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佐藤優の「高畠素之の亡霊」〈「新潮」連載完結〉を読む。(文芸評論家・山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』) http://www.asyura2.com/10/senkyo80/msg/316.html
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20100212/1265930825 佐藤優の「高畠素之の亡霊」〈「新潮」連載完結〉を読む。 【転載開始】 論壇やジャーナリズムにおける佐藤優の最近の活躍は目覚しいが、しかし、佐藤の言論活動の特質は、「売れっ子評論家」や「売れっ子ジャーナリスト」によく見られるように、社会の表層的な現象を追い掛け回して、その都度、適当なコメントや解説を繰り返して、思想家の振りをすというようなものではなく、むしろ、目前の社会現象とは無縁そうに見えるような、深い思想的裏づけに基づく原理的な思考を展開するところにある。佐藤自身が巻き込まれた逮捕事件を「国策捜査」という言葉で表現した時から、小沢民主党党首を辞任に追い込んだ「第一次小沢事件」に対しては「検察官僚の青年将校化」論を、そして今回の「第二次小沢事件」に対しては「検察官僚のクーデター」論をというように、佐藤が考案する「言葉」は、政治的事件の本質を見事に捉えている。おそらく佐藤の一連の「言葉」がなければ、事件は、検察官僚たちの予測どおりの展開をしていただろう。 ところで、先月(「新潮」二月号)で「高畠素之の亡霊」が完結したので、ここで、佐藤が、何を、どのように論じているかを見ておこう。私の読みに間違いがなければ、佐藤が論じているのは原理的な「国家論」である。 ≪産業社会を生きているわれわれは、国家がある状態しか知らないので、国家と社会が一体になって見えるのである。しかし、それが原理的に区別されているとヘーゲルは考える。高畠はヘーゲルの言語を正確に把握している。≫ ヘーゲルは国家と社会を区別する。社会とは、家族が自己の欲望を充たすために各人が活動し、そして相互関係を結ぶ場であるが、しかし、国家は社会全体の合理的意志に基づく組織であり結合である。社会は個々人の私的利害の戦場であるが、国家は個人や家族を超えて、全体の利害を代表する組織である。ヘーゲルの定義に従えば、国家は、倫理の全一体であり、自由の実現を意味する。これは、高畠の理解したヘーゲル的国家論の解釈だが、佐藤は、高畠は、ヘーゲルの国家論を正確に把握している、と言う。 いずれにしろ、佐藤は、「高畠素之の亡霊」において、国家論という視覚から、「階級闘争」や「窮乏化」など、様々な問題を原理的に論じている。 【転載終了】
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