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http://www.iwanami.co.jp/sekai/2010/02/pscript.html
編集後記
(雑誌「世界」2010年2月号)
岡本 厚
2010年は、2009年に起きた政権交代の意味と真価が問われる年になる。
有権者は、半世紀続いた自民党一党支配を変える選択をした。自民党政権は冷戦体制 (米国依存) を前提とし、強力な官僚機構と地方への予算バラマキを通じた集票の上に乗っかっていた。
「対等で密接な日米関係」や「コンクリートから人へ」という民主党政権のスローガンは、まさにこれらとの訣別を意味する。これらのスローガンが言葉だけに終わらず、真の転換になりうるかどうか。それは予算において現れる。
自民政権のバラマキは、道路、空港、ダムなどの箱物を通じたバラマキであり、そこには利権が生まれ、多くの利権団体がぶら下がった。一方、民主政権の子ども手当や農家への戸別所得補償は、家計への直接のバラマキであり、それによって消費を喚起しようとする (本誌09年12月号、伊東光晴「鳩山新政権の経済政策を評価する」)。
公共投資がすっかり行き詰まったことは誰もが認めている。公共投資をどれだけ削減し、家計への直接支援にどれだけ振り向けることが出来るか。また人の重視というなら、介護、医療、教育などへの手厚い配分がどれだけ出来るか。
1980年代以来、自民政権によって推し進められてきた新自由主義政策によって拡大した格差と貧困の問題も放置できない。格差は自然に生じたのではなく、税制と社会保障政策によって「つくられた」のであり、逆に政策によって縮めることが可能である (P・クルーグマン『格差はつくられた』早川書房)。
新自由主義政策は中流層を解体し、一部の富裕層と膨大な貧困層を生み出した。先ごろ公表された日本の相対貧困率15.7%は、先進国で2番目に高い。それは社会を不安定にするだけでなく、消費の減退とデフレをもたらしている。
いつまでも不況を脱却できないばかりか、さらに2番底に沈みそうな気配すらある日本経済を根治するためには、格差是正政策を早急に取らなければならない。クルーグマンは前著で、1920年代から50年代に米国で生じた劇的な格差縮小を「大圧縮」と呼び、政策的に行なわれたことを明らかにしている。
もちろん、30年かけて起きたことを一瞬で逆転させることは出来ない。巨大タンカーのような日本経済の方向を転じるのに、舵を急に切れば舵のほうが壊れてしまう。少なくとも10年、20年先を見ながら、日々、舵を切り続けるしかない。それが政治的手腕というものだろう。
長期的な展望と方向を指し示し続けるのが、政治家、とりわけ政治的リーダーの役割である。しかし、民主党はあまりに「反官僚」と言いすぎ、自らの言葉に縛られて、細かな行政にまで入り込み過ぎているのではないか。行政には行政の役割があり機能がある。早い時期の官僚機構との役割の整理、調整が必要である。
もう一つ懸念されるのは、民主党の「包括政党」化である。連合や地方だけでなく、経団連も医師会も農協も次々に民主党に雪崩を打っている。たしかに政策を実行するには強い基盤が必要である。あらゆる組織と関係を強化し、民主党支配を磐石にすることを小沢幹事長は狙っているのだろう。しかし、それは民主党が自民党になってしまう道である。
今号で特集した対米関係であれ、経済であれ、一朝一夕に片付く問題ではない。報じるメディアにも長期的展望と観点が要請される。昨今、反射的批判が多すぎる。