★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK78 > 119.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
田中良紹さんのブログは、初めて読みましたが、なかなか読み応えがあります。
以下、転載。
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2010/01/post_205.html#more
またまた先進民主主義国ではありえない政治スキャンダルが勃発した。東京地検特捜部が政権政党の幹事長秘書を政治資金規正法違反容疑で次々逮捕したのである。たまたま佐藤栄佐久前福島県知事が書いた「知事抹殺・つくられた福島県汚職事件」(平凡社刊)を読みながら旅していたので、「またか」と思いうんざりした。
先進民主主義国にも政治スキャンダルはあるが、これほど頻繁に「政治とカネ」の問題で大騒ぎする国も珍しい。政治家がスキャンダルで失脚するのは発展途上国の政治の特徴だから、日本は民主主義が未熟な発展途上国並と世界からは見られる。なぜこれほどに頻発するのか。日本国民は質の悪い政治家ばかりを選んでいるのか、それとも政治資金規正法が先進国とは違うのか、あるいは法を執行する検察官僚に問題があるのか。「知事抹殺」では、霞ヶ関と闘う事で知られた前福島県知事が、検察に事件をでっち上げられ、無実の罪を着せられたと悲痛な叫びを上げている。
私は「政治とカネ」の話を聞く度にこの国の民主主義の幼児性を痛感させられる。私が知る限り先進民主主義国で政治家に求められているのは「悪人であること」である。何故なら国家の富を狙う他国から国家と国民を守るため、「騙し」や「脅し」が出来ないようでは安心して政治を任せられないからである。国民の暮らしを守り、外国と渡り合える力を持つ政治家なら、多少のスキャンダルなど問題にしない。それが「成熟」した国の考え方である。
離婚を認めないカソリックのフランスは不倫に寛容である。政治家の性スキャンダルはまず問題にならない。しかしカソリックの世俗化を批判したピューリタンの子孫であるアメリカでは、政治家の性スキャンダルがかつては命取りになった。ところがクリントン大統領の性スキャンダルが暴露された時、アメリカ経済は好調で、国民は支持率を下げさせなかった。これを見たフランスは「アメリカもやっと成熟した」と評価したのである。
アメリカで政治家になるには「カネ集めの能力」が大事である。オバマがヒラリーに勝ったのは巨額のカネを集める事に成功したからで、カネを集められない人間はリーダーになれない。そう言うとバカなマスコミが「それは企業献金でなく個人献金だ」と言うが、オバマの選挙資金のほとんどは企業献金であり、個人献金は四分の一程度に過ぎない。
大統領選挙の費用を賄うため、共和党も民主党も水面下では外国にまで手を伸ばす。日本の企業にも集金人がやって来る。そのお礼に当選した暁にはパーティに招かれ、大統領と一緒に写真を撮ってくれる。ヤクザの親分の事務所に行くと時々アメリカ大統領と一緒に映った写真を見る事がある。おそらく献金した企業が招待券をヤクザの親分に回したのだろう、
アメリカ大統領選挙には日本以上に中国からカネが流れる。ブッシュとゴアの選挙戦ではゴア陣営に中国系のカルト教団から大量の資金が流れたとブッシュ陣営が批判した。しかしだからといって事件になる訳ではない。アメリカは個人を選ぶ選挙なので個人を知って貰う必要がある。それが民主主義にとって何よりも大事なことだ。だからパーティを開き、献金を集めて個人を売り込む。献金をしたいと思わせる能力こそが政治家になる条件なのである。
一方で個人ではなく政党を選ばせるのが英国のマニフェスト選挙である。こちらは政治家個人がカネを集める必要はない。選挙運動は政党のマニフェストを宣伝して歩くだけだから政党のカネに頼れば良い。従って「政治とカネ」の問題も起きない。その代わり政治家は勝手なことは許されず政党の命令に服さなければならない。最近の日本政治はこの方向を目指している。要するに自民党も民主党も日本共産党や公明党のような政党にならなければならないのである。
ところが民主党の中に「最近の民主党は大政翼賛会で自由がない」などと不満を言う議員がいる。マニフェスト選挙になれば議員個人に自由など無いのは当たり前である。ところが日本ではマニフェスト選挙と言いながら個人を売り込む選挙をしているので混乱が起きている。今の公職選挙法はアメリカと同じに個人を売り込む選挙を想定している。しかしアメリカより制約が山ほどある。ご苦労なことだが日本では手を縛られて泳げと言われるような選挙を候補者は続けている。マニフェスト選挙を目指すにしても、アメリカ型をやるにしても、日本が成熟政治になるためには、今の公職選挙法を全面的に改正する必要がある。
なぜ日本は先進民主主義国のような成熟政治になれないか。それは政党や政治家に権力が無く、官僚に権力があるからである。官僚にとって国家や国民を守るのは何よりも官僚でなければならない。国家や国民を守る強力な政治家が出現されては困るのである。だから未熟な国民に「政治家は聖人君子であるべきだ」とデマを刷り込む。「政治家は悪人であるべき」と言う成熟した民主主義国とは全く逆である。はるか古代や村落共同体のリーダーならともかく、国際政治と闘わなければならない現代で「聖人君子」に政治家は務まらない。
未熟な国民にデマを刷り込む役目を果たしてきたのがメディアである。メディアの幼児性は今では目を覆うばかりだが、官僚との二人三脚でこの国の未熟政治を作り上げてきた。その挙げ句に実は両者とも自らの首を絞めつつある。最近出版された「知事抹殺・つくられた福島県汚職事件」や「リクルート事件・江副浩正の真実」は検察の「でっち上げ」の手法を詳細に描きながら、それを可能にしているのがメディアであることを明らかにした。これらを読んで両者の手口を知ると、現在の報道から検察が描くシナリオのポイントや弱点が読み解けるのだ。
政治家に十分な政治活動費がないと自分で情報を集める事が出来なくなる。無料で情報を提供してくれるのは官僚だけだから、カネのない政治家は官僚に頼るようになる。その結果、官僚に都合良く洗脳される。自分でカネを集める能力のない政治家も官僚に頼るようになる。官僚には企業や団体の許認可権があり、官僚が口を利けば企業や団体はパーティ券を買ってくれる。一方で自分でカネを集める政治家は官僚の思い通りにならない。官僚にとって好ましからざる政治家と言う事になる。そうした政治家がこれまで検察とメディアによって血祭りに上げられてきた。
07年の参議院選挙で自民党が惨敗したとき、私は参議院の過半数を失った自民党は挽回を図るために、国民の支持を得る努力より、民主党のスキャンダル追及に全力を上げるだろうと予想した。大連立を模索した福田政権にはスキャンダル爆撃の可能性はないが、麻生政権の誕生と共に小沢代表潰しのスキャンダル攻撃が現実になると予言した。政権交代が実現してからは、自民党に選挙で勝てる可能性は消え、従って再びスキャンダル攻撃が始まる。それは鳩山総理と小沢幹事長の分断を狙うと見ていた。
すると検察が予想通りの動きをした。鳩山献金問題はセーフで、小沢不記載問題はアウトになったのである。要するにこの国を支配してきた既成の権力からすると怖いのは小沢で、それを潰すために鳩山を利用し、その後でなら鳩山はいつでも潰せると思っているのである。私の見立てでは天皇の特例会見の問題も小沢氏の中国訪問の日程を知った上で仕組まれた。宮内庁長官の記者会見の日程が小沢訪中にぴたりと合わされ、賓客の来日前という非常識をあえて行っている事から明らかである。この時の鳩山総理の動きが今ひとつ分からないのだが、今回の地検の動きはそれに続く分断工作その2と言える。
私が予想する位だから本人は検察の動きを当然予想していた筈である。そうでなければ政治家など務まらない。そこでこれからどういう形の対応が出てくるのかが注目される。それにしても最高権力者とされる総理にも、政権政党にも何の権力もないことがよく分かる。先進民主主義国では政権を巡る戦いを権力闘争と言うが、この国では与野党の戦いより、官僚やアメリカと政権政党との戦いの方が本当の権力闘争なのである。つまり日本の権力は政党や政治家ではなく、未だに官僚とアメリカに握られているのである