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大日本帝国憲法の清算
1明治維新という革命 国のあり方を最終的に決める力の主体が変わることを革命とすれば明治維新が革命だったことは確かだ。革命の中核を担った者たちは自分たちの権力の最終的源泉を天皇においた。権力にともなう暴力機構発動の権限を兵馬の権としその権限を統帥権と名づけて天皇に帰属させた。
暴力機構の軍に関する事項は天皇すなわち革命勢力の中心とした。かくてイザという時には天皇の名において、天皇の名においてのみ軍隊を動かし状況の実力的解決を図ることを確保した。内閣総理大臣は天皇が任命し議会の信任に依拠するものではなかった。内閣の軍に対するコントロールはただ予算を通してのみであった。これを典型として他の文官も天皇の官吏だった。天皇に対して無定量の忠誠義務を負った。軍隊を典型とする行政権は議会に対して何の責任も追わなかった。かくて政府が膨張し続け統制が効かなくなった.軍隊は気に入らない政治家を殺すことができた。好き勝手に戦争を始めた。何度かうまくいった。繰り返しているうちに大東亜戦争になだれ込んで国家もろとも破滅してしまった。
2 占領軍は軍人を戦争犯罪人として裁いた。これを不服として暴動は起きなかった。国として運営するためには行政機構が不可欠である。統帥権の言葉は無くなった。帰属主体の天皇は権力の座を降りた。
文官は残った。戦後の統治機構は文官が担うこととなった。議会は成熟してなかった。当然である。国民主権を経験したことがなかった。かくして全ての権力が官僚機構に属するものとなった。占領軍も官僚を通じた間接統治が好都合だった。官僚機構は実質上統帥権を取得したのである。統帥権を行使するにふさわしいシステムは残っていた。法律の内容をコントロールするための場として事務次官会議があった。
裁判所もそのまま残って、司法権の独立という強大な地位を得た。かくて官僚は単なる公務員から身分となった。閉じたサークルとして機能するためには独自の文化を持つ必要があった。継承者は自分たちで決めることが必要だった。まだ無力だった議会はその構成員の供給を官僚に求めた。この到達点がバブル経済だった。破裂してしまった。思い返すと全ては泡沫(うたかた)の夢となっていた。権力が議会に回ってくるだろうと気づいた議員たちが蠢き、何人かは非業の死を遂げた。生き残った者は同士を募った。新しい政党が、かつ生まれ、かつ消えては収斂していった。
3選挙があった。今までの政権党が負けた。しかし行政機構を担うものは変わらなかった。当然変えたくないものが出て来る。適応しようにも出来ないものが出て来る。摩擦が生じる。通常これを称して権力闘争という。