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http://www.cyzo.com/2010/01/post_3688.html
池田大作ミイラ化計画もあった!? 元公明党委員長が綴る「虚飾の王」との50年
公称会員数827万世帯(創価学会発表)の宗教法人「創価学会」(以下学会)。そのトップに君臨する池田大作名誉会長の実像に迫る本『私が愛した池田大作「虚飾の王」との五〇年』(講談社)が話題になっている。著者の矢野絢也氏は公明党の政治家として書記長や委員長など最高幹部を歴任し、1993年に政界を引退。その後、政治評論家として活動中だ。
バリバリの"エリート学会員"だった矢野氏と学会の決裂が決定的となったのが、05年のいわゆる"黒い手帖事件"。氏が公明党時代から約40年にわたり、政治活動の詳細や学会の重要事件の表裏を記録してきた100冊に及ぶ手帖が、公明党議員OBらにより持ち去られる事件が発生。矢野氏は、学会の暗部も記されたこの手帖の返還と、元国会議員3人にそれぞれ1,000万円の損害賠償などを求めて提訴した。一審では矢野氏が敗訴したものの、09年3月の控訴審判決では一審判決が取り消され、元公明党議員らに手帖の返却と300万円の支払いを命じる逆転判決が下された。その後の最高裁で矢野氏の勝訴は確定、昨年10月には約4年ぶりに手帖が手許に戻ってきた。
矢野氏は一連の騒動を『黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録』(同)として昨年2月に出版。発行部数は5万部を超え、学会問題に対する注目度の高さが浮き彫りになった。
今回の『私が愛した──』は、講談社のノンフィクション雑誌「G2」に掲載された『手記 池田大作と私』を大幅に加筆・改稿したもの。筆者の矢野氏が言う。
「これまで池田氏については、批判的か盲目的かの両極端な視点でしか書かれてこなかった。この本では、私が1950年代に初めて会って以来、半世紀に渡って見てきた池田氏の『生』の人物像を記したつもりです」
矢野氏によれば、学会は池田氏個人の意向が極めて色濃く反映されている集団だという。
「創価学会とは、実質的には名誉会長である池田氏を仏と仰ぐ池田大作一神教なんです。すべての決定が池田氏の意向に添う形で決められる。反論したり、諌めたりするブレーンは一人もいません。結果的に真実が見えなくなる。一言で言えば、裸の王様ですよ」
『私が愛した池田大作「虚飾の王」
との五〇年』(講談社) 実際、本書に記された池田氏を取り巻く環境は驚くべきことばかりだ。学会が全国に所有する施設の多くには、池田氏だけが使える豪華専用施設が作られることが多かったという。箱根や軽井沢の研修道場には池田氏専用の家が併設され、内装は十何畳敷きの寝室にヒノキ風呂や厨房、身辺の世話をする女性職員用の部屋、といった具合。学会が建設費用に支出する総額の実に3分の1が、池田氏専用施設に費やされていたという説も紹介されている。
事実であれば、税法上極めて大きな問題だ。事実、77年に民社党(当時)がこれを問題視し、宗教活動に使われていなければ課税対象とすべきだと主張。慌てた学会は、全国の専用施設を「資料室」「記念室」と名前を換え、さらに「せっかく作った庭園はつぶされ、(中略)プールつきの施設もあったが、学会系列の建設会社がトラックで土を運んで、埋めてしまった」(本文より)という、驚くべき事実が記されている。矢野氏が当時を振り返る。
「わずか数日の出来事でした。恐るべきは組織力です。痛いところを指摘されると飛び上がって狼狽するのも彼の特徴です。ちなみに豪華施設は、ほとぼりが冷めたらまた復活していましたけどね」
また、学会にはかつて、池田氏のミイラ化計画をまじめに考える幹部もいたという。
「私が公明党の書記長だったころ、池田氏が亡くなったら遺体をミイラにしたいのだが、との相談を受けたことがあった。(中略)キリスト教などの歴史を学んで、同じように池田家を聖家族に奉り上げるにはどうすればいいか、どのように奇跡を演出すればいいのか、真剣に考えるである」(本文より)
「日本では死体損壊罪に問われる」との矢野氏の説明に対し、この幹部は「政治の力でなんとかならないか」と食い下がったという。
党や大学まで所有する異質なマンモス教団と、それを作り上げた稀代の宗教家。矢野氏は今、彼らに何を思うのか。
「無名の一青年だった自分を国政にまで引き上げてくれたのは、他でもない池田氏です。昔は池田氏もいいアニキ的な存在だったし、『タダで動くのは地震と学会』と言われるくらい金に執着しない組織だった。今は年に数千億円も集める金儲け集団です。なぜ池田氏はそうなってしまったのか。この本は池田氏にこそ読んでほしい。そして、当時の熱い気持ちを思い出してほしいですね。まぁ、無理だと思いますが(笑)」
半世紀の時を共に生きたかつての弟子の言葉が、センセイの耳に届くことは果たしてあるのだろうか。
(文=浮島さとし)