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昨年の政権交代で明らかになったことは、なんだろう。その1つとして、官僚と国民の間にあった自公政権という下手な踊り手がいなくなったことではないだろうか。目の前に踊り手がマスコミに登場し、さえずることで、官僚は国民の目の前に姿を現さなかった。だから、その後ろで自分たちの(また米国の)利権を守るための法律をいくらでも通せた。自公の大多数の議員など何もやっていなかったのだ。しかし、それが政権交代によって変わった。
影に隠れたままどうやって国民を操り続けるか。そのひな形が、以前にもちょろちょろやっていただろうが、昨年の大久保秘書逮捕以来のマスコミ報道に露骨に顕在化した、この構造だろう。
東京地検 -> 関係者 −> 主要マスコミ各社 −> 小沢・鳩山
“「憶測」に「説明」をすることは適切か?”でも書いたように、「関係者」を介在させた。こうすれば、東京地検(あるいは官僚)は、実在するかも分からない、どこの誰かも分からない「関係者」の影に隠れて嘘でも何でも自分たちの都合のいい情報、「憶測」を子飼いのマスコミに流させることができる。
この「憶測」に真面目な「説明」で応じることは、何を意味するか。それは、官僚が影で操っている、この「憶測」構造を暗黙で認め、正当性を与えることになる。だから、「説明」など絶対にしてはいけないのだ。俺は、ここが鳩山さんと小沢さんの違いだと思う。小沢さんは適切な対応をした思う。マスコミの「憶測」に「説明」で応じる理由がない。
応じなければどうなるか。当然、官僚は表に出てこざるを得なくなる。その一つが今回の東京地検の家宅捜索といっていいだろう。これでいいのだろう。これが裁判員制度とかのとんでもない制度を作っている官僚の本当の姿だ。その本当の姿を国民は目にする必要があると思われる。
「憶測」に「説明」で応じることは適切か?(更新)
http://ootw-corner.asablo.jp/blog/2010/01/13/4809902