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外国人参政権と温故知新
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投稿者 Samurai 日時 2010 年 1 月 25 日 00:13:48: wokmPW08.LJiQ
 

GENKIのブログより
http://ameblo.jp/hirokane604/

民主・連立政権の外国人関連法案の背景には多くの利権・思惑があり、一概に賛成というわけにはいかない。

朝鮮のことわざというものが有る。
http://2chcopipe.com/archives/51388617.html

「女は三日殴らないと狐になる。」
「他人の牛が逃げ回るのは見ものだ。」
「他人の家の火事見物をしない君子はいな。」
「弟の死は肥やし。」
「梨の腐ったのは娘にやり、栗の腐ったのは嫁にやる。」
「母親を売って友達を買う。」
「営門で頬を打たれ、家に帰って女房を殴。」
「姑への腹立ち紛れに犬の腹をける。」
「あんな奴は生まずにカボチャでも生んでおけば、煮て食べられたものを。」
「人が自分にそむくなら、むしろ自分が先にそむいてやる。
「家と女房は手入れ次第。」
「野生のまくわ瓜は、最初に独り占めした物が持ち主だ。」
「らい病患者の鼻の穴に差し込まれたにんにくの種もほじくって食べる。」
「一緒に井戸を掘り、一人で飲む。」
「自分の食えない飯なら灰でも入れてやる。」
「川に落ちた犬は、棒で叩け。」
「泣く子は餅を一つ余計もらえる。」

およそ日本人には受け入れられるものではない。

しかし、それは感覚的なものだ。

ただ、この世の摂理に反している・・・・ような気がするだけだ。

日本人のその感覚を一概に道徳的とは呼ばない。

戦後の日本人が失いつつある感覚であることは間違いない。

永住外国人地方参政権法案がまさに提出されようとしている。

そもそも日本人とは何か、今の日本人では、韓国人・中国人と見分けがつかない。

見分けがつかなくて良いのかもしれない。

しかし、売国・売国と叫ぶ保守派がいる。国益・国益と叫ぶ評論家たちがいる。

領土、領海、領空だけの問題ならば、静かなる侵略の前に余りにも日本人は無防備ではないか。

我々は、もしかして日本国籍を持つ、日本人らしき者なのかもしれない。

日本人何たるかを見出さず、何かに扇動されるかのような差別や排除は、戦前まで行われていた欧米白色人種によるアジアの迫害・殺戮・侵略となんら変わらない。

子供をしかる時に、その訳を話さず殴る事があれば、紹介したことわざの観念まで引きずり下ろされる。

「自虐史観」の対のベクトルにあるものは「正しい歴史観」ではない。

有史より綿々と我々と共にある「皇国史観」ではないか。

戦前に回帰するものではなく、侵略国の烙印を押された戦後でも、アメリカによりこじ開けられた明治以降でもない。

それは、成文憲法の裏にあり、日本人の根底に流れ、決して窮屈ではなく自由闊達にして縦横無尽。

何者にも囚われず、時代によっては多様な変化を許容するものである。

日本は戦後多くのものを失った、しかしかけがえの無い成長も遂げている。

平和ボケではない、平和を愛する心を学び、かけがえない事を知った。

皇国史観に邪な考えを織り込む事はもはや無いであろう。

日本人とは何か、温故知新とは何か、立ち止まって考える良い機会になるのかもしれない。


 

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コメント
 
01. 2010年1月25日 00:40:22

皇国史観を持った国が何をするか?

それは他国への侵略しかない。

当たり前だ。自分らが絶対だからだ。

それは一神教の原理主義=カルト宗教だ。

裏では戦争屋がそれらに資金を出している。

日本人とは何か?そんな事に答えはないし

答えを出す必要もない。

大事なのは平和であり、人と人との横の繋がりである。

国境等、幻想だ。


02. 2010年1月25日 00:46:53

皇国史観の挙げ句に、戦争屋の戦争に巻き込まれ、

挙げ句に「平和を愛する心を学び」

また皇国史観に戻るのか?

本当にボケてるな!!!

っつうか、戦争屋ってしつこいなあ。。。


03. 2010年1月25日 00:52:04
file:///Users/RustySteel/Documents/虐殺を楽しんだ殺人狂の中隊長.html

戦争を知らない世代へ

虐殺を楽しんだ殺人狂の中隊長 日中戦争の真実 中谷孝(元日本軍特務機関員)


  戦後62年経ち最近は日中戦争を正当化し美化する読物や漫画まで出現している。確かに戦場には美談もある。個々の兵士に罪はない。然し中国人に与えた 損害・危害は莫大である。「勝者は何をするのも勝手だ」と云う驕りが無法行為を生んだ。私は誤った戦争観を正す為、今迄口にすることの無かった事実を話す 気持ちになった。この話に粉飾は無い。現地盧州(現・合肥=ホフェイ)の古老が証言してくれると思う。 
 
 「臆病な兵隊に度胸を着けるには人を殺して見せるのが一番だ。それも成るべく残虐に」そんなことを言う男が中隊長になっていた。私は口にしたことの無かった戦場の真実を伝え残すことになった。 
 
 昭和19年(1944)12月、単身寿県に情報拠点を設けていた私は突如、盧州班に転勤を命じられた。不本意であったが止むを得ない。 
 
 盧州は合肥と云い安徽省有数の古都であるが、2年前日本軍が准南鉄道のレールを外して南方戦線に運んだ為極端に交通が不便になり、暗く陰気な街であっ た。此の街に駐屯する日本軍は2個中隊。古姓(こしょう)中尉と合田中尉がそれぞれの隊長として警備に当たっていた。着任して先ず感じたのは、昭和13年 の漢口攻略の折、北側ルートの拠点となった街で占領以来既に6年以上経っているのに全く復興していないことである。南の揚子江と北の准河と云う交通の大動 脈に挟まれて産業も振るわず、加えて日本軍に鉄道外された為、疲弊に拍車が掛かった状態になっていた。 
 
 それにしても日本軍と住民の接触交流を全く見ないのである。占領後、1、2年経つと住民も兵隊に馴れて休日外出の兵隊と子供や住民の間に笑顔の片言が交 わされるだが、此の街ではそれが全く無い。住民は日本兵を避けている、何だかおかしい。次第に盧州の特異な事情がわかって来た。原因は警備隊にあった。そ れも古姓中尉が元凶であった。 
 古姓中尉は兵卒からのたたき上げで、一見40歳前後、背は低く浅黒い風采の上がらぬ男であるが立派なカイゼル髭だけが目立っていた。此の男の評判は最悪 であった。合田中隊の兵隊が嘆いていた。「休日に隊外酒保(軍の委託する食堂・売店)に行っても饅頭が汁粉はすぐ売り切れでなかなか食べられないが、古姓 中隊の休日にはいくらでも食べられる。酒保のバアサンが古姓中尉と出来ているから仕方無い」。 
 
 因みに酒保の砂糖や小豆は軍の経理部が支給していた。特務機関の秦班長は“触らぬ神に祟り無し”と云う方針で、古姓中尉が特務機関の職権である中国行政 機関の管轄を犯し、行政に干渉しても見て見ぬふりをしていた。部隊と中国行政機関の折衝は必ず特務機関が介在するように軍司令部から通達が出ていた。 
 
 古姓中尉の許し難い行状が次第に判明してくると、放置したら一大事と思うようになった。殺人狂なのである。彼の見る中国人は虫けら同然であった。難くせ をつけてなぶり殺しにするのを無上の楽しみにしていた。信じ難いことだが事実である。古姓中尉の密偵と称するならず者が居て、通敵行為が有ったと云って住 民を拉致して来る。中隊に通訳はいない。ろくに調べもせず特製の手枷足枷を付けて転がし、中隊の輪の中で2頭のシェパードに噛み殺させて楽しんでいた。 
 
 此の噂は街中に知れ渡り恐怖の的になっていた。後日私が古姓隊を訪れた時、衛兵所の目立つ所に大きく「手枷」「足枷」と墨書してかけてある実物を目にし た。住民が日本兵を恐れるのは当然である。このままでは住民が敵側に回り治安が悪化する。戦争は既に末期的である。東京大空襲、硫黄島決戦の頃である。遠 からず来るであろう最後の決戦を戦えるのか。 
 
 秦班長が蚌埠出張中の留守に事件が起きた。警察の汪署長が青ざめた顔で現われた。城門警備の警察官が通行者に金銭を要求した云って呼び付けられたのであ る。署長も古姓の名に怯え上がっている。一介の中隊長にそんな権限は無い。私が同行することにした。中隊本部を訪れるのは初めてであった。先ず目についた 衛兵所の手枷足枷が異様であった。古姓中尉は椅子のクッションに深々と座り大きなシェパード2頭を左右にはべらせ、酒保特製の餅菓子を食べていた。相手を 威嚇する常套手段であろう。署長は青ざめている、1メートル余り前方にシェパードの鋭い眼が睨んである。 
 
 私は先ず警備隊が直接中国行政に口を挟むことは軍律違反であると告げると、「通達がなんだ、司令部の奴等に現地のことがわかるか、そんなものに従ってい たら治安は保てん」と大声で怒鳴り始めた。激論となりシェパードは頭を下げ縮めて、何時でも跳び掛かる体勢である。2頭の犬は主人の「掛かれ」の命令を期 待している様に見えた。正直、相手が動物であるだけに恐ろしい。間違って飛び掛かられたら大変である。思わずブローニング(拳銃)に手をかけ安全装置を外 した。途端に古姓中尉が態度を豹変させた。予想外の激論となり自分が撃たれるのを恐れたのであろう。「まあそんなに興奮するな、よく話し合って決めればい い」と突然話を打ち切った。 
 
 その4ヶ月後の敗戦である。軍司令部から各部隊駐屯地に於いて武装解除に応ずる様通達があったたが突然の事態に狼狽し混乱していた。私は中国軍と接触す る様提言したが、古姓中尉は猛反対、早速脱出して准南に向かうと主張する。彼はこの地で武装解除すれば自分が無事で居られないことを知っていた。結局8月 19日未明脱出を強行した。既に城外に集結していた中国軍から銃撃を受けたが戦門を避けて一路准南へ向かった。全く日陰の無い炎天下3日間の行軍は、脱水 症の死者も出たが脱出に成功した。私は准南で部隊と別れ、蚌埠へ向かった盧州警備隊のことは忘れていた。 
 
 その後南京で総司令部関係者から要請を受け中国軍総司令部に留用された私が、昭和21年8月頃復員して訪ねた蚌埠機関の同僚から聞いた話に驚いた。あの 古姓中尉が蚌埠で身の危険を感じ徐州に逃亡したが逮捕され、民衆にリンチを受けて殺され、晒し首になったと云う噂を上海で帰国待ちの間に聞いたと云う。真 偽は不明であるが確度の高い話だと思っている。 
 
 中国の民衆は当時、日本兵を“鬼子(クィズ)”と呼んだ。凶暴野蛮と言われた日本兵だが、戦場は古今東西、残虐であり、勝者は粗暴であり野蛮に振舞っ た。然し古姓中尉の蛮行は常軌を逸していた。彼の様な異様な残虐性を持つ人間が日本軍の下級幹部にいたことは残念乍ら事実なのである。 
 
 彼は極めて異常な人間であったが、戦争は人間を異常にする。紳士が鬼になることもある。現在の戦争でも報道は避けているが極めて残虐野蛮な行為があると、噂に聞く。戦争そのものが殺人を正当化する、超野蛮な大量殺人である。戦場は今も変わらぬ無法地帯なのだ。


04. 2010年1月25日 00:53:27

皇国史観の挙げ句に、戦争屋の戦争に巻き込まれ、

挙げ句に「平和を愛する心を学び」

また皇国史観に戻るのか?

本当にボケてるな!!!

っつうか、戦争屋ってしつこいなあ。。。


05. 2010年1月25日 00:57:00
>01

>大事なのは平和であり、人と人との横の繋がりである。
>国境等、幻想だ。

国境は幻想ですか・・・・
私はそこまで進歩的ではなかった・・・・


06. 2010年1月25日 01:15:30
国境が幻想だと思う人は、
手近なところでは朝鮮のDMZにでも行って南北を行き来して見せてください。

07. 2010年1月25日 01:47:40
>>6

国境は幻想です。南北統一になれば、行き来できる。
土地に線を引いているのは誰かな?線を引いても風が波が植物が、人が引いた線など消してしまうよ。


08. 2010年1月25日 03:04:18
皇国史観ってアホ丸出しだな〜。自分の先祖の話を聞けばすぐ分かると思うけど
国民の9割は昭和30年まで食うや食わずの厳しい生活。戦争中だって軍人などの
公務員は給料も食料も一般の人間より多く貰っていた。江戸時代なんかも公務員に
あたる代官なんかがむちゃくちゃやったせいで天領でも餓死者が出ている。
戦後も旧軍人だけ軍人恩給を貰って40歳くらいでも本業以外に恩給貰って80歳ぐらいまでに6000万くらい貰っている。軍人恩給は自分の年金とは関係なくもらえるし、その認定作業は旧軍人がやっていたから虚偽もいっぱい。一般の戦争被害者、特に原爆被害者は最高裁まで争って少ない健康給付を出来ないようにする。
15年くらい前まで毎年2兆円の軍人恩給が支払われていたのをみんな知らない。
全自衛隊員の給与より多かったんだよね。皇国史観を振りかざしてどうするの?
何が言いたいのかわかりません。庶民は明日の飯のことが心配なのに。韓国や中国も国民がきついめにあっていたからそんな格言が出ると思う。日本にそういう格言が出ないようになって欲しいですね。公務員の給与が民間平均の3倍という現状ではムリかな〜。

09. 2010年1月25日 09:38:42
日本国は、好むと好まざるとに拘わらず、天皇陛下を象徴に頂く立憲君主制民主主義国家である。

これを受け入れられなければ、憲法を改憲し、皇室を廃止しなくてはならない。

>代官なんかがむちゃくちゃやった
>天領でも餓死者が出ている

デフォルメな表現をされたと思うが、時代劇趣味か、八幡和郎あたりの日本に良い時代は無かったなど、恣意的歴史検証に心奪われているとすれば残念なことである。

寛永の大飢饉・享保の大飢饉・天明の大飢饉・天保の大飢饉などの大飢饉にあたり、天領以外の諸藩でも飢餓を1名も出していない藩も多くある。

ちなみに江戸時代に、時代劇で言われる「天領」は無い。「御領」もしくは「支配所」と呼ばれていた。

日本が良い国ではなかったというプロパガンダは、大凡戦後アメリカ占領政策に盛り込まれ、この為の焚書も多く行われ、多くの日本人を骨抜きにしてきた。

長い歴史の中で見れば、戦前・戦中の歴史認識など些細な問題でしかない。

他国による焚書などは7世紀から行われている。

田沼意次が賄賂政治などという、浅い検証の歴史教科書を見ると、政・官・財・電だけではないもっと根深い教育問題が感じられる。

教師に苦言を呈しているのではない。

日教組に所属しようが、それ以外の団体に所属しようが、生徒と真剣に向き合う日本人である事には変わりない。

民主党が日教組と組むのも、票欲しさではなく、これからの教育を共に見直す考えがあるからだと考える。

>日本人とは何か?そんな事に答えはないし答えを出す必要もない。

知らずともよいというご意見では無く、知らずとも生きられるの意味である事と思うが、人類は、過去を歴史を通じて正しく知り、今を生きる糧としなけれればならない。

これを否定されるならば、日本の歴史も世界の歴史も学ぶ必要がなく、世界から歴史教育が葬り去れる。

また、日本人を無理に定義するものでなければ、絶対視する為でもない。

この度の、検察の問題に関し、隷米従属の体制より脱却しても、歴史と正対する心を持たなければ、元の木阿弥である。


10. 2010年1月25日 10:53:53
私の先祖は九州の天領で飢饉の頃に幕府に代官の非業を住民のために直訴したけど
戻ってすぐに代官につかまり、打ち首にあいました。代官は栄転したけど子孫が待ち伏せ、あだ討ちに成功!という歴史もあります。支配される一般人にとって皇国史観もへったくれもないんだよね。支配者気取りで何が言いたいのかわからんばい。

11. 2010年1月25日 11:10:30
皇国と言う言葉に、戦後のフィルターをかけると、こういうコメントの連鎖になる。

>代官につかまり、打ち首にあいました。代官は栄転したけど子孫が待ち伏せ、あだ討ちに成功!

仇打ちに成功した栄えある一族は、その後磔け獄門となるで、先祖ではなく同じ部落の言い伝えか?

何れ根拠の無い話が出て、

>皇国史観もへったくれもない。
という事になる。

>わからんばい
九州弁で其処まで言うか


12. 2010年1月25日 11:37:37

代官の深イイ話し

天保の飢饉に石川郡浅川代官島田帯刀は、独断で幕府の貯蔵米を領内の村民に配分し、窮民の救済に充てた。このため帯刀は、浅川代官を罷免されたが、のち天保14年(1831)桑折代官となり、再度楢葉郡の幕領を支配した。報恩碑は、郡内に11箇所あるが、人々がその碑の前を通るたびに帯刀の徳を慕って報恩、謝徳の涙を落とさないものはなかったとの伝えから落涙の碑とも呼ばれている。石塔群の中には伊勢街道で多く見かける山神がある。

士農工商の身分制度と、皇国観念はまったく異なる次元とおもうが・・・


13. 2010年1月25日 11:55:25
>11 大分県日田市の歴史になっているんですがね〜。5mくらいの石碑まであります。直系の祖母に聞いていました。直訴の血判書もあるんだけど。今住んでる場所は
海軍のおひざもとだったけど戦前の雑誌にはアメリカ映画の宣伝も載っている。戦時中だけは特別異常な時代だったんだよね。自虐史観とか言っている石原さんなんかは戦中に海軍とつながりがあった父親の威厳をかさに来ていばりちらしていたのを戦後周りにフルボッコされたトラウマから右がかったことばかり言っていると小樽の知り合いは言っていました。案外そういうことなんだろうね。一般人にとって皇国史観
なんてのはどうでもいいんじゃない?事実、戦後は右翼もアメリカ側に立って運動
していたしね。

14. 2010年1月25日 12:36:22
穴井六郎右衛門

 1676−1746年。馬原村の庄屋の長男として生まれ、凶作に備えた新田開発や水路改修などにあたり、人望を集めた。日田玖珠13村から集めた630余の連判状を携え、幕府に直訴したことから、約10カ月間投獄された後、法度を犯したとして処刑された。その後、幕府が調査した結果、「直訴には道理あり」とされた。亀山公園(日田市)に顕彰碑がある。

>子孫が待ち伏せ、あだ討ちに成功!

は?


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