投稿者 愚民党 日時 2010 年 2 月 12 日 09:12:42: ogcGl0q1DMbpk
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2000/04/27
小沢自由党党首との会談を否定=熊谷幹事長代理が会見で
民主党の熊谷弘幹事長代理は27日の定例会見で、一部の新聞が小沢自由党党首と会談したとの記事を掲載したことについて「そうした事実はまったくない」と否定。選挙協力についても「民主党の選挙準備は着々と進んでおり、不可能だ」と明言した。
熊谷幹事長代理はさらに、英『フィナンシャルタイムズ』紙が、昨年日本では2年続けて自殺者が3万人を超え、過労死も1万人に達すると報道していることを取り上げ、「社会の深いところで悲惨さと病がまん延している」と指摘。「未来を明るく語れるよう、民主党は選挙戦を勝ちぬかねばならない。森内閣は日本の21世紀を託すのにあまりにおそまつだ」と政権奪取の決意を強調した。
http://www.dpj.or.jp/news/?num=1128
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2000/03/30
「首相の采配で真相明らかにすべき」熊谷幹事長代理が千葉県警問題に言及
民主党の熊谷弘幹事長代理は30日の定例会見で、週刊誌などが『千葉県警内で、警察官が女性被疑者を留置場内でレイプ!』と報じていることを取り上げ、「事実であれば新潟県警以上に悪質で、警察のあり方が根本的に問われる大事件」と述べ、早急に政府の説明を求めていく考えを明らかにした。
熊谷幹事長代理は、「警察庁関係者も関与しているとされるこの事件は闇に葬られようとしている。その一方で、警察組織刷新会議なる諮問機関がぬけぬけと警察改革を論議しているのは許されない。事件をまた隠そうとすれば、国民の警察に対する信頼を失わせる」と強調。小渕首相が自らの采配で真相を明らかにするよう要求した。
さらに熊谷幹事長代理は、連立離脱をめぐる自由党の内部対立について、「これからは自公“残”(自由党残党)と言うべきかもしれないが、自公“惨”という気もする。いずれにせよ自民と公明の合流への大きな流れとなるだろう」との見方を示した。
http://www.dpj.or.jp/news/?num=1750
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自 由 党 の 風 景
松永 光 元蔵相
都市部で自民党が生き残っていくためには?
小渕内閣ができた時は総裁選をやった。今回も総選挙の後なのだから、一応議論があってしかるべきだった。もっと透明度を高めないといけない。私の選挙区では、自由党は小選挙区の候補者がいなかったのに11%も取った。これは自由党の主張がはっきりしていたためではないか。自民党が都市部で伸びていくためには、リーダーの顔というのも必要だ。
2000年7月28日 読売新聞 「どうする自民党」
小沢 一郎 自由党党首
自衛権というのは、人間に譬えれば正当防衛権である。これらの本来的な権利は、「自然権」として認められていて、最高法規の憲法や国際条約は言うに及ばず、いかなる法律もその権利を否定することはできない。一国の中で強制力をもつ刑法体系においても、正当防衛や緊急避難は認められている。強制力を持つ統一した法秩序の存在しない国際社会では更に当然の国家としての自然権である。国家の正当防衛権が認められなければ、憲法など成り立たない。
1999年9月特別号 文芸春秋 「日本国憲法改正試案」
平野 貞夫 参議院議員
調査課題は、「制定過程に関する調査」、「解釈運用に関する調査」、「憲法のあるべき姿」の三点だ。制定過程・解釈運用について報告書をまとめ、意見の一致点と対立点を整理すれば、約2年で全体の調査は終わる。憲法調査会は、両院対等なので、衆院の影響を受けてはならない。国家に緊急事態が起きて憲法改正の必要が生じた場合、調査会が終わらなくても改正できるとの確認が必要だ。憲法改正手続きとしての投票法の整備は所管の委員会で早急に審議すべきだ。
2000年2月16日 参議院憲法調査会にて
早坂 茂三
まず一郎のやらされたのが、田中派=木曜クラブの事務局長。この仕事で彼は先輩、同僚、後輩議員のひととなり、表裏、人間関係に精通していった。「身内のことを知りなさい。身内のことも知らないで一人前の口をきくな。そして身内のために汗を流せ。損して得を取れ。手柄は先輩や仲間に譲れ。そうすればお前、めんこがられて、好かれるぞ。」これを田中は、真っ先に一郎に教え込んだ。このハードルを、一郎は持ち前の粘り強さでこなしきった。
文芸春秋 『政治家は「悪党」に限る』 −あえて大久保たらんとす−
村尾 新一 読売新聞記者
自由党内でこのところ、四月に同党とたもとを分かった保守党議員の”復党容認論”が浮上している。自由党分裂後、両党は政党交付金の分配などをめぐって激しくいがみ合ってきた。だが、自由党が先の衆院選で公示前勢力を上回る二十二議席を獲得した一方、保守党が七議席に落ち込んだことで、藤井幹事長ら自由党幹部の間では「こちらが正しかったと証明された。もう恨みは忘れた」「わびてさえくれれば、戻って来てもいい」などと余裕の言葉が出始めている。小沢党首は保守党議員の復党に言及したことはないが、「保守党の扇党首、野田幹事長以外は許すのではないか」(周辺)と見る向きもある。保守党関係者は「いまさら復党はありえない」と一笑に付すが、二階俊博国会対策委員長の和歌山県知事選出馬論が浮上した際には、党の将来を危ぶむ声が出たのも事実。自由党幹部からは「保守党議員から『反省の弁』を聞いた」と復党を”期待”する声も出ている。
2000年7月 読売新聞「取材メモ」
大野 博 朝日新聞記者
保守党の野田殺幹事長と自由党の藤井裕久幹事長は、テレビの討論番組などでたびたび同席するが、二人がことばを交わすことはほとんどない。自由党と保守党が分裂した後、野田氏が政党交付金の分与をめぐる話し合いを繰り返し求めたのに、藤井氏が逃げ回る場面もあった。そんなしこりが尾を引いて、いまだに「近親憎悪」の状態が続いているのだ。 ところが、肝心の政策討論の中身では意見が一致することが多い。「そごう問題」を扱った7月30日の番組でも、二人そろって一昨年の金融国会で当時の自由党が金融再生法に反対したことを強調した。それもそのはず、保守党は自由党の基本政策「日本再興へのシナリオ」を引き継いでいる。「もともと私が中心になってつくった政策。著作権は我々にある」というのが野田氏の主張だ。政策を共有し合う政党が与野党に分かれて、お互いに批判し合う−。何とも奇妙な光景だが、ある意味では今の政界全体の縮図と言えなくもない。自由党が保守党は自民党と一緒になる腹だ」と挑発すれば、保守党も負けじと「野党にいて政策が実現できるのか」と言い返す。こんな感情的な対立を抑えれば、与野党の政策の接点も見えてくると思うのだが。
2000年8月8日 朝日新聞「記者席」−与野党の接点に近親憎悪の壁」
平野 貞夫 参議院議員
政治で自己の利益を得ようという政治家は、人類の英知で築き上げた民主政治や議会政治の普遍的真理を無視して、政権を維持するためには悪魔とも連立を組みかねない人々である。住専処理問題といい、中選挙区制復活問題といい、カゴ抜けサギ・たらい回し政治といい、日本人はどうしてこれほど民主政治の本旨を理解しようとしないのか。どうして形だけの民主政治でしか政治ができないのか、重大な謎である。その原因を突き止めなければ、改革、改革と言っても始まらない。民主政治の本旨に馴染まない日本人の政治文化の実態を知る必要がある。
プレジデント社 『小沢一郎との二十年』
辻本 社民政審会長
辻元氏は「世界には社民主議と新保守主義の二つの潮流があるのに、日本では、自民党、民主党とも、ライスカレーかカレーライスかの違いのように、二つがごちゃごちゃになっているので、政治をわかりにくくしている」と強調する。
2000年8月16日 読売新聞
小沢 一郎 自由党党首
今年は湾岸戦争の10周年であります。あの戦争は冷戦が終ってから起こった始めての大規模武力衝突であります。イラクがクウェートを侵略し、併呑しようとしたのです。イラク軍を押し返し、平和を回復するため、アメリカを中心として多国籍軍が組織され、国連のお墨付きをもらい、輝かしい成果を収めました。あの時イラクの侵略行為に先進各国とアラブ諸国が敢然として立ち上がらなかったとすれば、中近東はそれこそ世界平和をずたずたにするひどい状態に陥っていたことでしょう。湾岸戦争の多国籍軍にはカナダも加わり、世界平和を守るために毅然とした態度を示しました。日本も多国籍軍のため130億ドルという大金を支出したのですが、多国籍軍そのものには加わりませんでしたし、ペルシャ湾に日章旗が始めて現れたのは、戦闘が終結してから数ヶ月後、水雷撤去作業に掃海艇数隻が参加したときです。日本がこのようにして、平和維持活動、平和回復活動に積極的に参加しないのは、日本国憲法の制約があるからである、と歴代日本国政府は説明しております。私はこの様な解釈は間違っていると思います。そもそもわが国が国連決議に従い、加盟国として平和維持活動に参加する時、それが武力行使を伴う場合でも、日本は国家権力として武力を行使しているのではなく、国連憲章に基づいて、国連加盟国としての義務を果たしているだけであります。何ら憲法に抵触する行為ではありません。それが私の立場であり、自由党の立場であります。
2000年リベラルインターナショナル第50回総会における挨拶
小沢 一郎 自由党党首
ご存知のように、日本国憲法は交戦権を放棄しています。武力行動を起こすのは他国から攻撃を受けた場合にのみであると歴代政府は主張して来ました。したがって、たとえそれが国際の平和維持のための行為であっても武力の行使を含むものは憲法上許されないというのが政府の憲法解釈であります。私の意見は違います。私は現行憲法でも、国連の平和活動には積極的に参加できると主張して参りました。安保理事会、あるいは国連総会が決議すれば、日本はたとえ武力行使を伴う行動に参加しても、それは日本国の自衛行為でもなく、自分の意思で軍隊を動かしているのでもなく、国連のメンバーとして、国連の要請に答えているものであり、固有の自衛権の行使とは全く異質のものであると私は考えており、従ってそれは憲法に抵触する行為ではありません。
2000年シカゴ日米協会における講演
加藤 紘一 元自民党幹事長
まず第一に、小沢氏が党首になったことで、新進党とは戦いやすくなった。それは、政治手法の問題が与野党対立の軸として鮮明になったということです。もし羽田孜氏や細川護煕氏が党首だったら、社会党(現社民党)や新党さきがけがあれほど結束して橋本政権実現のために動いてくれたかどうかは正直なところわからない。皮肉ではなく、小沢党首の誕生が三党の求心力を高め、宮沢政権以来2年半ぶりの自民党首相誕生の原動力となった。橋本政権実現の最大の功労者は小沢氏だとも言えます。その根底にあったのが、政治手法の問題なのです。
それをはっきりと証明したのが、新進党の議員辞職騒動でした。小沢執行部は、「橋本首班は政権のたらい回しだ。即刻解散して国民の信を問え」と叫んで、議員辞職を敢行しようとした。結局、党内の抵抗にあって断念せざるを得なかったが、独断専行の手法が早速現れたのです。
小沢氏はその点、一対一のインタビューでは天才的なうまさをもっていると思います。ただし、論争ということになると、どうでしょうか。小沢氏の話をよく聞くと、論理が飛躍することがある。それでも物事をあえて四捨五入して話を進めていくため、非常に割り切った表現になっていく。そこがわかりやすく、強いインパクトがあるとして世間で評価されることにもなる
1996年3月 「現代」より
小沢 一郎 自由党党首
20日でなく、17日に不信任案を提出して採決していれば、状況は変わっていたと思うか。
私も、私どもの出先の国対においても、17日に提出すべしという主張をした。戦術としては断固17日だったと思う。そうすれば我々の主張が通った可能性は非常に高かったと思う。戦機というものがある。人間の心、客観情勢、いかに優勢な軍でも天地人という言葉もよく言うではないか、間違えると負ける。そこが難しい。私が多少何やかんや経験した立場から言えば17日だと思ったから、幹事長などにそれで各党に話するように言ったわけだ。
小沢党首定例記者会見要旨 (11月22日午後4時30分、党本部)
読売新聞 社説
憲法論議を活発化する契機に自由党が、十二項目からなる「新しい憲法を創る基本方針」を決定した。今年一月、衆参両院に憲法調査会が設置されて以来、政党として憲法改正の具体的方向を提案したのは初めてだ。自由党案は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義など、現行憲法の基本原理は継承、発展させるとしている。その上で、基本的人権と社会秩序との調和を重視すること、教育の基本理念を憲法に明記することなど、社会の変化を踏まえた新たな論点を打ち出した。しかし、問題点もある。一つは、集団的自衛権の位置づけが極めてあいまいなことだ。同盟国を守る権利である集団的自衛権は、国連憲章でも構成国の固有の権利として認めている。政府は、「集団的自衛権を有しているが、行使することは憲法上許されない」との立場をとっている。だが、「持っているが、行使できない」権利というのは論理矛盾だ。主権国家に集団的自衛権の行使が容認されるのは当然である。ところが、自由党案は、武力行使が認められる範囲を「日本が侵略を受ける場合」に限定し、それ以外は、個別的であれ集団的であれ、自衛権の名の下での武力行使は一切行わないとしている。 これでは、集団的自衛権の行使を禁じた政府解釈とほとんど変わらない。自由党は、国連中心の集団安全保障活動には、武力行使を含めて積極参加し、平和に頁献したい考えのようだ。しかし、見通しうる将来にわたり、日本やこの地域の平和と安全を保障する基盤は日米安保体制だ。現状では、国連に頼ることはできない。集団的自衛権の行使が容認されて初めて、より適切かつ効果的な日米協力が可能になり、日米同盟は強化される。自由党案のもう一つの重大な問題は、代表民主制を直接民主制で補完するとの観点から、個別政策に関する「国民投票制度」を導入するとしている点だ。例えば原発や軍事基地の立地などは、エネルギーや安全保障という国の基本政策にかかわる問題だ。冷静な判断を欠き、ムードや一時の感情に流されて投票することがあれば、国の根幹が揺らぎかねない。安易に国民投票制度を導入するべきではない。このように、自由党案にはいくつか問題はあるが、憲法論議を活性化させるきっかけには十分なりうる。来年夏の参院選に向けて、各党は、国のあり方を選挙の争点とするくらいの意気込みで議論を深めてほしい。
2000年12月19日
山岸 章 連合顧問
非自民の中で一番考えがはっきりしているのは小沢一郎(自由党党首)だな。彼は、社民党の土井党首と話したり、民主党の菅幹事長と会ったり、けんか別れした熊谷弘・幹事長代理とも関係を修復している。共産党にも声をかけようかという姿勢だ。要するに非自民勢力を結集しようとしている。こういう役割は本来、民主党の鳩山代表や菅氏がやるべきじゃないのか。ただ、小沢氏は、自己中心主義なんだ。自分から見て利用価値があると思えば土下座でもする。そこは役者よ。ところが自分から見て利用価値がなくなると弊履のごとく捨てる。彼はヒューマンな政治家にならんといかんな。
2001年3月6日 読売新聞
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= 自由党ニュース速報 2001/ 7/ 15 第67号 =
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□ 小沢一郎党首発言抄録 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□◇□
□ 平成13年7月15日 自由党 □□◇□
7月12日(木) 東京・渋谷駅前
まず豊かな心を取り戻す 〜 自由党党首・小沢一郎 〜
この選挙戦は、今の自民党政治を続けることで、国民が取り返しのつかない
ならくの底に落ちるか、野党に国民の力をいただき、日本再建の第一歩とするか
の判断を、国民に仰ぐ選挙戦だ。自由党は今日の地球規模の大変化の時、危機を
克服し、将来のビジョンと具体的政策を提示する。
毎日、信じられない事件が続いている。本来の豊かな心を取り戻すことから
始めないといけない。人づくりや心の豊かさについて、自民党政治は本当に
真剣に取り組んできたのか。
今のようなやり方では、決して日本経済は再建できず、景気はよくならない。
残るのは借金だけだと指摘してきたが、現実にそうではないか。政府は心配するな
と言ってきたが、今年になってその方便が通用しなくなり、不景気と言わざるを
えなくなった。小泉内閣になり国民の期待は大きく膨らんでいる。しかし
自民党政治は何も変わっていない。森内閣が決めた緊急経済対策さえ実施して
いない。2カ月たっても、政策も理念も中身も示されていない。
---朝日7/12(夕)---
7月12日(木) 12:55 名古屋・事務所で激励
自民に改革はできず 〜 自由党党首・小沢一郎 〜
森(前首相)さん、小渕(元首相)さん、橋本(元首相)さんもみんな改革を
言ってきたが、できなかった。自民党は既得権の中で成り立っている政党だからだ。
自民党総裁であるならば(小泉首相に)構造改革はできない。
---読売7/13---
7月13日(金) 福岡市で記者会見
自由党の小沢党首は福岡市で記者会見し、自民党内から景気対策のために
補正予算案の編成などを検討すべきだという意見が出ていることについて、
「補正予算で景気がよくなるわけがない」と否定的な考えを示しました。
このなかで、小沢党首は「政府は過去何年にもわたって、景気が悪くなると
公共事業の積み上げを中心とした補正予算を組み、財政出動を行ってきたが、
景気はよくなるどころかますます悪化してきた」と述べました。
そのうえで、小沢党首は「補正予算で景気がよくなるわけがなく、その手法
しか浮かばないのが自民党の限界だ。小泉政権に代わっても、こうした
官僚まかせの体質が全く変わっていないことの証明だ」と述べました。
また、小沢党首は、韓国政府が歴史教科書をめぐる日本政府の対応に抗議して、
日本の大衆文化の開放を中断すると発表したことについて、「日本政府の問題を
先送りする体質にも問題があるが、韓国や中国も自分たちの国では、教科書を
使って反日教育を行ってきた。互いに信頼関係を取り戻すための努力が必要だ」
と述べました。
---NHK7/13 14:36---
7月13日(金) 札幌市で記者会見
小泉純一郎首相は「改革で多少痛みがあるが、その先はこういう社会がある、
だから一時痛みを(我慢してほしい)」というのなら分かるが、先のビジョンが
全くなく、実現の具体策もない。そのところを国民にはよく見てもらいたい。
---毎日7/14---
7月14日(土) 千葉県柏市で記者会見
与野党逆転は十分あり得る 〜 自由・小沢党首 〜
自由党の小沢一郎党首は午後、千葉県柏市で記者会見し、参院選について
「これからの戦いようだが、与野党の逆転は十分あり得る。小泉(純一郎首相)
ブームは選挙前に言われたほどではない」と述べ、与野党逆転が可能との
認識を示した。
また首相の政治方針について「国民に言ったことをやろうとすれば自民党を
壊すか、自分が辞めるかのどっちかだ。彼にとっては行くも戻るも地獄だ」
と指摘した。
---産経7/15---
http://yamagata21.at.infoseek.co.jp/fuhkei.htm
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2000年04月18日(火)
熊谷弘の政治レポート 平成12年4月18日号
(ある雑誌での、私の最近のインターヴュー記事です。現時点での私の政治的な見積もりがうまく書かれています。お読みいただければ、大変嬉しく思います)
――民主党の頭脳・熊谷弘の「天下取り」戦略――
〜 夢物語が「現」になる 〜
次の総選挙ほど、勝敗が分かっている国政選挙はない。自民党が議席を減らすことは、誰の目から見ても明らかだ。小沢・自由党の連立離脱、そしてよもやの小渕政権崩壊。「解散権」を握る首相の小渕恵三自身、「敗北」は覚悟していた気配が濃厚である。
「負けるための解散もある。その時は、負けた後の後始末をどうするか、青写真が描けていればいいんです」。政権の大番頭である官房長官の青木幹雄は、こう政権維持の秘訣を口にしてきた。もちろん、その本音は「自自公」三党で過半数を確保し、これを大義に小渕政権を維持する。これが青木の言う総選挙後の青写真であった。これまたあまりに分かりやすい。しかし、その青写真は空しく焼失してしまった。
では、「勝てる」総選挙になる野党第1党の民主党は、選挙後にどんな青写真を描いているのか。もちろん、単独で過半数を確保できるほど勝てるなら話は簡単。民主党単独政権をつくるだけのことだ。
青写真が一番必要になるのは、民主党が自民党に限りなく近い数で第2党になったケースだ。
自由党の小沢一郎流なら、加藤紘一ら自民党内の反自自公派に「首相候補」とすることを約束し、集団離党・新党結成を誘うだろうし、自民党の梶山静六・野中広務流なら、共産党に基本政策などの見直しをさせて、政権をともにする、という青写真を描くことができる。事実、党内からは「どんな手を使ってもいいから、次の選挙後に政権を奪取すべきだ」との声が漏れている。
しかし、今や民主党の司令塔になった幹事長代理の熊谷弘は、単独での過半数確保による政権奪取の一点に狙いを定めている。当然ながら、次の総選挙で過半数を確保できない時は、野党第1党として次の次の総選挙に勝負をかける。
次の次の過半数確保など、あまりに先の目標であり、なおかつ勝てる保証はどこにもない。それでも熊谷は、「今こそ、やせ我慢しかない」と、親しい議員らに胸の内を明かしている。
熊谷は、政界再編の仕掛け人として一世を風靡した小沢の側近として、非自民の細川政権誕生の舞台裏、その後の自民党有力者、特に故・渡辺美智雄の引き抜き工作をつぶさに見ている。そして自分が野党に転じ、新進党に所属していた時、小沢と喧嘩別れし、羽田を担いで太陽党をつくった時は、自民党からの引き抜き工作を経験している。その気にさえなれば自民党に戻る道があったし、太陽党と自民党の連立を仕掛けることもできただろう。
しかし熊谷は、「非自民」という枠を超える選択をしなかった。自民党に戻っても、「飼い殺し」のような扱いを受けかねない。政党同士で自民党を手を組んでも、結局は自民党だけを利することも、さきがけの没落から十分に分かっていた。
それでも多くの政治家は「与党」、つまり「権力」の魅力に勝てなかった。小沢も決して例外ではない。その意味で、熊谷の「やせ我慢」は年期が入っている。まだ野党を続けることも平気なのだろう。
「やせ我慢」の裏付けになるのは、次の総選挙で政権を奪取できなくても、新進党の二の舞にはならない、つまり民主党から与党側に引き抜かれる議員はいない、という自信に他ならない。
熊谷は民主党が結成されて以来、一貫して選挙対策の事実上の責任者を務めているが、明治の政治家・陸奥宗光の「古今浪人の勢力」と題する論文を使い、議員予備軍に「やせ我慢」教育を行っている。
論文の中で熊谷が一番気に入っているのは、最後の「藩閥の残肴冷杯に首を低れんや」の下り。その前段には、「進歩改革が社会の常道である以上、浪人は常に勝つ」という内容の表記がある。熊谷が藩閥に「自自公」を、浪人に「若手の議員候補」と、「民主党」を模しているのは間違いないだろう。
もちろん熊谷が「やせ我慢」を言えるのは、民主党の総選挙での単独過半数確保が、夢物語ではなくなっていることも大きく関係している。
もし民主党に「万年野党」の展望しかなかったら、熊谷もありとあらゆる手を使うしかない。「自民党が過半数を大きく割り込んだ時、最後の政界再編が起きるかもしれない」。熊谷は以前、こんな予測を漏らしたことがある。民主党の解党も覚悟で、自民、自由を巻き込んだ最後の政界再編を仕掛ける決意表明と言ってもいい。
ところが自自公に対する国民の反発は、小渕ら自自公首脳部と同時に、熊谷ら民主党執行部の予想もはるかに上回るものだった。「反自自公の受け皿になって勝ち抜く」。これが民主党の総選挙の基本戦略になった。言い換えれば「自自公か民主か」の選択を国民に迫る選挙にするということだ。
熊谷ら民主党執行部が、この基本戦略の正しさを確信したのは、前金融再生委員長(金融担当相)の越智通雄を辞任に追い込んでからだろう。熊谷宛にカセットテープ入りの匿名の封書が届き、その中に越智のいわゆる「手心発言」が入っていた。自民党の「口利き」体質を象徴する発言であり、民主党が自自公との体質の違いをアピールしていくには、もってこいの材料となる。
新潟県警本部長らの不祥事と、その処分の甘さに対する世論の怒りも、民主党には「追い風」になっている。民主党は国家公安委員長・保利耕輔の責任問題を息長く追及することで、連立政権にダメージが与えていく考えだ。
「黒い霧解散に追い込む」。熊谷は党内にこんな檄(げき)も飛ばし、首相秘書官の NTTドコモ株譲渡問題、農水省構造改善局汚職事件などの追及に力を入れてきた。
政策的にも、年金制度改定という格好の攻撃材料がある。厚生省の試算では、厚生年金に加入する40歳以下のサラリーマン世帯では、生涯に受け取る年金額が現行より平均1千万円以上少なくなるため、熊谷らは「天下の悪法」と決めつけている。
熊谷が想定するのは、あくまでも7月の沖縄サミット(主要国首脳会議)前の総選挙。自自公に対する国民の反発が強いうちに勝負したい、という思いがうかがえるが、熊谷は「サミット後は自民党にとってもっと不利になる。だから自公はサミット前を決断するしかない」と、党内で説明している。
民主党の衆院議員の数は現在95人。自民党は268人で、簡単に追いつける差ではない。それでも熊谷は、次の総選挙で少なくとも170人前後、つまり2倍近くまで民主党の勢力を拡大したいと考えている。それは同時に、自民党の衆院議員を240の半数を大きく下回る200前後まで減らす目標でもある。
その時の自公の政権運営は、公明党主導になり、自民党内には不満が充満。政権運営は極めて不安定になり、来年夏の参院選との衆参同日選挙に持ち込むことができる。これが熊谷の政局の読みになる。
「次の総選挙は関ヶ原の戦い。天下分け目の合戦ではあるが、豊臣から徳川に天下が変わるのは、大阪夏の陣となる次の次の総選挙」。熊谷はこんなたとえも口にしている。
もっともこれは、総選挙がサミット前の場合の読みであり、サミット後まで先送りになるなら、「関ヶ原と大阪夏の陣が一緒に来る」と熊谷は思っている。
この読みが正しいがどうか。いくら自民党の敗北、民主党の勝利は分かっていても、そこまでは「誰の目から見ても明らか」とは言えないだろう。それどころか自自公側からすれば、熊谷の読みは「夢物語」でしかない。
しかし、「自公」という大軍の方が、「関ヶ原の戦い」を嫌って逃げ回り、これを民主党など野党の少数部隊が懸命に追いかけるという、「逆転現象」はすでに起きている。
http://www.kumagai.ne.jp/column/entry.php?entry_pkey=108
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野田佳彦氏出馬断念の陰に小沢一郎民主代表の「天敵」
週刊文春2008年9月4日号「THIS WEEK 政治」
民主党代表選挙は前回に続き、小沢一郎代表の無投票当選が濃厚になってきた。当初は「国民に民主党をアピールする絶好の機会だ」(渡部恒三最高顧問)と複数候補による選挙戦を望む声が少なくなかったが、すでに出馬見送りを表明していた岡田克也元代表に続き、八月二十二日に野田佳彦元国対委員長も立候補を断念したからだ。
野田氏は八月十九日から二十二日にかけて、自身の政策グループ「花斉会」メンバーを都内に集め、「このままでは無投票になってしまう。小沢代表を相手に堂々と政策論争を戦わせてみたい」と協力を求めていた。馬淵澄夫衆院議員らは「我々は野田政権を目指すグループ。衆院選の前だからこそ戦うべきだ」と主戦論を展開したが、松本剛明前政調会長ら慎重派は「そんな環境ではない」と譲らず、結局、出馬断念に至った。
出馬すれば、会のメンバーや、野田氏に近い浪人、新人も公認を取り消されかねない――。野田氏と主戦論者の決心をぐらつかせた殺し文句はこれだったという。小沢氏から見れば「若造」のはずの野田氏出馬が、なぜそこまで小沢氏を刺激すると、慎重派は考えたのか。その裏にはある人物の存在がある。
かつて小沢氏の側近中の側近として知られ、最後は反小沢の急先鋒に転じた熊谷弘元衆院議員がその人だ。通産官僚出身で口八丁手八丁の熊谷氏の手腕を高く買い、小沢氏は細川政権の通産相、羽田政権の官房長官に熊谷氏を押し込んだ。だが羽田政権崩壊を境に熊谷氏は「小沢氏の独断専行にはついて行けない」と決別し、小沢氏はそんな熊谷氏を「恩知らずの裏切り者」と目の敵にした。今でも、名前を聞くと途端に不機嫌になると言われるほどだ。
その熊谷氏が民主党時代、将来を嘱望し目を掛けたのが野田氏だった。野田氏が二〇〇二年の代表選に出馬した際も地元・静岡の党員・サポーター票をまとめるなど全面支援。野田氏も恩義に応え熊谷氏に尽くしてきた。その象徴が、いつも影のように付き従う第一秘書の日高辰也氏である。熊谷陣営の選挙違反事件に連座し永田町を離れていた失意の日高氏を呼び寄せ、片腕にしたのだ。
「情に厚い」「面倒見がいい」との野田評を裏付けるエピソードだが、坊主憎けりゃ何とかで、野田氏が出馬すれば「後ろで糸を引いているのは熊谷か」と小沢氏が激高するのは必至と、慎重派はみたのである。
http://bunshun.jp/shukanbunshun/thisweek_pol/080904.html
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