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2010.1.26(その3) 森田実の言わねばならぬ【73】
平和・自立・調和の日本をつくるために[73]
《新・森田実の政治日誌》[月満つれば欠く・小沢政治の終焉(12)]無意味な紛争を求めつづける小沢一郎〈その5〉独善的、独断的、強制的な小沢改革は有害である
「高慢には必ず墜落がある」(シェークスピア)
自民党政権時代、役人が「内閣の統轄」の範囲を超えたように見えたのは、閣僚の能力が低く、指導的官僚に頼りすぎたためであった。自民党政権は、1970年代までは、一部の例外を除いて、閣僚の質が高く、「内閣の統轄」は貫かれていた。「内閣の統轄」が弱まったのは、もっぱら閣僚の能力の低さに原因があった。
民主党の「脱官僚・政治主導」は、民主党の国会議員は指導的官僚よりも能力が高いことを暗黙の前提にしている。経験ある指導的官僚を排除し、民主党の大臣、副大臣、政務官が全責任をもつという体制を築こうとしているが、ここにあるのは民主党政治家の能力についての過剰な自信である。小沢民主党の幹部には謙虚さが欠けている。
今日の日本の国家機構は巨大である。行政事務を行っている行政官だけで数十万名になる。民主党国会議員がたとえ能力的に高いとしても(事実は民主党議員の能力は低い)、わずか四百数十名の国会議員が数十万の役人の仕事を代行することはできない。また、各官庁の指導的官僚の数は数千名である。彼らは数十年の経験をもつ専門家である。民主党議員がいくら優秀だとしても(事実は優秀ではない)これら数千名のキャリア官僚の仕事をすべて代行することは不可能である。
大切なことは、官僚を内閣の統轄下におくためには、内閣の方針、政策、理念、手段を、キャリア官僚にしっかりと理解させなければならない。きちんとした相互理解の確立によって、内閣の統轄を十分に貫徹することが可能となる。必要なのは「説得」である。
しかし、小沢一郎や鳩山由紀夫や菅直人は、内閣の統轄を相互理解によってではなく、力ずくの強制によって行っている。ここに民主党の政治主導論の致命的弱点がある。
たしかにイギリスにおいては、内閣の指導性が発揮されている。内閣と行政機関の間の垣根は明確である。しかし、根本にあるのは内閣と行政官との相互理解と相互信頼、相互尊重である。イギリスの官僚は、政治から尊重されている。だが、小沢一郎や鳩山由紀夫や菅直人がやっているのは相互尊重による内閣の統轄ではなく、上からの強制的統轄である。
日本社会の根本にあるのは「和を以て貴しと為す」(聖徳太子の十七条の憲法第一条)である。政治と行政機関の根本は「和の精神」でなければならない。
小沢一郎と菅直人は、イギリスの政治制度の相互尊重の精神を学び、その相互尊重の精神を日本に導入するのではなく、イギリス的形式主義を力ずくで導入しようとしているところに、混乱の原因がある。木に竹を接ぐようなことしてはならない。
現在、小沢一郎と検察当局との間に緊張ある交渉がなされているが、この「交渉」を小沢一郎対全官僚の対立抗争の構図の中で捉え直してみる必要があると、私は思っている。(つづく)
・Re: (再掲) 小沢一郎の「官僚と闘う」という衣の裏に隠されている不気味さ
http://www.asyura2.com/10/senkyo78/msg/567.html
投稿者 仁王像 日時 2010 年 1 月 24 日 21:56:44: jdZgmZ21Prm8E