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2010.1.15(その2) 森田実の言わねばならぬ【34】
平和・自立・調和の日本をつくるために[34]
《新・森田実の政治日誌》[月満つれば欠く・小沢政治の終焉(1)]裏切られた政権交代〈その1〉小鳩政権の誕生と混乱
「『時』の歩みは三重である。未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように速く飛び去り、過去は永久に静かに立っている」(シラー)
創造には多大の労力と時間を要するが、破滅は一瞬にして来る。2009年8月30日の総選挙の勝利で小沢一郎は頂点に立った。しかし、その瞬間から、満月が欠け始めるごとく、小沢政治の下降が始まった。
2009年8月30日の総選挙による政権交代への道は長く苦難に満ちた道だった。
1955年の保守合同と社会党統一によって始まった55年体制下で自民党は長期政権を達成した。社会党は何度も挑戦したが、自民党の厚い壁を崩すことはできなかった。日本の議会制民主主義国としては異例な政権交代なき民主主義国だった。
自民党長期政権が倒れたのは1993年夏の総選挙だった。自民党が分裂し、自民党は第一党でありながら衆議院で過半数を割った。このとき非自民勢力が総結集して細川護煕非自民連立政権を成立させ、自民党を野党に転落させた。このときの立役者が小沢一郎だった。ところが新政権は脆かった。翌1994年に、新政権で分裂が起きた。小沢派と反小沢派との抗争が始まったのだ。非自民連立勢力の一翼を担っていた社会党と新党さきがけが離脱し、自民党と結合した。小沢一郎は海部俊樹元首相を立てて戦ったが敗れた。
自民党、社会党、新党さきがけ三党は村山富市社会党委員長を首班とする自民・社会・さきがけの連立政権を樹立した。自民党は政権の座を降りてから1年足らずで政権に復帰した。細川護煕、小沢一郎の挑戦は挫折した。
その後、自民党単独政権を経て、自民・自由(自自)連立内閣、自民・自由・公明(自自公)連立内閣、自民・公明(自公)連立内閣として自民党は政権の中心を担いつづけたが、2009年8月30日の第45回総選挙で大敗北を喫して、野党に転落した。
代わって政権を担ったのが民主・社民・国民新三党連立内閣であり、鳩山由紀夫民主党代表が首相になった。ここで、政権の実権を握ったのが小沢一郎民主党幹事長である。小沢一郎は日本政界の最高実力者になり、事実上の日本の大統領となった。
2009年8月30日の第45回衆議院選挙で起きたことは国民による民主主義革命だった。この革命の真のリーダーが小沢一郎だった。小沢一郎は日本を握った。
だが、小沢政治は頂点に立った瞬間から落下を始めた。日本は「小沢政治」の終焉に向かっての混乱期に突入した。われわれ日本国民は、この中でも力強く生き抜かなければならない。このためにも「小沢政治」の終焉への動きを冷静に分析する必要がある。(つづく)