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「日本、名護の選挙民はアメリカの基地の移転を拒否した」【仏紙「ルモンド」の記事】(辺野古浜通信) http://www.asyura2.com/10/senkyo80/msg/188.html
http://henoko.ti-da.net/e2735422.html 2010年02月09日 ルモンドをはじめ、世界のメディアがokinawaに注目して記事を続けて配信していますが、日本のメディアの恣意的な報道よりも遙かに、そこでは、小さな島の苦しみ、市民の意志が率直に描かれているように思います。 遠い地にあって、この記事を紹介し翻訳して送って下さったNAさん、感謝です! 以下----NAさんからのメールです。 ルモンドの名護市市長選の結果を受けた素晴らしい記事を翻訳しました。是非お読み下さい。遠くから応援しております。この記事を書いてくれたのはフィリップ・ポンスさんです。 「日本、名護の選挙民はアメリカの基地の移転を拒否した」 地方選挙が内政そして外政に同じ影響を及ぼすような選挙はめったにない、1月24日日曜日に沖縄諸島の本島、名護市(住民60000人)の市長選挙がそれにあたる。 プラカードを掲げて2000日以上、辺野古の付近の12箇所ほどの村から集まった反対運動家たちは珊瑚棚の切れ目の浅瀬からさらに遠くのエメラルドグリーンの海をずっと監視してきた。 白砂のビーチ、珊瑚環礁の入り江、松の植えてある小さな島、おうら海岸に彼らがテントを張っている場所の前には1本1800メートルのV字型をした滑走路を備える新しい米軍基地が予定されていた。 辺野古の漁師たちと砂糖きびやとうもろこしを栽培する農家の共同闘争は半世紀以上続いている反対運動の記録の中に書き込まれた。 「長い間、沖縄の住民はあきらめていたとおもう」宜野湾市(住民90000人)の市長、伊波よういち氏は語る。 「彼らがどんなに抗議しようとどんな被害をこうむろうと、国家からはないがしろにされてきた。そんなことはもうなくなった。」 宜野湾市の地図をみると人口密集地の真ん中に灰色の巨大な灰色のしみがある。 47000人の日本にいる兵隊の3分の2は沖縄に駐留しており、日本国の総面積の0,6%にも満たない沖縄諸島で34の基地、もしくは宿営地、そして練習地の受け入れをしている。 1972年まで沖縄はアメリカの統治下にあった。 10年間に及ぶ交渉の結果2006年に結ばれた合意は1997年の選挙にて反対した住民が多かったにもかかわらず、普天間基地を辺野古に移動するというものであった。 任期満了に伴い、今日落選した、島袋よしかず氏は辺野古への条件付移設もしくはキャンプシュワブのある高台のほうへの移設を公約していた。 市民はおうら湾の埋め立てにおいて発生する環境的な損害とともに住民はだまされたという感情をもった、なぜなら、「失業率は12,9%(日本全体の失業率の倍)で、土木工事の契約は地元の会社はほんの少しで大手会社がほとんどを結んだ。」 市議が市民の不満をうけいれ、反対派のひとりひとりのはなしを聞いた。 日本民主党、鳩山由紀夫首相が9月から2006年の合意の再交渉をすると公約した。稲嶺氏の当選を受け、東京は沖縄以外での移設場所を見つける選択を取らざるをえず、アメリカの不満と対峙することになる。 そしてその結果、名護の闘争は他の反対派を刺激する。 終わり
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