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近年の国策捜査の原点は、裏金という内部犯罪を隠そうとした検察の「けもの道」にあると三井環氏が民間団体主催の講演で暴露した。
以下は先のヒゲ戸田氏による三井環氏に関するの投稿記事内リンクからの講演文である。2006年の講演だが検察組織の実態を知るうえで重要なので長文だが全文転載する。検察の腐り切った恐るべき実態が克明に描かれた必読の内容である。
この講演の「けもの道」のくだりに実名で出てくる古田佑紀(ふるたゆうき)法務省元刑事局長は裁判官経験を経ずに最高裁判事になった人物である。
古田裁判官は事故検証の専門家によるブレーキ痕検証、走行実験、数十人のバス乗客証言から白バイ隊員のほぼ100%の過失が疑われたスクールバス衝突事故を隠蔽し、警察が一人の同僚警察官の証言ひとつでバスの運転手を加害者にしたと言われる高知白バイ衝突死事件で、被告側最高裁上告を棄却した判事の一人である。また古田裁判官は粉飾決算長銀事件で経営陣責任が問われ出された1,2審の有罪判決を破棄し最高裁が逆転無罪判決を出したときの判事でもある。
三井氏の暴露した衝撃的な「検察の闇」は、度重なる最高裁の国策的不当判決や最高裁人事にも繋がっているものと思わざる得ない。
(Takeru)
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(転載ここから)
中小企業経営者の相互扶助団体 KU会第4回勉強会より
http://www.geocities.jp/ku_kai2006/4benkyokai.html
三井 環(元大阪高等検察庁公安部長検事)
私が「悪徳検事」と呼ばれている、元大阪高等検察庁公安部長検事の三井環です。よろしくお願いをいたします。
まず、本日はこのような場において、講演する機会を与えていただきましたことに対して深く感謝をいたしております。
現職当時でありますと、みなさん方とは「敵と敵」との間柄です。このような場で話をする機会もなかったでしょう。あるとするならば、それは取調室でしょう。ただ、場が変わりますとこのようなことになるわけで、人間分からないものです。
私は、公安部経験は鹿児島地検三席検事当時、公安労働係に3年間、それから、神戸地検公安部に2年間、そして、大阪高検公安部に3年間あります。その通算8年間、公安労働係の仕事をしてまいりました。みなさま方が将来、何らかのかたちで会う相手というのはやはり、公安、あるいは公安労働係だろうと思いますので、公安労働というのはどういう仕事をしているのかを、まずお話しておきたいと思います。
1つは、右翼、日本共産党、過激派、労働組合、市民運動、今はオウム教団、それらの情報収集を行います。そして、情報収集をしまして、高検の方に結果を報告します。
2点目が、検察・警察が逮捕してきた事件の捜査と公判をやります。公安労働関係の事件で警察が逮捕する場合には、必ず検察と事前協議をしなければならないんです。一般刑事事件というのは、汚職事件とか、選挙違反事件などの特に重大な事件以外では警察独自の判断でやります。公安労働係が担当する事件というのは、この事前協議をしなければならないという点が違います。
ですから、そういう事件は警察の警備課が担当いたしますけれども、警察の考えだけでやるわけではありません。検察と警察が一体となってやるというのが公安労働係の事件の特質であります。ですから、検察の意図というのが必ず入ってきております。
公安事件で、私が神戸の公安部に所属しておった当時にどういうことをやったかと申しますと、当時は公安事件というのはほとんどない時代なんです。公安事件の多発した時代というのは昭和30年代、40年代なんです。50年代以降ほとんどありません。全国でも1年間で数えるほどしかいない、そんな時代です。
その中で何をやったかと言いますと、例えば、天皇がどこかに巡回に行く、あるいは外国の要人がどこかに巡視に来ることがあります。そういう場合に、いわゆる過激派を、例えば架空の不動産売買契約を作ったとして逮捕勾留する。20日間勾留するんです。そして、全て釈放です。それを2年間に10回くらいやってきました。これがいわゆる「一般予防」なんです。要人がいる場合に、一般予防のためにそういった起訴することのない事件を使って、そういうことをやってきました。
それから、これは京都の事件ですけれども、ある中核派の人が三千院等を時限爆弾で放火したという事件がありました。わずかしか焼けなかったのですが、その鴨居(かもい)についた人間の臭気・においと、他で押収された彼の靴の臭気が犬の臭気鑑定で一致するということで、証拠はそれだけしかなかったんです。一審では無罪になりました。私がその記録を読んでみましたら、証拠は犬の臭気鑑定しかないんです。犬の臭気鑑定というのは、科学的な根拠が全然立証されていないんです。そういうものだけで起訴した。そして、私が裁判所に「だらだら公判を続けてもしょうがないから、一度犬を使って検証してみましょう」と言いました。
臭気鑑定というのは、現臭(げんしゅう)と言いまして、現臭(この事件の場合なら、靴のにおい)を布に含ませて犬に嗅がせるんです。そして、15mくらい先に5個の対象臭というものを置くんです。そして、その内の1つ、この場合は鴨井についたにおいが含まれた対象臭を実際にくわえてくるのかどうかを試すのです。これを18回やってみました。現臭と対象臭で一致するものをくわえてきたのは、ゼロなんです。これで裁判は終わりました。もう進行する必要はありません。裁判所も「これで終わりましょう」と言って、結審しました。だから、検事控訴をしていました。が、控訴棄却です。
そういうことをやっていたんです。なぜかと言いますと、いわゆる労働事件というのは起訴しますと、確定するまでに5、6年かかるんです。保釈されるまでにも時間がかかります、保釈になってからも制限条項があるでしょう。つまり、その人がずっと拘束されたままなんです。その間は活動ができません。それで充分なんです。5、6年活動できない状況が続けば充分なんです。そこに意味があるんです。一般刑事事件ではこういうことはしません。公安労働事件ではそういうことをやっている、昔からやっています。
これがいわゆる一般予防なんです。その中核派の彼も現実に無罪確定まで7年ほど何も活動できませんでした。それが、公安検察の実態なんです。
これは検察側からすると意味のあることかも知れません。どこかに要人が行く、そこで仮に何かあったらたら困ります。その期間中は危険人物をできるだけ捕まえる。そして、20日間だけ捕まえて釈放する。警備の観点に立つと意味のあることかも知りません。しかし、捕まえられる方はたまったもんじゃありません。いくら過激派でも人間です。私も現職の時にはそういうことをやってきました。
次に、いわゆる「検察の裏金作り」のお話です。
私は高知地検次席検事3年、それから高松地検次席検事3年、通算6年間それを実際に経験しました。もうどっぷりと裏金には浸かってきました。
検察庁には「調査活動費」の予算があるんです。調査活動費というのは、情報提供者に対して謝礼を払うことを本来の目的として設けられた予算なんです。公安労働事件に関する情報提供に対する謝礼、それが出発点だったようです。そういうお金が裏金として使われるようになったのがいつ頃からなのか、私には分かりません。誰がこういう仕組みを考えたのかも分かりません。少なくとも、私が任官した昭和47(1972)年当時、裏金作りはなされていました。
どういうかたちでやるのかと言いますと、まず、架空の情報提供者を3、4人でっち上げるんです。例えばAという情報提供者を作ります。架空ですから実名ではありません。住所についても、もちろん実際にはそこにはいません。そして、その架空の人間に対して、原則5万円を謝礼として支払うんです。例えば、ある右翼団体がいつ街宣するという情報をもらったという名目をでっち上げて5万円渡すことにする。そして、本来はその人から領収書をもらわなければいけないわけですが、架空の人物ですからもらえません。領収書は、その架空の人物の名義で検察事務官が作成します。そうやって5万円の現金を浮かせるんです。
中小の地検であれば調査活動費の年間予算は400万円です。大阪地検であれば年間2000万円、東京地検では年間3000万円です。そして、中小の地検で考えてみますと、1件5万円とすると年間80通の領収書を作らなければならないんです。それは事務官が全部作るんです。領収書だけではありません。Aという架空の人物に支出するという「伺(うかが)い書」、「この人に支出してもいいですか」という書類があるんですが、それも作らなければなりません。一生懸命80通作るんです、事務官は。だから事務官から「検事正が使う金のために何でこんなことをしなければならないのか」と文句が出るんです。
そして、そういう風にして金が浮きます。浮いた金はどこに保管するのかと言いますと、それは事務局長の部屋です。これは個室なんですけれど、そこの金庫に保管します。常時30〜40万円くらい保管しています。足りなくなったらまた架空の伺い書・領収書を作って金を浮かします。それでまた保管する。
そうやって浮かした裏金を一体何に使うかと言いますと、一つは接待です。最高検、高検、法務省などから高官が来た時の接待費です。そして、検事正自らのゴルフ代。それはここから全部出ます。マージャンをする人はマージャン代がここから全部出ます。ある検事正がマージャンで10万円使ったとします。その時、帳簿(裏帳簿)はどうなるのかと言うと「10万円検事正渡し」となります。検事正に渡すから領収書は取らないんです。
これは、検事正しか使えない一身専属的な(その人のみに属している)金なんです。次席など他の人間は使えません。私は通算6年間次席をやりましたが、次席は使えませんでした。次席は職員が亡くなったり結婚したりする場合は、自費でお金を包みます。検事正はその裏金から包みます。部下を連れて飲みに行く場合でも、次席は自費で出しますが、検事正は裏金から出ます。なので、検事正は給料以外に約30万円くらいの副収入があるんです。昼も晩もそれで払うから自分のお金はいりません。
だから、はっきり言ってしまうと調査活動費というのは、検事正が自由に使えるお金なんです。高検であれば、検事長の一身専属。高検でも次席は使えません。最高検では検事総長の一身専属。法務省であれば事務次官、官房長、刑事局長が使えるんです。これは一身専属です。
そういうかたちで、1円も「表の金」として使われていないんです。平成10(1998)年当時の調査活動費の年間予算は約6億円ありました。全部裏に回っている。そういうウソの領収書を作って金を浮かし、全部裏金として保管し、それが接待費用や自らの遊興(ゆうきょう)費用等に使われている。これが裏金問題なんです。
北海道警察の裏金問題も新聞等で報道されていますけれども、大体似通っています。警察は「捜査費」ですね。
そして、この裏金問題というのは、検察庁内部におれば公然の事実なんです。裏金のウソの領収書を作るのは公安事務官か総務課なんです。そこを経験した人なら全部知っています。そして、検事正・次席検事経験者、事務局長経験者は全て知っております。
これが、検察の裏金問題です。
そして、私が内部告発をしようとした動機と言いますのは、最初は人事上の私憤(しふん:個人的な事柄でのいきどおり)なんです。しかし、ある時期を境にして義憤(ぎふん:道義にはずれたこと、不公正なことに対するいきどおり)に変わります。
まず、その経過をお話します。平成12(2000)年の6月頃でありましたが、高松市で四国タイムズという新聞を発行している川上道太社長という人がいるんです。その人に裏金問題を話したんです。彼は義憤にかられる人間なんです。そしたら、川上氏は「三井さん、あなたは裏で私を指示して下さい。私は表で動きます」と言ってくれました。そこから始まったんです。そして、最初は平成12年の9月頃、朝日新聞の論説委員の村山さんのところに持ち込んだんです。東京のホテルで会いました。
少し話がそれますが、村山さんというのは、いわゆる則定(のりさだ)問題(元東京高検検事長・則定衛氏の愛人疑惑)を報道した人です。この問題は最初、月刊誌「噂の真相」の西岡研介氏が情報収集して、「噂の真相」に載せたんです。「噂の真相」だけであれば、則定衛という当時の東京高検検事長は辞めることはなかった。その後、朝日新聞がトップで報道しました。しかし、則定氏は3日で辞めました。なぜ辞めたかと言いますと、当時、法務委員会に(則定氏が)出て追及されました。そして銀座のバーで飲んでいることが分かった。飲んだ金は裏金から出てるんです。だから辞めたんです。
女性問題だけであれば、検察も助かるんです。法務委員会で追及されて裏金問題にまで発展したら大変です。つまり、則定問題というのは打算の産物なんです。女性問題だけで終わることによって、彼も助かりました。懲戒免職にならなかったんです。一方の検察も助かったんです。裏金問題にまで発展しなかったからです。このとき、内部では「これは行くかも知れない」「裏金がやられるかも知れない」というような雰囲気だったんです。それで3日で辞めた。
このように、裏金問題の最初の危機は則定問題だったんです。3日で辞めることによって、裏金問題まで発展せずに済んだんです。この則定問題のときは、まだ私は別に裏金問題をやろうとは考えていませんでした。
話を戻します。まず、その朝日新聞の村山さんと会いましたけれども、彼は「則定問題をやったばかりだから、同じ検察のことはできません」という返事だった。そして、今度はこの話を週刊新潮に持っていったんです。週刊新潮は編集会議を開いて、「やる」という決断を示した。それを土壇場(どたんば)で社長が反対した。それで週刊新潮もだめになった。
その次に「噂の真相」に行ったんです。今話した西岡研介です。西岡研介が平成13(2001)年の1月号で報道しました。もちろん、匿名の取材というかたちです。この時も、検察当局は大分動揺したんです。しかし、「噂の真相」しか報道しなかった。後追い報道がなかった。特に大手新聞社のそれがなかったんです。
そして、これではいけないということで、平成13年の3月末に四国タイムズの川上氏が、当時の大阪地検検事正である加納駿亮(かのう・しゅんすけ)氏を刑事告発しました。「公文書偽造、同行使、詐欺、私文書偽造」という罪名です。高知地検検事正時代の400万円と、神戸地検検事正時代の1000万円、合計1400万円の犯罪ということで、検事総長宛に告発しました。
すると検察当局は、なぜ四国タイムズはこんな告発をするのか、告発する意図を必死で探しました。昔のものから四国タイムズを全部読んだらしいです。これは公安調査庁の方からの情報です。川上という男は北朝鮮問題に強いんです。公安調査庁の情報提供者なんです。検察にはいませんが、公安調査庁には実際の情報提供者がおるんです。
検察は必死で調べました。そうする内に、私が高松地検次席検事当時、川上氏からいろいろな情報をもらって、独自捜査したということが分かった。私が浮かび上がってきたのです。私が後ろで川上氏を操っているんだということが分かったんです。それがその年の5月頃です。
そして、6月の上旬、北新地の料亭に元大阪高検検事長の逢坂(貞夫)から私は呼び出されました。「三井君、ちょっと飯でも食べよう」と言われました。私は行きました。そしたら彼は、「今日も松尾事務次官から、三井君のことを心配して電話が何回もかかってきた」と言うんです。裏金問題のことは言いません。裏金の「う」の字も言いません。それでも分かります。そして、1時間くらいご飯を食べて、酒を飲んで、彼が「わしのところ(弁護士事務所)に弁護士として来ないか?」と言ったんです。私はそこで断ったんです、「行きません」と。
そしたら、彼は何て言ったと思います?「モリカズのようになるぞ」と言ったんです。
「モリカズ」というのは手形詐欺事件で東京地検特捜部に逮捕されたヤメ検(検事を辞めたあとで弁護士になる人のこと)の田中森一氏のことです。これは脅かしです。
話は戻りますが、3月末にそういうかたちで刑事告発しました。そして、その3月末頃の情報では、当時大阪地検の検事正だった加納駿亮氏が高松高検検事長になるということが事実上内定していたんです。検事長人事というのは内閣の承認がいります。法務当局はどうしたのかと言いますと、当時は高村法務大臣ですが、高村法務大臣にはこの告発の事実を隠していたんです。隠したまま、「加納氏を高松高検検事長に」という上申を高村法務大臣にしたんです。そして、4月23日がその内示予定だったんです。その直前に川上氏が高村法務大臣の秘書官に告発状を全部持って、会いに行ったんです。そこで初めて、この事実が高村法務大臣の知れるところとなった。そのために、加納氏の人事は先送りです。
この時期、4月28日の政変で森総理から小泉総理に代わりました。法務大臣は森山真弓に代わりました。それでもまだこの人事をあきらめきれずに、法務当局は交渉した。しかし、連休明けの5月7日、結論は先送りになったんです。加納氏の1期下の宗像(むなかた)氏が高松高検検事長になった。これが5月の人事です。ここまではいいんです。
次に、その年の11月15日に福岡高検検事長が定年で辞めることになったんです。この時も、やはり森山法務大臣です。今度は、法務省は福岡高検検事長に加納氏を上申したんです。しかし、(大臣は)なかなか難色を示して、どうにもならなかったんです。そこでどうしたのかと言いますと、検察・法務当局は困ったんでしょう。いわゆる「けもの道」を通ったんです。
「けもの道」というのは私が付けた名前ですけれども、当時の原田明夫検事総長、事務次官の松尾邦弘、刑事局長の古田佑紀、古田は後藤田正晴氏が法務大臣だったときの秘書官だった人間です。その3人がそろって、10月26日だったと思いますが、東京・麹町の後藤田事務所を尋ねました。そこには後藤田元法務大臣と秘書官がいました。
それで、彼らは「加納の検事長人事を内閣で承認してくれないと検察が潰れます」と泣きを入れたんです。潰れるというのは、検察の裏金問題が表ざたになるという意味だと思います。当時は、週刊文春とか週刊朝日がすでに裏金問題を報じていました。そして、(後藤田氏は)小泉の秘書官の飯島に電話連絡しました。そして、その日の会談はそれで終わって、翌日、小泉に原田検事総長が直談判をした。そこで事実上、加納の検事長人事が承認されました。正式な閣議は11月13日なんです。そこで正式に承認されました。
こんなことをしたらどうなりますか。「検察が内閣に借りを作る」という一番やってはならないことをやったんです。内閣の助けを求めた。こんなことをしてしまったら、内閣を構成している大臣クラスを事件にはできません。ここまでやるんです。
「国策捜査」は昔からありましたが、私は、ここが最近の国策捜査の原点だと思っています。例えば、内閣の誰かを逮捕できるような事件があったとします。そしたら、小泉が「裏金どうするの?」と言う、それだけでいいんです。事件にできません。できるはずがないんです。後藤田さんはもう亡くなりましたけれども、この事実は彼の秘書から聞いた話なんです。
本来、検察というところは真実を明らかにするところなんです。加納の事件は、この直後に「嫌疑なし」になりました。「真っクロ」なのを「真っシロ」にしてしまったのです。内閣にとってみたら、加納の刑事告発が残ったままでは承認できません。それでは内閣の責任になります。「真っシロ」なんだという判断が下っていれば、内閣の責任ではないんです。
刑事告発事件で「真っクロ」であるものを「真っシロ」にしてしまった、これは検察の原点の崩壊です。これが1点。もう1点は、最もしてはいけないことをしてしまった。内閣を利用してしまった。その2点なんです、私が義憤を感じたのは。それから先は義憤だけです。加納のことは頭にありませんでした。
そして、この問題を追及するために私が協力を求めたところは、やはりマスコミと政治家です。それからは、マスコミにずっと会ってきました。政治家では、民主党の管直人。彼には大阪の財界人を通して3回ほど会ってもらって「了解」を得ました。「了解」というのは法務委員会でこの問題を追及するということです。
新聞では朝日新聞東京本社の落合博実さん。最終的には4月18日に心斎橋の日航ホテルで会って最終了解を得た。その内容は、5月の連休明けに朝日新聞東京本社が裏金問題を1面トップで報道する。社会面では、私が実名のまま1問1答形式で答える。そういう方法です。そして、NHKとか他の新聞社は、「朝日が書くのなら後追いします」ということを言った。
そして、管直人氏の方は朝日新聞の記事を持って法務委員会で追及する。そして、その過程で私を参考人招致して、私が証言する。そして、私が国会で記者会見して、検事のバッチを外して辞める。そういう段取りが全部できあがっていたんです。それが4月18日です。
そして、4月22日に何があったのかと言いますと、その日の昼から「ザ・スクープ」の鳥越俊太郎さんが大阪に来て、裏金問題についての取材・収録の予定だったんです。あとは、4月24日に大阪の毎日テレビの取材・収録の予定がありました。
4月22日。昼に「ザ・スクープ」の取材・収録をするその日の朝、私は8時半頃任意同行をされて、何の弁解も聞いてもらえずに逮捕された。これが第1次逮捕なんです。
これがもし、私を逮捕していなかったらどうなっていたと思いますか?その予定通り進みますと、朝日新聞東京本社が報道する、管直人氏が法務委員会で追及する、私が証人として出廷し証言してバッチを外す。これは、外務省の機密費どころの話じゃないんです。
まず、当時の現職検事70名が辞めなければいけない。検事総長ももちろん、森山法務大臣も辞めなければならない。それだけではありません。引退したOB連中、何人生きているか知りませんけれども、1000人くらいはいるでしょう。その人たちもみんな勲章を剥奪(はくだつ)されます。使った金を返さなければいけません。当然、国民から刑事告発を受けます。そうなれば、一時検察機能が麻ひします。私を逮捕しなかったらそうなっていたんです。だから相手も必死だったんです。
その辺のことを考えてもらえば分かると思います。検察の置かれた立場、検察の組織的な裏金作り、これは事実です。それを隠蔽(いんぺい)するということです。仮に、私がもう少し早く公表しておればこの逮捕はなかったんです。逮捕できません。5月の連休を挟むと報道が途切れるから公表を連休明けにしたんです。それをもっと前にすれば、私の逮捕はなかった。
裏金というのは、国民の血税なんです。にもかかわらず、こんなことまでするんです、検察は。確かに、検察はちゃんとしたこともやってきました。国会議員を逮捕したりして、ある程度は国民の期待に応えてきました。しかし、自らが犯罪者になるとこんなことまでやるんです。これが許せますか?
最近の国策捜査の原点はその「けもの道」なんです。10月の末に裏金問題で内閣を利用したことです。それから何がありましたか。
鈴木宗男の逮捕がありました。昔は、贈賄者が時効になった事件では逮捕しなかったんです。時効になればいくらでも自由に話ができるじゃないですか。しかし、鈴木宗男の事件では、本来目的としていた事件では逮捕できずに、昔の事件についてのみで逮捕起訴した。捜査の失敗です。
それから、社民党の辻元議員の問題もありました。あれは衆議院総選挙前にやられたんです。その2年くらい前に彼女の議員秘書の問題は発覚していたんです。全部、弁償しました。なのにそれを総選挙前にやられて、社民党はどうなったと思いますか。事実上崩壊したじゃないですか。これが、内閣指導による国策捜査なんです。
最近は、ホリエモン(堀江貴文・前ライブドア社長)とか、経済犯罪の方に特捜部は向かっておりますけれど、そうやっている限りは10月末のその問題、「けもの道」は問題になりません。
私の予測では、小泉が辞めても自民党内閣が続く限りは自民党の大臣クラスは事件にできないでしょう。「けもの道」が平成13年の10月の末でしょう。そこから現在までの5年間で東京地検特捜部がやった事件を見てもらったら分かります。誰もやっていません。できないのです。
先ほどのお話にありました「日歯連事件」、あれは橋本(龍太郎・元首相)と青木(幹夫・自民党参議院議員会長)と野中(広務・元内閣官房長官)、村岡(兼造・元内閣官房長官)の事件ですね。あれを私はどう考えているのかと言いますと、野中は、私が逮捕される前の平成14(2002)年の3月の末頃、京都府知事選挙の応援に来たことがあったんです。そのときに、京都の事務所の秘書から私に連絡がありまして「(野中氏が)会いたいと言っている」と言われました。そして、京都駅前の都ホテルに当時彼の事務所があったんですけれど、そこに行ったらすぐに案内してくれました。彼が事務所に一人でおりました。それで、裏金問題を1時間ぐらい話しました。
私は、彼がそれを利用したんじゃないかと思っています。野中は全部知っています、裏金問題は。日歯連事件で野中もやられなかった、橋本も青木も。それを利用して取引したんじゃないかというのが私の考えなんです。あんなつまらない捜査はないです。村岡は起訴されて無罪になりました。あの捜査は誰が考えてもおかしい。
そして、問題は裁判所なんです。最近の裁判所というのは、逮捕状でも勾留状でも自動販売機≠ネんです。チェックしないんです。そして、裁判そのものが最近おかしいです。
昔「大津事件」(1891年)というのがありました。ロシアの皇太子(ニコライ)が巡視に来た時に、津田三蔵という巡査がサーベルで切りつけてけがを負わしたという事件があったんです。当時は、日本の皇族に対してけがを負わせたり殺したりすると死刑になったんです。法文上は、ロシアの皇太子は日本の皇族ではないから死刑にできなかったんです。いわゆる罪刑法定主義というものがあるでしょう。
しかし、当時のロシアは日本にとって大国です。日本は開国したばかりの弱小国です。その大国の皇太子にけがを負わせた。そしてその上、その犯人に対する処罰が軽かったらロシアは日本を攻撃(戦争)するかも知れません。それだけでなく他の国からも野蛮な国だと思われてしまう。そう日本政府は考えたのです。ときの政府も、法務大臣も、裁判を担当する裁判官に働きかけました、「津田を死刑にしろ」と。しかし、当時の大審院(現在の最高裁判所)院長の児島惟謙(こじま・いけん:写真左上)がその政府側の要求を突っぱねて、日本の司法の独立・法治国家を守ったと言われる事件なんです。死刑にしていれば、罪刑法定主義の崩壊だったんです。
しかし、この事件にもいろいろ問題があるんです。児島惟謙が他の裁判官に「死刑にしてはだめだ」と働きかけたのです。本来、裁判官というのは独立性を保ち、自分で判断しなければならないのです。
大津事件は日本とロシアの問題だった。私の場合は、検察組織と私個人の問題なんです。この大津事件に対比してもらえれば、ある程度私の事件の構図が分かってもらえるんじゃないかと思うんです。
検察組織というのは非常に重要です。これはなくなったらいけません。検察組織が国民からそっぽを向かれて崩壊してはだめです。検察組織はどうしても守らなければならないと思います。それを裁判所は考えるんです。口封じ逮捕、裏金も認めるべきなんです。裁判官は独立性を守って良心に従ってやってもらいたい。そうすれば私の事件は結論(無罪)が出るんです。しかし、それがなかなかできないんです。彼らも人間だから出世があります。だからできない。そこが大きな問題です。
先ほど、武委員長の事件の中身もお聞きしました。以前、JR東日本労組の組合員が「強要」で7人逮捕された事件がありました。これは非常に古い事件を掘り起こして、組合員を脱退させたという「強要」、JRという会社を無理に辞めさせたという「強要」ということで逮捕したんです。この事件も裏で何らかの政治的な意図があるのではないかという気がします。組合のことは組合に任せればいいじゃないですか。脱退に関しては、組合の方針に反したものを脱退させるのは仕方がないじゃないかと私は思います。
以上で私の話は終わりです。会場のみなさん、何か質問はありませんか?
(参加者1)
三井さんは裏金問題を告発されたわけですが、他の検事たちは三井さんを「敵だ」「裏切り者だ」と思っているんでしょうか?
(三井)
本音はそうではないと思います。感謝されていますよ、裏金問題では。今は、裏金はほとんどなくなったんです。
(参加者1)
裏金がなくなったということは、ある意味で言うと、三井さんのやろうとした裏金問題で検察を追及するという、そのためのネタがなくなったことにはなりませんか?
(三井)
反対に言いますと、そういう風にも言えます。今は、この問題に関する刑事事件は全部時効になっています。だから、告発しても全部時効なんです。
しかし、人間やる時には何でもやりますね。自分の組織の犯罪を隠蔽するためなら何でもやります。
(参加者2)
検事を辞めて弁護士になっている人、いわゆる「ヤメ検」と呼ばれる人たちは現役の検察庁との親密な付き合いはありますか?
(三井)
それは、端的に言ってあります。もう少し詳しく話しましょう。
これについて、大阪には2つの派閥があるんです。元検事総長の土肥孝治弁護士と、先ほど話した前大阪高検検事長の逢坂という人間です。その下にヤメ検がずっと連なっています。それらの人を使ってどうするのかと言うと、構図はゼネコンと同じなんです。
例えば、事件を土肥元検事総長に依頼に行きます。そうすると、土肥元検事総長は「ピンハネ」をするんです。何も仕事はしません。事件は検察OBである自分の部下にやらせるんです。
阪南事件というのがありましたね。あれは逢坂元検事長のところに依頼があったんです。いくら取ったと思います?逢坂元検事長は。着手が1億円の依頼です。そのほとんど、8割ぐらいは逢坂が取るんです。そして、後は検事OBが実際にその事件をやりました。この事件は1審が実刑だった。だから、依頼者は弁護士をみんな変えた。2審は、鈴木宗男系統の弁護士に依頼したんです。
結局、検事というのは現職のときもそうです、上がおって下がおる。検事を辞めても上にボスがいてその下で働くんです。そして、ボスが事件を持って来るんです。ボスは検察といろいろと話ができる。元の検事総長、元の検事長ですから現職検事たちはむげにはできません。そういう構図がずっと続いております。
(参加者2)
ありがとうございました。
私たちも応援しますので、どうぞ一つ三井さんもこれに屈せずがんばって下さい。
(三井)
どうも、ありがとうございました。
(司会)
さて、次に全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部執行委員長・武建一氏に、停滞していた中小企業運動が武建一氏の復帰によりどのように再建されてきたのか、どういう方向に向かっていくべきなのかを明らかにしていただきます。
題しまして「当面の中小企業運動の展望」、よろしくお願いいたします。
以下略
(転載終わり)