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http://jcj-daily.seesaa.net/article/138168277.html
雑誌『世界』2月号に掲載の、寺島実郎氏の連載「脳力のレッスン 特別篇」=「常識に還る意思と構想―日米同盟の再構築に向けて」が実に面白く、当面の情勢把握をトータルに行う上で、大いに参考となる。 寺島氏は冒頭で、中国の作家・魯迅が、20世紀初頭の自国の植民地状況に馴れきった中国人の顔が「奴顔」であると嘆いたことを、紹介している。中国には古くから「奴顔婢膝」(どがん・ひしつ)とする「四文字熟語」がある。奴は下男、婢は下女だ。いつも下男のような顔付きをし、すぐ下女のように腰をかがめて膝をつく、という意味だ。卑屈でひとのいいなりになる態度を指す表現だ。寺島氏は「自分の置かれた状況を自分の頭で考える気力を失い、運命を自分で決めることをしない表情、それが奴顔である」とつづけ、「普天間問題を巡る・・・報道に関し、実感したのはメディアを含む日本のインテリの表情に根強く存在する『奴顔』であった。日米の軍事同盟を変更のできない与件として固定化し、それに変更を加える議論に極端な拒否反応を示す人たちの知的怠惰には驚くしかない」と述べる。 まったく同感だ。古い時代につくられてきたものを、新しい時代の変化が生じているにもかかわらず、そのまま固守していこうというのでは、何ごとも変わらないだけでなく、歴史を逆流させる弊害さえ招くおそれがあり、無責任との誹り受けてもやむを得ない。「Change」、「核廃絶」のオバマは、国内保守派への気兼ねからアフガンへの軍の増派を決め、また、アメリカの核の「傘」存置を求める日米安保維持派にも気を遣い、核の拡大抑止政策堅持の方針を強調してみせ、ノーベル平和賞受賞演説では「平和のための戦争は必要だ。アメリカはそうした戦争の責任を履行する」と述べた。 なんとも無惨な話だ。日本の政治家もメディアも、そうしたオバマとアメリカの政策には率直な批判を加え、オバマの初志としての「Change」「核廃絶」を目指す道は、どんな場合にも不戦の誓約への誠実さを失わず、戦争につながる問題は平和的手段で解決を図る、とする態度に徹して初めて、着実に辿ることができると、助言すべきではないのか。敗戦と核の洗礼を受け、平和憲法を持った日本は、まず原理的にそのようにいえる立場にあるし、冷戦体制消失・イラク戦争の失敗・新興国台頭などの新しい国際情勢を冷静に眺めれば、日本がそのような役割を果たすべき新しい時代がきた、と自覚すべきではないのか。 ところが、新政権・鳩山内閣が心許ない。基本的には、新しい時代がきたと捉えられる情勢の下、既存の日米軍事同盟・日米安保を、もう耐用年数がきたとする観点から見直すべきなのに、その基本的視点がはっきりしないのだ。アメリカとの合意がある。アメリカが移転先は辺野古しかないといっている。沖縄の基地負担が重すぎる。沖縄現地の不満があるから、これをなんとかする必要がある。民主党は普天間基地の「県外」「国外」移設を公約としてきた。公約に合致する移設先か、あるいは沖縄県内でも現地が許容できる範囲内での移設先を、どこかに見つけなければならない。こうしたいくつもの問題のあいだをいったりきたり、あるいは堂々めぐりしたりするだけといったところが、メディアから伝わってくる政府の姿だ。 今年1月になって、平野博文官房長官が沖縄を訪問、米軍基地や県内で移設先の候補となるような場所をみて歩き、現地関係者・住民にいろいろなことをいっている。報道によれば、官房長官は首相など党内の主立った筋に、「この問題は私に任せなさい」といって出かけたとのことだ。しかし、伝えられる、いった先での彼の言動を知る限り、アメリカ、日本政府、沖縄現地、3者の言い分を聞き、それを合わせて3で割って落としどころを考えようとしているのではないか、という気がしてならない。労働組合のボスが労使交渉の妥結時に、よく使う手だ。 しかし、もうそんな没論理的で大時代なやり方は、なんの役にも立たないことを、官房長官自身も政府全体も、深刻に理解しなければならない。急がれるのは、既存の日米安保体制を前提に、それを変えない範囲で軍事的な安全保障問題に最優先の地位を与えつづけ、日米関係を考えていく、とする頭を切り替えることだ。日米双方が取り組むべき問題は山積している。経済、教育・文化、環境、安全、アジアの地域統合、国際援助などなど、どの問題も、人間の安全保障という観点から解決が急がれる課題を、たくさん内包している。それらの課題に関する相談が真摯にできる日米関係をいかに構築するか、世界中から問われているというのが、今日両国が直面している状況なのだ。適当な落としどころで間に合わせの解決を図り、事態の上っ面を糊塗、本当に取り組むべき問題を先送りするだけでは、百害あって一利なし、といわなければならない。馴れ親しんだ「奴顔」は、自分ではなかなか気付きにくい。むしろ、アメリカと一番近いのは俺だ、とする得意満面の顔は、傲慢さや、アメリカから遠いものに対する軽侮の表情さえ浮かべているかもしれない。だが、そういう「奴顔」もあることを、忘れてはいけない。また、反米の顔を無理につくる必要もない。自分が日本人であること、今世界で日本に求められているなすべきこと、日本にできることを、好きでも嫌いでもなく自覚し、虚心坦懐にそれをやろうと努めること、それが「奴顔」を捨て去り、自分の顔に戻る道だ。 (かつら・けいいち/元東京大学教授、日本ジャーナリスト会議会員) |