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小沢と検察、両者の会見から読み取れるもの(立花隆が緊急寄稿) http://www.asyura2.com/10/senkyo79/msg/708.html
立花先生がこう簡単に自説を180度転換するとは・・・ (以下終わりまで転載) 小沢不起訴の背景に何があったのか。 だが今回は、検察審査会の制度が変った効果によって、実は不起訴の決定が引っくり返って、小沢起訴になる可能性も結構あるというのはすでに伝えられている通りである。 面白いのは、この検察審査会の審査に、検察側はこれまでの捜査資料を提出して、なぜ不起訴の決定にいたったかを疎明しなければならないということである。 ■元検事総長が綴った「指揮権発動」の真実 ここで、いまひとつ異なる角度からこの一件を見直す必要があるという問題を提起しておきたい。 表向き、公然と行使された指揮権発動は、一九五四年の造船疑獄にあたって、検察が佐藤栄作自由党幹事長を収賄容疑で逮捕しようとしたのに対して、ときの犬養健法相がこれにストップをかけるために発動したもの一度きりということになっているが、実はそうではない。 「いわゆる指揮権発動は、昭和二九年四月、いわゆる造船汚職事件に関して行なわれたそれがもっとも有名であり、一般には、それが唯一の例であるかのようにいわれているが、必ずしもそうではない。」 必ずしもそうではないどころか、重要事件については、むしろ、一般的といってもいいくらい行使されているというのだ。伊藤栄樹は次のように書いている。 「まず、法務大臣は、あらかじめ、特に重要な事件について、捜査の着手または起訴、不起訴の処分について、法務大臣の指揮をうけるべき旨を、一般的に定めており、これにあたる場合には、具体的事件について、検事総長から法務大臣に対して請訓が行なわれ、これにこたえて法務大臣が指揮をすることとなっている。すなわち処分請訓規程(昭和二三年法務庁検務局秘第三六号訓令)および破壊活動防止法違反事件請訓規程(昭和二七年法務府検務局秘第一五七〇号訓令)に定める若干の事件がこれである。」 政治資金規正法違反は新しい法律だからこの処分請訓規程に入っていないことは明きらかだが、その後身の現行処分請訓規程に入っているかどうかは不明である。しかし伊藤はさらに次のようにも書いている。 「また、検事総長は、国会議員を逮捕する場合(ことに、国会の会期中)その他将来政治問題化することが予想されるような事件については、国会における検察権の代表者である法務大臣に対し、折りにふれて積極的に報告を行なうものと考えるが、そのような時、とくに法務大臣の指揮を仰ぐこともあると考えられる。」 今回の事件は明きらかにこの範疇に入る事件だから、当然、最終処理にあたって、千葉景子法務大臣のところに処分請訓がなされているはずである。 ■態度を一変させた小沢 問題はそのとき千葉法務大臣が何といったかである。「しかるべく」(「検察がやりたいようにやりなさい」)といったかどうかである。そのような決定を下すにあたって、千葉法務大臣が小沢に連絡して、小沢の指示をあおいだりしなかったかどうかである。 今回は、造船疑獄のときとちがって、「小沢不起訴」という方針は民主党政府と小沢の意に沿うものだったから、多分、「秘書三人起訴、小沢不起訴」という最終処分の内容を告げられても、千葉法務大臣は「それで結構です」としかいわなかったろう。 ここで問題なのは、そのような検察最終処分方針の決定にあたって、検察がそもそも証拠を純粋に客観的に評価してそのような結論に導かれたのかどうかである。むしろ、検察側がいずれ法務大臣の指揮を仰がなければならなくなる事態を見こして、民主党政府と正面衝突しなければならないような最終処分方針(「小沢起訴」)は避けたということではないのかということである。 私が今回の不起訴処分で注目したのは、当日の小沢の記者団へのコメントである。 まず石川秘書の処分に関して問われて、「検察の公正な捜査結果」といった。これまでの検察批判を繰り返し、検察との全面対決姿勢をむきだしにしてきた小沢のあまりの態度の変化にビックリした記者が、 ■事情聴取は何回行われたのか もうひとつ注目したのは、検察の佐久間達哉特捜部長の記者会見の次のやりとりだ。 そういわれてみると、最終処分に向けてことが進行している過程で、小沢が報道陣の眼を逃れて、動静不明になっていた数時間がある。一回目四時間半、二回目三時間の事情聴取も結構長いもので、二回目の聴取の後も小沢の強気の姿勢が大きく変っていてビックリしたが、それ以上に、この最終不起訴決定後の小沢の態度の変化には驚くほど大きなものがあった。 私はいつだったか、ある検事に、「(マスコミの)皆さんが知らないところで行われ、いまにいたるも誰も知らない検察の政治家の事情聴取なんていくらでもあるんです。私もやったことがありますが、なにか別の用事で国会に行ったときに、その取り調べた政治家から議会の廊下で最敬礼されて困ったことがありました」という話を聞いたことがある。 今回の事件で、まだ明かるみにでていない、そして今後とも明かるみに出ないことはいろいろあるにちがいないが、その一つが、この小沢不起訴にいたる決定過程だろう。 ■阿吽の呼吸 それがどのようなものであったかは、私も知らないが、あれほど強気だった小沢をもってして、検察を公平公正の権化のようにいわしめるような何かだったのだろう、とはいえる。その態度の変化から推しはかるに、検察は小沢を追いつめる相当の隠し玉を持っていることを小沢にある程度明かした。しかし、それを使わないで不起訴で結着をはかるという形で、小沢に大いなる恩を売ったということではないのだろうか。 なにか大きなものを検察につかまれたままで、この事件が完全結着したとはいいがたい状況の中で、検察と小沢の間で阿吽の呼吸の大きな取引が進行したということが小沢不起訴の本当の裏側なのではないだろうか。阿吽というところが大事で、このような取引は決して言葉では明示されないし、いかなる形でも証拠は残さない。だから、後からどちらの側もあったとも、なかったともいうことができる。いってみれば、その後の小沢の大いなる態度の変化がそのような取引を受けたという意思表示といえる。 ■小沢も検察も「安泰」か? 小沢は実は、自民党の最大の実力者の一人として、政界の裏側をたっぷりのぞいてきた。政治と検察の関係の裏側もよく知っており、『小沢一郎 政権奪取論』(朝日新聞出版)の中で、指揮権発動に関して以下のようなことをいっている。伊藤栄樹とは別の意味で、指揮権発動なんて、何度も行われてきたといっているのだ。 小沢 犬養法相の場合は「やるな」というほうの指揮権発動だった。法相が疑獄捜査をとめたから、国民から批判されたのだ。しかし、田中先生と金丸さんについては「捜査をやれ」という指揮権発動だった。 こういう経験を積んできた人間が、今回は政権中枢に座っており、しかも自分自身の政治生命にかかわる事態におちいったのだから、権限上も許される影響力を存分に行使したはずである。そしてそのような小沢の出方を十分に知っていた検察は、その捜査力を行使して、小沢に対する交渉力のもととなる材料をたっぷり仕込んだ上で、小沢との取引にのぞみ、「不起訴」決定と引きかえに、検察側も取るべきものはたっぷり取った(検察組織安泰)。しかし、そのような取引を表に出すわけにはいかないから、いまは検察の捜査がなぜどのように失敗したかというウラ話をさかんにリークして、それをマスコミがよろこんで書いているという状況ではないのか。 おそらく、この事件の本当の裏側が外部にもれてくるのは二十年後、三十年後ということになるのではあるまいか。私は過去二回の記事で「小沢はもう終り」と書いてきたが、不測の事態が起きないかぎり(たとえばフリージャーナリストによるバクロ、検察審査会の起訴決定など)小沢の政治生命安泰、検察の組織安泰という日々がつづくのではないか。
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