投稿者 官からアメリカ人へ 日時 2010 年 2 月 10 日 08:08:05: Dx5sTVjBq/alo
彼の投稿内容は、大変興味深いと判断したので上部に改めて投稿しました。
読むべし。
http://www.asyura2.com/10/senkyo80/msg/161.html
枚方市議会で読み上げられた小堀氏の手紙の全文
平成21年5月25日、小堀隆恒。
本文を読みます。
無罪判決を受けて。
平成21年4月27日、私は、大阪地方裁判所で無罪判決をかち取ることができました。
無実の罪で起訴されたわけですから、無罪判決は当然といえば当然の結果です。しかし、他方、世の中に散見される冤罪事件を思うと、その心中は穏やかではありませんでした。裁判官から無罪と言われたときの心境は、体験した者しか理解していただけないものかもしれません。えも言われぬ歓喜の気持ちと虚脱感が錯綜した不思議な感覚でした。
この感覚は、逮捕されて2年間という時間の長さとその間の苦しみの重さからくるものかもしれません。
無罪をかち取ることができたのは、裁判所が私の言い分を虚心坦懐に聞いていただけたことが大きいとは思いますが、これまで私を支えてくれた数多くの方々の御支援、御声援のたまものと、心から感謝しております。私の人となりをよく知っていただいている方々は、私がおよそ犯罪とは無縁な生まじめだけが取り柄の人物であること、公務員として高潔であるべきとの理念のもと、40年間これを実践してきたことを理解してくださっていました。
私が逮捕されても、また起訴されても、私が無実であることを信じて、決して疑いをかけることすらありませんでした。
特捜部が起訴しようが、マスコミがどれだけ騒ごうが一向に意に介さず、小堀隆恒という人間を心底信じてくれる人が周囲にはたくさんいるということが、何より私を勇気付けてくれたのです。
私は腎臓がんで右腎を摘出し、前立腺肥大による手術をする予定であったところ、突然逮捕されました。私は、自分が逮捕されるなど全く予想もしておらず、個人的に弁護士の知り合いもいなければ、刑事事件がどのような手続で進められるかも理解を欠いていました。それより何より、私は、自分がなぜ逮捕されなければならないのか、その理由を全く理解することができませんでした。
私は、当時、大阪府警の現職警察官で、しかも談合捜査のプロとして紹介された平原という人物に、捜査情報として尋ねられた内容を答えたにすぎません。
しかも、その情報は予算額と経審の点数であり、捜査情報として必要だとの平原の説明に何ら不合理な点はなく、しかも何ら秘密事項でもありません。
そもそも目の前の警察官が業者から1,000万円もの賄賂をもらって談合に加担しているなど、一般人が考えるでしょうか。一般人のこんな常識的感覚さえ、検察官は聞く耳を持ちませんでした。
私は、業者と接触することをことごとく嫌っており、業者から金品をもらったことなど一度たりとてありません。大阪府警をしょって立つエリート警察官として紹介された平原が賄賂をもらっていたなどという話が、小説やテレビではなく現実にあるなどと、一体だれが考えるでしょうか。
それでも、検察官は私の話を聞き入れません。汚職警察官の言うことが正しいと決め付け、私がそうでないと何度も申し向けても、聞く耳を持ちませんでした。挙げ句、二度と枚方に住めないようにしてやる、おまえら家族も町を歩けないようにしてやるなどと怒号し、机をたたき付けたり、パイプいすを蹴飛ばしたりし続けました。拘置所の看守が、近所から苦情が出ていると取り調べの最中にクレームを述べに来たり、多数の取り調べを目の当たりにしている看守が私に間違いを犯すなよと、自殺の心配をしなければならないほど過酷な取り調べが続いたのです。
その上、排尿障害でカテーテルを挿入され、その挿入に問題があったがため出血がひどく、まともな手当てもされないまま、おむつをはかされ、出血が止まらない状況で取り調べを受けたのです。その屈辱は一生消えることはないでしょう。
私は、法治国家の日本の現実かと、恐ろしくなりました。
勾留中、私には、弁護士以外とは面会できないという措置が講じられていました。保釈後、マスコミが、私が罪を認めたであるとか、1,000万円受け取ったなどと虚偽の報道を競うようにしていたことを知り、愕然としました。特捜部からリークされた虚偽の事実をそのまま平然と報道するマスコミの姿は、それまで私が持っていたマスコミ像とは全く違っていました。権力と闘う正義感に燃えるマスコミ像というのは、単なる幻想であることを思い知りました。
事件について何も知らず、マスコミからの情報にだけ接する一般人の考えは、当然誤った方向に導かれます。私が勾留中、私の家族には、松岡農林水産大臣のように自殺されてはどうですかと書かれた匿名の手紙が届きました。
あのとき、私の家族に何かあったとしても、マスコミは責任を認めなかったでしょう。これが報道の自由を標榜するマスコミの実態なのかと、むなしくなりました。
私は、40年以上、枚方市政のために全力を傾注してまいりました。それは、生まれ育った、そして今後一生を終える地となるであろう、この枚方市が少しでもよくなればこそと思ってのものです。私だけではなく、先祖代々枚方市に居を構え、私の子どもたちを含めて、枚方市のお世話になっております。私は、枚方市に仕える身として、職務に励んでおり、公務員としても人一倍自分を律してきました。
それにもかかわらず、志半ばで枚方市を去ることを余儀なくされたのです。時計の針が戻るなら、平成19年5月の時点にもう一度戻り、副市長としての職務を全うしたいとの思いです。
しかし、それがかなわない現在の自分の立場が、本当につらく悔しくてなりません。
以上、無罪判決をかち取ることができた現在の心境を率直に述べました。
私は、この結果を受けて、皆様の面前において自らの思いのたけを述べることも思慮しましたが、控訴係争中の方がいる現状に鑑みて書面といたしました。
小堀隆恒。
http://www.city.hirakata.osaka.jp/freepage/gyousei/gikai/files/zenin210615.pdf
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