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石川知裕代議士が逮捕された翌日、鳩山由紀夫首相が小沢一郎幹事長に「戦ってください」と述べた。もし、小沢に何のやましいこともないならば、民主政治を守るために戦うことこそ必要である。しかし、この戦いの意味づけを誤れば、最初から勝ち目のない戦いに突入し、玉砕するという悲惨な結末が見えている。小沢が転べば民主党政権が倒れ、民主党政権が瓦解すれば日本の民主政治が再び混迷に陥る。小沢および民主党の首脳には、十分な戦略を練った上で戦いに臨んでほしい。 小沢が検察と裁判闘争を戦うと考えているとすれば、それは最悪の錯誤である。仮に最終的に無罪を勝ち取ることができるとしても、それまでの長い戦いの中で民心は民主党を離れ、政党政治はあてどのない漂流をつづけるに違いない。それは、政権交代に希望を託した国民にとって、迷惑千万な話である。 今回の戦いは、あくまで政治闘争である。裁判闘争では、挙証責任は検察が負う。検察が犯罪事実を証明できない限り、小沢側は潔白である。しかし、政治闘争とは、リングに上がって相手と殴り合う戦いではなく、国民環視のもとでどちらが説得力、訴求力のあるパフォーマンスをするかという戦いである。したがって、政治闘争ではむしろ小沢が挙証責任を負うことを覚悟すべきである。 その点は、小沢と民主党が今まで何と戦ってきたのかという点とも重なり合う。民主党は、政治家が公共事業の上前をはねる、疑惑があっても多数党の力で国会における真相解明に蓋をするなどといった古い政治の手法や体質を破壊するために、今まで戦ってきたのではないか。その努力が昨年夏、ようやく実を結んだばかりである。 政治変革の大業が緒に就いたばかりなのに、検察が横槍を入れたという小沢の憤りは、小沢の指導力に政権交代の希望を託した私には、よく分かる。しかし、小沢は今回の戦いを裁判闘争に矮小化してはならない。国民生活や景気対策を盾に野党の追及を封じるというのは、民主党が否定してきたはずの古臭い手法である。小沢および民主党が政治変革を実践したいならば、自ら進んで国会や公開の場に出て、あらゆる質問に対して自らの言葉で答えることで、検察に対して先手を取るべきである。そうした捨て身の戦いをしなければ、今回の危機を乗り越えることはできない。小沢個人にそうした決断ができないならば、民主党という政党の政治的能力が問われることとなる。 繰り返す。政権交代が烏有(うゆう)に帰すならば、国民は民主政治に絶望するしかない。日本の政党政治が瀬戸際にあることを、小沢および民主党の指導部に銘記してもらいたい。(1月19日朝日新聞) |