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森田氏を読みたくないなら飛ばせばよかろう。アップすること自体を排除しようという精神は異常だ。いずれ阿修羅が歴史的評価を受ける時、貴重な証言になる。/仁王像
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2010.1.22(その3) 森田実の言わねばならぬ【60】
平和・自立・調和の日本をつくるために[60]
《新・森田実の政治日誌》[月満つれば欠く・小沢政治の終焉(8)]無意味な紛争を求めつづける小沢一郎〈その1〉巨大な官僚機構への無謀な戦争
「争気ある者とは与(とも)に弁ずる勿れ」(荀子)
[やたらに人と競い合う性質の者とは、事の是非を語り合うことはしないほうがよい(諸橋轍次『中国古典名言事典』)]
新たな敵=官僚機構への小沢一郎の思慮なき挑戦
小沢一郎の巨大権力形成の秘密は小沢一郎の並外れた「争気」にある。小沢一郎が破壊者と呼ばれる原因もここにある。争気ある者は、つねに敵をつくり、その敵に向かって味方をつくり大動員することによって自らの陣営を固める。だが同時に、破壊をつづける。
小沢一郎は政治権力の魔力に触れて以後、あたかも敵を求めつづける剣士のごとく、敵を攻め、敵と戦いつづけてきた。最初の敵は、自らの師匠にあたる竹下登元首相だった。竹下との戦いに敗北すると、次は自民党を外側から倒す道を選んだ。1993年、細川護煕非自民連立政権を樹立することによって宮沢自民党政権の打倒に成功した。しかし、自らの「争気」によって、自らがつくった細川政権を破壊してしまった。
小沢一郎は、あまりにも強引な政治手法が禍して政権を失った。次は橋本自民党(竹下体制)と対決するため公明党と連携して新進党を結成して挑戦したが敗北し、野に下った。
その後は、勢力拡大のため、小渕恵三内閣との連立政権のパートナーとなった。自自連立、自自公連立政権に参加したが、利用されたと知ると連立を解消し、野党に戻り、民主党との連携を模索し民主党との合併に成功する。民主党内で勢力拡大をはかり、ついに2006年4月、民主党代表のポストを手に入れた。
これから小沢一郎の自民党打倒、民主党政権樹立への新たな戦いが始まった。小沢は2007年7月の参院選に勝利し、自民党政権打倒への基礎を築いた。さらに、度重なる自民党の失敗に乗じて2009年8月30日総選挙に勝利した。だが、この大勝利の瞬間から、次の転落を自ら準備し始めている。それが無意味にして無謀な官僚機構との戦いである。(つづく)