の皮の厚さに驚かされる。 今回のような捜査が許されるなら、政治資金規正法違反、公職選挙法違反、所得税法違反に問われない政治家はいない。問われないのは検察のターゲットになっていないだけの話である。 検察がその気になればいつでも摘発できる。日本の法律はそのように出来ている。だから面の皮の厚い政治家は自分が摘発されないように、民主主義の原理に背を向けて検察権力の側に立つ。こういう政治家が民主主義を破壊する。 前にも書いたが、「立法者になるためにはまず法を破らなければならない」のが「永田町の真実」である。公職選挙法を厳守したら選挙に当選できない。それほどに公職選挙法は不自由に出来ている。だから「厳守」する者はいない。「概ね」守っているにすぎない。しかし警察がその気になって徹底的に叩けばどこかにホコリは出る。目を付けられたら逃げられない。それを起訴するかどうかの「裁量」は検察が握っている。だから検察にゴマをする政治家が出てくる。 政治資金規正法も改正に次ぐ改正で厳守するのは難しい。「○○議員が政治資金収支報告書を訂正した」というニュースを時々目にするが、それは誰かに違反の事実を指摘されたのである。 悪意ではなく政治資金規正法を犯している政治家はいくらでもいる。しかしそれを事件にするかどうかを決めるのも検察の「裁量」である。同じ事が「セーフ」になったり「アウト」になったりする。だから政治家は検察に刃向かえない。 脱税はなおさらである。いつでも誰でも摘発できる。税法ぐらい複雑で分かりにくいものはない。摘発された側がよく「見解の相違があり」と釈明するが、税の専門家が「脱税でない」と判断しても脱税となる。これも事件にするかどうかは検察が決める。去年だったか大手新聞社が軒並み脱税を摘発された。これ以上やられたくないと思えば新聞社は当局に協力する記事を書く。いわんや政治家は脱税を摘発されれば落選するから当局と敵対できない。 田中角栄元総理がロッキード事件で一審有罪判決を受けた時、野党各党が議員辞職勧告決議案を国会に提出した。その頃、作家の野坂昭如氏が参議院議員になったばかりで国会にいた。旧知の間柄だったので訪ねて行くと、野坂氏は野党の議員辞職勧告決議案に真剣に怒っていた。「議員の進退を決めるのは選挙民と本人だけだ。国会に来て分かったが日本の野党は本当にひどい。これでは軍国主義時代に逆戻りだ」と言った。 野坂氏の「真っ当な感覚」に感じるものがあり、「田中角栄を辞めさせたいなら選挙で戦うのが民主主義です」と言って挑戦者となるよう薦めた。それから1ヵ月後、野坂氏は参議院議員を辞め、角栄氏の選挙区から衆院選に立候補する決断をした。私は陰ながら野坂氏の選挙をサポートした。選挙には敗れたが、政治家野坂昭如が最も輝いた瞬間だった。こういう政治家が今はいない。
今も自民党の中枢にいて世間からは「クリーン」と見られている某政治家は、「大物逮捕は10年に一度だ。捕まった人には悪いが、人身御供になって貰えば、こっちは10年は安全でいられる」と私に語った。しかしその人物は表では「政治とカネ」の問題を憂いて見せ、今も小沢問題で「政治的道義的責任」を追及している。 前にも書いたが、ロッキード事件の「本ボシ」は田中角栄ではない。「本ボシ」は他にいる。検察幹部は「巨悪は眠らせない」と言うが、いつの時代も「巨悪はぐっすり眠ったまま」である。そもそもこれは米国内の政争に他国が巻き込まれた事件だから、賄賂を受け取った欧州の政治家たちは誰一人として捕まっていない。外国の情報で自国の政治家を逮捕するほど愚かではないからだ。 しかし日本は謀略情報を仕掛ければ簡単に弱体化できる国である事を世界に示した。田中元総理が有罪判決を受けた後も米国や中国の指導者たちは目白の田中邸を訪れた。有能な政治家と見ていたからだ。それを葬った日本はバカだと思われたに違いない。 「人身御供」とされた田中元総理は無罪を勝ち取るために政治力を強めることに専念し、日本政治を裏から操る構造を作り出した。それが世代交代を遅らせ、日本の政治を歪める事になるのだが、当時、政治取材の最前線にいた私は、検察捜査の誤りが日本の国益にどれほど大きな損失をもたらしたかを痛切に感じていた。 「10年に一度」と某政治家が言った検察捜査はまさに「ロシアン・ルーレット」の世界である。他人の政治生命を犠牲にして他の政治家は生き延びてきた。しかし政治が検察の横暴を押さえられない国家を民主主義とは言わない。 官僚の人事を官僚の自由にさせてきた自民党時代は、誰も守れない法律に手を付ける事が出来ず、国民の代表である政治家の政治生命は検察の「裁量」に委ねられてきた。政治家はひたすら暴風雨が通り過ぎるのを待つしかなかった。だが政権交代が国民の手で成し遂げられた以上、政治家は国民の力でそれらを変える事が出来る。 自分のことを棚に上げて国民の代表を抹殺しようとする「面の皮の厚い」政治家を排斥し、能力に比して権力だけを異様に肥大化させた検察を解体し、その手先に成り下がった新聞とテレビは潰し、世界の先進国と並ぶ政治体制を確立する時が来ている。
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