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検察という国家権力にすり寄る記者クラブメディアの醜悪(週刊・上杉隆)【ダイアモンド・オンライン:1/28】 http://www.asyura2.com/10/senkyo78/msg/904.html
【いまメディアの視聴者センターや記者クラブに抗議が殺到しているという。しかもこれまでとは量も質も違う。検察のリーク報道に『本当なのか、説明しろ、騙してきたのか』という類のものばかり。内閣でも各閣僚がにようやく疑問を呈しはじめた。 検察のリークで紙面や番組を作っている新聞やテレビに検察批判ができるのか。 (以下、転載貼り付け)
また、編集部には前例のないほどの激励の手紙やメールが寄せられているという。 そして同じ「週刊朝日」に今週も書いた。タイトルは「検察の卑劣」。 一方で、既存の記者クラブメディアには抗議が殺到しているという。だが、これまでと同じように記者クラブメディアは自らに不利な情報を一切報じようとしない。 「今回は、これまでの抗議とは量も質も違っている。『小沢が悪い、検察が悪い』ではなくて、検察のリーク報道に対して、『本当なのか、説明しろ、騙してきたのか』という例のない類のものばかりだ。正直、手をつけられない」(朝日新聞政治部記者) 「視聴者センターへの抗議の電話本数については把握していないが、相当寄せられているというのは確かだ。その8割程度は検察とその報道に対する苦情だそうだ」(NHK報道局幹部)
永田町も、検察リーク報道問題で喧しい。各閣僚が記者クラブの発表報道にようやく疑問を呈しはじめた。 中井洽国家公安委員長が「特捜部にも説明責任がある。何の事件か分からないというのが率直な感想だ」といえば、赤松広隆農林水産大臣が「検察の言うことが100%正しいということは絶対にない。冤罪捜査もいっぱいある」と語る。 「『関係者』という報道は、何の関係者なのか分からない。検察の関係者なのか、被疑者(の関係者)なのか」と原口一博総務大臣が疑義を呈し、平野博文官房長官が「あまりにも一方的に情報が媒体に出てくることで不公平感を感じるところはある。弁護士の話が出てこず、一方的に『関係者の話によると』とか、少し一方的かなあという気はする」と述べるという具合だ。 こうした発言が出るたびに、新聞・テレビなどの記者クラブメディアは「権力の横暴」「民主党の暴挙だ」と騒ぎ立てる。 当コラムの読者ならば、ご存知だろう。じつは過去にも記者クラブ問題をめぐるこの種の騒動は繰り返し発生している。 だが、それが表沙汰になることはなく、結果、日本国民にも知られない「一億総洗脳化」状態が続いてきたのだ。 ところが、今回は違う。発火点のひとつとして、ここまでの騒ぎになった理由はツイッターをはじめとするネットメディアの存在によるところが大きい。 たとえば、原口大臣はツイッター上で、海外メディアの「報道の5原則」をつぶやき、記者クラブメディアを牽制している。 原則1「推定無罪の原則」(最初から有罪であるよう印象づける報道はしないこと) 原則2「公正な報道」(検察の発表だけをたれ流すのでなく巻き込まれた人や弁護人の考えを平等に報道すること) 原則3「人権を配慮した報道」(他の先進国並みに捜査権の乱用を防ぐため、検察・警察の逮捕権、家宅捜索権の行使には、正当な理由があるかを取材、報道すること) 原則4「真実の報道」(自主取材は自主取材として、検察・警察の情報は、あくまでも検察・警察の情報である旨を明記すること) 原則5「客観報道」(問題の歴史的経緯・背景、問題の全体構図、相関関係、別の視点などをきちんと報道すること) ●原口発言に対して釈明会見を要求 海外メディアで働いていた筆者からしても、現職の所管大臣の発言という点を差し引いても、この文言には微塵の違和感もない。 原口大臣は、世界中のジャーナリストたちが守っている当然のルールを述べたまでである。ただし、それは日本の記者クラブにとっては「看過できない発言」になったようだ。 案の定、記者クラブメディアは、政治からの報道への圧力だとして、総務大臣に対して「釈明会見」を開くよう求めた。そこで原口大臣は次のように語っている。 「検察のリークというものを元にしたメディアスクラムについて昨日申し上げたわけです。ただ、その一方で、検察がリークをしていないという閣議決定をしています。その立場から、「関係者」という報道は私の立場からすると、あるいは人権を保障する、国民の知る権利、または健全な環境で情報を取捨選択する権利からすると、何の関係者か分からないわけで、検察の関係者なのか、少なくともそこは明確にしないといけないのではないか、という話をしたわけです。 取材源を秘匿してはいけないとか、あるいはここの取材についてつまびらかにしなさいと言ったということではありません。まさに自由な取材をするために、公的な機関が自らイニシャライズせず、自ら姿を見せずということはあってはならない。また意に沿わない記者をそこから排除することはあってはならないということで申し上げたわけです」 こうした正論を吐く大臣がいる一方で、新聞・テレビなどの記者クラブメディアはいまだに旧体質を引き摺ったままでいる。 ●自民党の河野議員が検察リーク報道を批判 しかし、時代は変わった。すでに多くの政治家たちが、記者クラブメディアの胡散臭さに気づきはじめている。 与党だけではない。野党自民党からも検察のリーク報道に疑義を呈する議員が現れた。 河野太郎衆議院議員である。少し長いのだが全文を掲載したい。 〈「僕が法務省の副大臣をしていたときにホリエモン事件があった。そのときにすごく気になったのが、XXXという供述をしているというニュースが毎日のように新聞やテレビで流れたことだ。 なぜ取り調べの供述が外に漏れるのか、取り調べをした検事の責任はどうなっているのかということを秘書官に調べさせた。 秘書官は検察庁にいくわけにはいかないから、法務省の幹部に副大臣がこう言っていると聞きに行ったのだろう。 戻ってきた答えは『接見した弁護士が漏らしているのではないか』 僕はぶち切れた。 当時の杉浦法務大臣は、さらに検察の聞きたいような供述をするとすぐに外に出られるけれど、そうでないとなかなか出られないという状況もおかしいと、いくつかのことを検討させた。 そのうちに小泉内閣が総辞職した。 最近の石川某がこういう供述をしているという報道は、明らかにおかしい。 日本の司法制度では、有罪が確定するまでは無罪である。 検察のリークがほしいマスコミは、まるで飼い主からえさをもらう犬のように、飼い主には吠えず、ただ気に入られようとするあまりにしっぽをちぎれんばかりに振ることになる。 検察のリークで紙面や番組を作っている新聞やテレビに検察批判ができるのか。検察がもし間違ったことをしたときに、マスコミがどれだけそれを報道できるのか。 一部のマスコミはそれを報道の自由だという。接見した弁護士が漏らしているという検察と同じではないか。今回の事件で、検察のリークを批判し、検証したマスコミがあったか。 記者クラブなる既得権にしがみつき、取材対象となあなあになっているマスコミが報道の自由などという錦の御旗をふりかざすべきではない。 検察のリークがあったと思われる場合には、法務大臣が検事総長なりに記者会見を開かせ、そうした事実があったかどうかを確認させるべきだ。 これは世界のジャーナリストたちとまったく共通の認識である。 所詮、検察は国家権力である。権力が自己防衛のためにあらゆる手段を用いるのは古今東西共通の傾向だ。 むしろ問題なのは、それをチェックすべき側にある。日本の記者クラブメディアこそが、自己を見つめなおすべきではないか。
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