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(回答先: 「説明責任」:言葉は使いようで社会を殺す 投稿者 Ozeki 日時 2010 年 1 月 21 日 17:01:27)
↑ ここにある記事を国会議員、とりわけ民主党の議員に読んでもらいたいと思う。
ところで「見える化する」と言う言葉は、たとえばこの言葉を最初に使ったトヨタの定義に従えば、「隠れている問題を見えるようにして解決する」という意味ではないようだ。
ここには実は解決するというところまでは含んでいない。しかし、「物事は問題を表に出して見えるようにすれば、その時点で問題の9割方は解決している」というものなのだそうだ。
そういう意味からすると、今回の小沢問題は日本人にとって大いなる福音になる可能性がある。見える化されたのだから。
検察がこれほどの危うい権力の行使を行っていたことをほとんどの日本人は知らなかった。また、マスコミもそれに片棒を担いでいたことも知らなかった。今それがようやく「見える化」されようとしている。
こうなれば後は知恵のある人がその問題を解決する仕組みを作るだけであろう。いずれにしても時間を後戻りさせることは出来ないのだ。
たとえばわれわれは、新聞テレビなどへ、適切なブレーキをかける仕組みを作る必要がある。そこのスポンサーに対しいつでも穏やかな拒否の意思表示ができることが望ましいであろう。そういう仕組みを作る必要がある。
あるいは、検察官のOBに対しても、一般的な評価を下げる必要があるかも知れない。一般の検察官まで関係ないではないかという反論は成り立ちにくいと思う。それが社会的制裁というものだからだ。不祥事を起こした会社の社員は形見が狭いものなのだ。それと同様である。