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2010年1月11日 (月)
マスコミが作り上げる魔女裁判(浮高亭瓢箪)
(※本記事は浮高亭瓢箪氏の投稿です)
サンデープロジェクトで今日も田原総一朗が、渡部恒三を懸命に焚きつけていた。
渡部恒三という人物は、竹下登の下で「経世会七奉行の一人」と言われていたのだが、「歌いすぎるカナリアのような奴だ」と軽く見られていた人である。
そういえば、我が家でもカナリヤを何回か飼育したことがあったが、あまりにも鳴き過ぎるカナリアだったので近所から「朝っぱらから、うるさいです!」と言われて、困ったことがあった。
さて、このカナリヤさん、田原の口車に乗せられて何を言うかと見ていたが、所詮大したことは言えるはずもなく「ああ、ずいぶん呆けてきたなあ」という印象を与えただけであった。
若手のまともな政治家たちには、「この人も、終わったひとだな」と思われたに違いない。
それにしても、田原は今春三月この番組が終わるまで、精一杯「命を懸けて、小沢を叩く」腹づもりをしているらしく「小沢さんの四億円の疑惑事件をどうするのか」としきりに取り上げていた。
出席していた石原伸晃に「石原さん、どう?」と聞き、石原氏も偉そうに批判していたが、自らを省みれば、水谷建設から怪しげなお金を宴席で受け取ったことを忘れたのだろうか。田原も「あっ、そうか。石原さんんも水谷さんとはご縁がありましたね。こりゃ、失礼!」とでも言えばいいのだが、そうはならない。
いまや、田原の目的は、唯一つ「小沢を貶め、陥れる」…このこと以外にないのかもしれない。
出演していた元特捜検事の郷原氏が言っていた言葉だ。(ここに、郷原氏を出席させていたという処に、番組の別の意図も感じたのだが…)
「これまで、検察は公式な発言を一言も発していない。四億円疑惑と言っても、何の犯罪事実で起訴されようとしているのかもサッパリ分からない。その段階で、メデイアにリークするという形で捜査情報が漏れ、あたかも犯罪事実があるかのような報道がされるなどと云う事が到底理解できないことだ」
「推定無罪」の法理は民主主義社会では最低限守らねばならないのである。この国のメデイアはその最低限の道理さえ忘れている。「冤罪」を生み出している最大の加害者・元凶はいつも「メデイア」そのものなのだ。
話は変わるが、昨夜のNHKテレビで、映画監督のマイケル・ムーアに対するインタビュー番組が放映されていた。
マイケル・ムーアはアメリカの銃規制について、「ボーリング・フォア・コロンバイン」という映画を作ってアカデミー賞のドキュメント部門で授賞したのだが、彼は「自分は、アメリカの銃社会の諸問題をアメリカの一般国民があまりにも銃器の保有をし過ぎるからだと思っていたが、実はカナダへ渡って調べると、カナダ国民の方が銃器の保有量が多いことを知った。銃器の数が多いのに、カナダはアメリカに比べて銃犯罪の数はずっと少ない。これは、銃器の数が銃犯罪に直結するのではないのではないか…とその時感じたのです」と語っていた。
では、一体カナダとアメリカの違いは何か…どこが違うのか?
一つのの答えとして、マイケル・ムーアは「市民の中にある人種差別感情の有無だろう」と言っていた。
この「人種差別感情」については、先日も紹介した山本七平氏の「日本人とアメリカ人」(祥伝社)の「レイシズムとアメリカ人」(第七章 捕鯨禁止運動の背後にあるもの)p166…を読んでみる。
「レイシズム」というのは、「人種差別主義」ということだ。
アメリカ国民…と云うべきか、オーストラリアやニュージランドなどの白人社会に存在するこの「人種差別主義」というのは、根強く底深い。
先日も、日本の捕鯨調査船と反捕鯨団体シーシェパードの抗議船との衝突事件があったが、直ちに巻き起こった「クジラを殺すなキャンペーン」の背後にあるものが、単なる「動物愛護」や「環境保護」「資源保護」でないことは、三十年も前に山本七平氏が指摘していることである。
≪三歳の日系の少女が「お前は悪者だ」と年長の少女に言われ「なぜ?悪者なの」と反問すると「鯨殺しだからだ」と言われたという。あとで聞くと何とこれが日系市民協会サンフランシスコ支部長デイヴィッド・牛尾氏のお嬢さんなのである≫(p175)
レイシスト(人種差別主義者)たちが、持ち出す論理は単純にして明快、いわゆる小泉流の「ワンフレーズ・ポリテックス」なのだ。
「鯨殺し」⇒「日本人」⇒「悪人」⇒「日本製品ボイコット」⇒「日系排撃」…と繋げるのだ。
そして、それは丁度、次のような単純な図式に重なる。
「金権」⇒「田中角栄」⇒「小沢一郎」⇒「企業献金」⇒「汚い奴』⇒「悪人」⇒「政界追放」
メデイアや自称ジャーナリストたちが、何の事前検証(検証=この言葉は彼らの好きな言葉だが)もしないで、権力機関である「検察・特捜部」の意図的なリークに乗っかって、「こいつは嫌われている奴だから、大丈夫だろう」という程度の浅い考えで報道することは、実は「犯罪行為」に加担していることと同じなのである。
「日本人のための憲法言論」小室直樹著(集英社)の中に、第12章「角栄死して、憲法も死んだ」という章がある。
「空気が支配する国」である、この国の中で、田中角栄という政治家が「抹殺」されたという歴史を語っている部分だが、興味のある方は読まれたらいい。
p443…「魔女狩りと同じだった角栄の逮捕」というくだりには以下のように書かれている。
『田中角栄が1976年に逮捕された時、世のマスコミはもろ手を挙げて「ついに巨悪が捕まった」と大喜びをしたわけですが、実は彼を逮捕した検察側は大きな壁にぶち当たることになった。
田中に5億円の賄賂を贈ったとされるのはロッキード社のコーチャン副社長なのですが、そのコーチャンが証言を拒んだのです。日本の法廷にノコノコ出かけて行ったら、彼自身がロッキード事件の共犯者として起訴されるかもしれないのですから、それは当然のことです。しかし、彼の証言がなければ、田中を有罪にする決め手がない。かくて、検察は手詰まりになってしまった。
それなのに、日本の検察は見切り発車で、田中を逮捕した。「世論が味方に付いているんだから、何とかなるだろう」と思ったのでしょうか。
物証も証人も手元にそろっていないのに、テレビや新聞が逮捕しろと言ったら、逮捕する。…「あいつは悪いやつだ。逮捕しちまえ」と新聞が指せば逮捕されるのでは、もはや近代国家とは言えません。』
そこで、困り果てた検察が行ったのが、コーチャン氏が出してきた「刑事免責」という前代未聞の条件を受け入れるということであった。
小室直樹氏が「ロッキード裁判」を暗黒裁判と表現する第一の理由がこのコーチャンに対する刑事免責問題だと書かれている。
小室氏は「近代裁判とは検事を裁く裁判である」と書いているのだが、つまり…「裁判官は被告人を裁くのではない。検事が不法な捜査や取り調べをしていないか、そのことを徹底的に調べ上げるのが裁判の主たる目的であって、事実を明らかにすることが裁判の目的ではない」とまで言っている。
ロッキード裁判のように、裁判所と検事がグルになって、刑事免責などという、法律のどこにも明文化されていない条件を与えて検察を助けるためにルールを勝手に変えるようなこと自体が「憲法違反」なのである。
少々、厚い本だが、読み応えのある著作であるので、お薦めしておきたい。
投稿: 浮高亭瓢箪 | 2010年1月10日 (日) 20時13分