★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK77 > 485.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
2010年1月14日 (木)
地獄の自公政権より、現政権から始まる救国気運(ろくぶんぎ)
(※ 下記のろくぶんぎ氏の内容に、管理人もほぼ賛同する。昨年、NHKで亀井静香氏が言っていたが、2003年当時の民主党は、旧自公政権よりも強力で先鋭的な市場原理至上主義に傾斜していたそうだ。しかし、小泉政権が敷いた、国民を犠牲にする国策があまりにもひどかったので、民主党は生活重視の政策指針を掲げたということらしい。民主党にも、かなりの割合で新自由主義を選択する議員連中がいることは否定できない事実だ。
それでも視線が国民生活に向いていることは、一つの政治的勝利である。国民が強い監視の目を持って、旧自公族と通じている売国議員を淘汰する方向に持っていけばいいと思う。もし、昨年の政権交代がなければ、米国CIAと自公政権を中心とする悪徳ペンタゴンは、間違いなく言論統制を行っていたと思う。ネットも法の規制でがんじがらめにされ、言いたいことが言えない状況に持っていかれることは、火を見るより明らかなことだった。その意味で、政権交代は希望が持てることだった。
国民が現政権を厳しく見つめ、悪しき政策を一つひとつ糺して行けばいいと思う。たとえば外国人地方参政権は絶対に反対するべきである。小沢氏の理念に全面的に賛同するわけにはいかないが、彼は自公政権とは対蹠的に、国家と国民を思っている。今の局面は小沢氏を強く応援することだと思う。東京地検特捜部は小沢氏を異常なまでに敵視している。悪徳ペンタゴンという、米国に魂を預けている利権複合体が、小沢氏の失脚を執拗に狙っていることを見ても、彼には、腐蝕した自民党55年体制を刷新する能力があることは間違いない。それを嫌う勢力の一つが、アメリカの意向を強く代行する東京地検特捜部である。 管理人 )
(以下、ろくぶんぎ氏投稿)
民主党が完全無欠の政党とはだれも思っていない。
新自由主義の魔手から祖国を守るためには自公政権ではだめだった。
新自由主義・ネオリベの悪辣な搾取から国民を守るためには、将来はいざ知らず現在のところ現在の民主・社民・国民新党の三党連立政権以外になかった。
政治上の手腕だって、鳩山総理や小沢幹事長が過去の偉人に及ばなくとも、さしあたって小泉・安倍・福田・麻生の4人の大いなる馬鹿より下でなければいいのだ。
各政党への評価が混乱しているように見受けられるが、これは、国民新党や社民党、共産党を除いて、自民党・民主党ともに理念でつながった政党とは必ずしもいえない面があるからだ。
本来ならば、@亀井・平沼両議員を中心とする真性保守政党、A対米追従の清和会・凌雲会・花斉会の売国党、B押し頂き憲法のとくに9条のみを死守する社民・共産両党の極左党の3つに分かれるべきなのだ。
もちろん支持すべきは@のみであり、BはまだしもAは話にならない。
Aについては、自分たちの本性がばれるのをさけるために、自民党にこびりついていたり、自民党の内実を数十年かけて変質させたり、民主党の中に潜り込んだりしている。ただAの中でも知恵の回らない極端なポピュリストどもが「みんなの党」を作って偽装CHANGE勢力の核たらんとしている(ホリエモンのバカも「みんなの党」を支持しているとか)。
つまり、対米追従者は第二のコミンテルンとなって、ジワジワと既成組織に忍び込み、祖国を左翼思想による人工国家への変質をたくらみ続けている。
その浸食と戦い続けているのが、とくに小沢・亀井両名であると考えている。
それとはっきりいってしまえば、政治とは権力をいかに使ったかであり、いかに手に入れたかは二義的問題である。
小沢幹事長や鳩山総理についてささやかれている政治資金問題が、仮に事実であったとしても、小生は彼らは自公の馬鹿どもよりははるかにましであると考える。
権力を国民のために使おうとしているからだ。小泉・竹中のように、自分のポケットマネーのために祖国を売り渡すような、最も唾棄すべき行為はしていないからだ。
民主党は対米追従をしないかもしれないが、中朝韓には甘すぎる、という指摘があるが、これは違う。中朝韓の三国に対するスタンスは、自公とて辛いものではなかったし、むしろ公明党が陰に日向に中共と手を組み、こっそりと売国行為をしていたということを考えれば、自公より現政権のほうが数段ましである。
たしかに民主党には夫婦別姓や外国人参政権承認を進めようとする勢力はある。しかし、自民党や公明党にも同様の勢力はあり、それはかなり根深い。2010年1月11日 (月) 23時28分に投稿された匿名氏のご指摘通りである。
それに、現政権は無辜の人間を罪に陥れようとする卑劣な行為を許さない、という点ではるかに自公政権より「きれい」である。
インサイダー取引で一つの大きな銀行をつぶそうとしないという点ではるかに自公政権より「まとも」である。
小生としてはベストよりベターを選択したい。
自公より現在の民主・社民・国民新党の連立政権のほうがベターだと考えているので、現政権を支持する次第である。現政権を支持することが外国人参政権賛成・夫婦別姓賛成に即座につながるとは考えない。小生は外国人には国政参政権はもちろん地方参政権も付与すべきでないという立場であるし、夫婦別姓も反対の立場だ(というより夫婦別姓はある意味どうでもよいと思っている。名前に対するこだわりを捨てれば、夫婦別姓なんてどうでもよい問題ではないか。大体夫婦で別姓にしたって、本家の姓には縛られるのだから。姓を変えたくなければ結婚届を役所に出さなければいいだけのこと。それよりも事実婚の法的地位や事実婚によって生まれた子供の法的地位を法律婚のそれと同じくするほうが先だと思うが。)。
それらの問題はその都度、ここが違っている、と指摘すればいいだけのこと。
おそらく、現政権支持=外国人参政権支持・夫婦別姓支持と考えている方々は、マニフェストという概念の罠に嵌っているのだと思う。
小生はマニフェストなんて概念は正直くだらない、と思っている。
世の中の事物これすべて一寸先は闇であり不確定性に満ち満ちている。そんなものごとを工程表だなんだかんだと言って自分の思う通りにできると思うことそれ自体が傲慢である。一寸先が闇である、不確定きわまりない未来に対処できるのは、組織の力であり、組織のチームワークである。組織のチームワークの基本は互助である。互助の精神が、自公と現政権どちらにあるかといえば、現政権のほうにある。
だから現政権のほうが自公よりまだしも未来に対して希望が持てるのだ。
投稿: ろくぶんぎ | 2010年1月12日 (火) 12時22分
← この記事に興味を持たれた方はクリックお願いします!!
神州の泉による「植草事件」関連記事
2010年1月14日 (木) 経済・政治・国際 | 固定リンク | コメント (6) | トラックバック (0)
2010年1月11日 (月)
マスコミが作り上げる魔女裁判(浮高亭瓢箪)
(※本記事は浮高亭瓢箪氏の投稿です)
サンデープロジェクトで今日も田原総一朗が、渡部恒三を懸命に焚きつけていた。
渡部恒三という人物は、竹下登の下で「経世会七奉行の一人」と言われていたのだが、「歌いすぎるカナリアのような奴だ」と軽く見られていた人である。
そういえば、我が家でもカナリヤを何回か飼育したことがあったが、あまりにも鳴き過ぎるカナリアだったので近所から「朝っぱらから、うるさいです!」と言われて、困ったことがあった。
さて、このカナリヤさん、田原の口車に乗せられて何を言うかと見ていたが、所詮大したことは言えるはずもなく「ああ、ずいぶん呆けてきたなあ」という印象を与えただけであった。
若手のまともな政治家たちには、「この人も、終わったひとだな」と思われたに違いない。
それにしても、田原は今春三月この番組が終わるまで、精一杯「命を懸けて、小沢を叩く」腹づもりをしているらしく「小沢さんの四億円の疑惑事件をどうするのか」としきりに取り上げていた。
出席していた石原伸晃に「石原さん、どう?」と聞き、石原氏も偉そうに批判していたが、自らを省みれば、水谷建設から怪しげなお金を宴席で受け取ったことを忘れたのだろうか。田原も「あっ、そうか。石原さんんも水谷さんとはご縁がありましたね。こりゃ、失礼!」とでも言えばいいのだが、そうはならない。
いまや、田原の目的は、唯一つ「小沢を貶め、陥れる」…このこと以外にないのかもしれない。
出演していた元特捜検事の郷原氏が言っていた言葉だ。(ここに、郷原氏を出席させていたという処に、番組の別の意図も感じたのだが…)
「これまで、検察は公式な発言を一言も発していない。四億円疑惑と言っても、何の犯罪事実で起訴されようとしているのかもサッパリ分からない。その段階で、メデイアにリークするという形で捜査情報が漏れ、あたかも犯罪事実があるかのような報道がされるなどと云う事が到底理解できないことだ」
「推定無罪」の法理は民主主義社会では最低限守らねばならないのである。この国のメデイアはその最低限の道理さえ忘れている。「冤罪」を生み出している最大の加害者・元凶はいつも「メデイア」そのものなのだ。
話は変わるが、昨夜のNHKテレビで、映画監督のマイケル・ムーアに対するインタビュー番組が放映されていた。
マイケル・ムーアはアメリカの銃規制について、「ボーリング・フォア・コロンバイン」という映画を作ってアカデミー賞のドキュメント部門で授賞したのだが、彼は「自分は、アメリカの銃社会の諸問題をアメリカの一般国民があまりにも銃器の保有をし過ぎるからだと思っていたが、実はカナダへ渡って調べると、カナダ国民の方が銃器の保有量が多いことを知った。銃器の数が多いのに、カナダはアメリカに比べて銃犯罪の数はずっと少ない。これは、銃器の数が銃犯罪に直結するのではないのではないか…とその時感じたのです」と語っていた。
では、一体カナダとアメリカの違いは何か…どこが違うのか?
一つのの答えとして、マイケル・ムーアは「市民の中にある人種差別感情の有無だろう」と言っていた。
この「人種差別感情」については、先日も紹介した山本七平氏の「日本人とアメリカ人」(祥伝社)の「レイシズムとアメリカ人」(第七章 捕鯨禁止運動の背後にあるもの)p166…を読んでみる。
「レイシズム」というのは、「人種差別主義」ということだ。
アメリカ国民…と云うべきか、オーストラリアやニュージランドなどの白人社会に存在するこの「人種差別主義」というのは、根強く底深い。
先日も、日本の捕鯨調査船と反捕鯨団体シーシェパードの抗議船との衝突事件があったが、直ちに巻き起こった「クジラを殺すなキャンペーン」の背後にあるものが、単なる「動物愛護」や「環境保護」「資源保護」でないことは、三十年も前に山本七平氏が指摘していることである。
≪三歳の日系の少女が「お前は悪者だ」と年長の少女に言われ「なぜ?悪者なの」と反問すると「鯨殺しだからだ」と言われたという。あとで聞くと何とこれが日系市民協会サンフランシスコ支部長デイヴィッド・牛尾氏のお嬢さんなのである≫(p175)
レイシスト(人種差別主義者)たちが、持ち出す論理は単純にして明快、いわゆる小泉流の「ワンフレーズ・ポリテックス」なのだ。
「鯨殺し」⇒「日本人」⇒「悪人」⇒「日本製品ボイコット」⇒「日系排撃」…と繋げるのだ。
そして、それは丁度、次のような単純な図式に重なる。
「金権」⇒「田中角栄」⇒「小沢一郎」⇒「企業献金」⇒「汚い奴』⇒「悪人」⇒「政界追放」
メデイアや自称ジャーナリストたちが、何の事前検証(検証=この言葉は彼らの好きな言葉だが)もしないで、権力機関である「検察・特捜部」の意図的なリークに乗っかって、「こいつは嫌われている奴だから、大丈夫だろう」という程度の浅い考えで報道することは、実は「犯罪行為」に加担していることと同じなのである。
「日本人のための憲法言論」小室直樹著(集英社)の中に、第12章「角栄死して、憲法も死んだ」という章がある。
「空気が支配する国」である、この国の中で、田中角栄という政治家が「抹殺」されたという歴史を語っている部分だが、興味のある方は読まれたらいい。
p443…「魔女狩りと同じだった角栄の逮捕」というくだりには以下のように書かれている。
『田中角栄が1976年に逮捕された時、世のマスコミはもろ手を挙げて「ついに巨悪が捕まった」と大喜びをしたわけですが、実は彼を逮捕した検察側は大きな壁にぶち当たることになった。
田中に5億円の賄賂を贈ったとされるのはロッキード社のコーチャン副社長なのですが、そのコーチャンが証言を拒んだのです。日本の法廷にノコノコ出かけて行ったら、彼自身がロッキード事件の共犯者として起訴されるかもしれないのですから、それは当然のことです。しかし、彼の証言がなければ、田中を有罪にする決め手がない。かくて、検察は手詰まりになってしまった。
それなのに、日本の検察は見切り発車で、田中を逮捕した。「世論が味方に付いているんだから、何とかなるだろう」と思ったのでしょうか。
物証も証人も手元にそろっていないのに、テレビや新聞が逮捕しろと言ったら、逮捕する。…「あいつは悪いやつだ。逮捕しちまえ」と新聞が指せば逮捕されるのでは、もはや近代国家とは言えません。』
そこで、困り果てた検察が行ったのが、コーチャン氏が出してきた「刑事免責」という前代未聞の条件を受け入れるということであった。
小室直樹氏が「ロッキード裁判」を暗黒裁判と表現する第一の理由がこのコーチャンに対する刑事免責問題だと書かれている。
小室氏は「近代裁判とは検事を裁く裁判である」と書いているのだが、つまり…「裁判官は被告人を裁くのではない。検事が不法な捜査や取り調べをしていないか、そのことを徹底的に調べ上げるのが裁判の主たる目的であって、事実を明らかにすることが裁判の目的ではない」とまで言っている。
ロッキード裁判のように、裁判所と検事がグルになって、刑事免責などという、法律のどこにも明文化されていない条件を与えて検察を助けるためにルールを勝手に変えるようなこと自体が「憲法違反」なのである。
少々、厚い本だが、読み応えのある著作であるので、お薦めしておきたい。
投稿: 浮高亭瓢箪 | 2010年1月10日 (日) 20時13分
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/