オバマ政権と「帝国」の危機 二〇〇九年一月米国ではオバマ新政権が発足し、「チェンジ」を訴える米国初の「黒人大統領」の誕生に世界は注目した。ジョージ・W・ブッシュ前政権の一極覇権主義的なアフガニスタンとイラクへの侵略戦争の完全な破産がもたらした荒廃と、金融投機に主導された「カジノ資本主義」の崩壊による危機からの脱出に向けて、アメリカの新指導者がどういう舵取りを行うのかという期待が、メデイアを通じて煽りたてられた。 日本でも、二〇〇九年八月三十日に行われた総選挙で民主党が圧勝し、政権交代が実現した。五十年以上にわたり、細川政権時代の短期間を除けば政権を独占し、政官財の強固な結合を通じて、日本の「体制」そのものでもあった自民党支配は崩壊した。それは日本の戦後政治において、有権者が自ら主体的に選択した実質上初めての「政権交代」だった。自公与党の完膚なきまでの敗北は、個々の政策選択ではなく新自由主義的「構造改革」による貧困と格差、不公正、生存そのものの危機をもたらした自公政権を「チェンジ」しなければならない、という有権者の意思表明だった。 言うまでもなくオバマ米政権の誕生も、日本の政権交代も、決して「革命」と言えるものではない。オバマは一方でイラクからの米戦闘部隊の撤退を打ち出し、四月のプラハ演説で「核兵器のない世界」を打ち出し、ブッシュ前政権が拒否した気候変動=地球温暖化への取り組みのポーズや「グリーン・ニューディール政策」を提唱した。他方、彼は傷つけられ、衰退したアメリカ帝国主義の軍事的・政治的威信の代表者として、アフガニスタンでの「対テロ」戦争に兵員を増派し、十二月十日のノーベル平和賞受賞演説では、「戦争大統領」としての姿を前面に出した。 オバマは述べている。「第二次世界大戦後の世界に安定をもたらしたのは、国際機関だけではない。条約や宣言だけでもない。事実はこうだ。六十年以上にわたって、米国は自国民の血と自国の軍事力によって、世界の安全保障を保証する助けをしてきた。だから戦争の道具というのは平和を保つ上で役割を持っている」「私は武力は人道的見地から正当化されると信じる」「戦争がなぜ不人気なのかは分かっている。だが同時に、願うだけでは平和はかなえられないことも分かっている。平和には責任が必要だ。平和は犠牲が伴う。だからこそ北大西洋条約機構(NATO)が必要なのだ」。 これはまさに、「戦争とは平和である」という主張であり、第二次大戦以後のアメリカのあらゆる戦争を朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン・イラク戦争をふくめてすべて「正義の戦争」として全面的に肯定するものだ。そしてこれからも「平和のための戦争」を仕掛けるという宣言であり、恫喝である。オバマはこうした「戦争宣言」を「ノーベル平和賞」受賞式の場で敢えて行ったのである。この演説に対して米共和党の政治家からは絶賛の評価が寄せられているという。 オバマ政権は一方で、医療保険制度の改革を含めて、「個人責任」の米国型システムの変革、国家による市場介入に踏みこまなければならない。オバマ政権によるこうした試みは、共和党右派からの「社会主義」という批判、白人至上主義的なキリスト教極右勢力のレイシスト的大衆動員を呼び起こしている。オバマの矛盾に満ち、破綻が明らかなアフガン増派・「テロとの戦い」継続路線、そして「戦争は平和である」というオスロ演説は、危機を深めるアメリカ社会の「チェンジ」に向けて多くの民衆の期待を背負いながら、衰退・没落する「帝国」の大統領であり続けなければならない、彼の役割の矛盾そのものの表現である。 鳩山政権下での運動戦略 日本の民主党・鳩山政権の誕生について、外国のメディアの多くは「中道左派政権」の誕生と分析し、日本の極右勢力もまた「民主党・左翼政権」として警戒し、非難している。言うまでもなく民主党は社会民主主義政党や、左翼政党ではない。それが連合という労働組合ナショナルセンターに支持されていたとしても、AFL│CIOに支持された米国の民主党がブルジョア支配階級の政党であるように、日本の民主党もまたブルジョア政党なのである。しかし、われわれは、民主党主導政権が誕生した情勢や有権者の選択という具体的諸条件と切り離して民主党と自民党をどちらも「同じ穴のムジナ」と切って捨てることはできない。 われわれはこの政権交代の意義について、鳩山政権へのあらゆる幻想と明確に決別しつつ、過小評価する過ちに陥ってはならない。それは何よりも、鳩山民主党主導政権の成立が、小泉―竹中の新自由主義的構造改革路線や、安倍の極右的な改憲強行突破路線に対する勤労民衆、市民からの拒否の結果だからである。 鳩山由紀夫首相はブルジョア政治エリートの出身であり、公然たる改憲論を唱えてきた保守的政治イデオロギーの持ち主である。しかし鳩山政権の性格は、動揺し整合性を欠くものであったとしても沖縄問題における一定の「対米自立性」や、外国籍住民への地方参政権法案提出の意図、あるいは雇用・貧困対策等において、自民党との関係で、ある種の「リベラル中道左派」的要素を持ちうるのである。したがって問題は、政権交代がもたらした労働者・市民運動からの介入の余地を最大限に拡大し、新自由主義の枠組みに規定された「リベラル中道左派」的限界性を突破しようとする目的意識をさまざまな運動の中にどのように作り出していくかということに帰着する。 われわれは、民主・社民・国民新党の三党連立政権を支持しない。とりわけ小沢民主党幹事長の下で進められている「国会改革」が、「政主導」の名の下に、法制局長官を「政府特別補佐人」から排除し、内閣による恣意的な憲法解釈に道を開くなど、きわめて強権的な性格を持っていることを厳しく批判しなければならない。民主党が「マニフェスト」で主張している「衆院の比例定数を八十削減する」という少数政党排除の主張にも強く反対する。 しかし、同時に民主党主導政権に対する労働者・市民の闘いは、要求を実現するための課題に応じて、独自の考え抜かれた方法が必要とされるのであり、それは、われわれが綱領的に独立した左翼政治勢力を結集するための基軸を打ち立てながら、そのための大衆運動的基盤や共同戦線を作り出す上でも留意しなければならない点である。 東アジアと米中・日中関係 オバマ政権と鳩山政権の誕生は、ブッシュ共和党政権と小泉―安倍―福田―麻生の自公政権に対する大衆的拒否がもたらしたものである。日米両国の「政権交代」、そしてその政権が内包する複合的な矛盾の背後には、グローバル資本主義の危機、中国の急速な台頭に示される世界的な規模での力関係の変化が表現されている。少なくともG8という「北」の大国が世界を管理し支配するための協調体制はすでに過去のものとなった。 アジア太平洋地域において、その力関係の変化が凝縮的に表現されている。何よりも米日、米韓の軍事同盟を組み込んだ米国の戦略的前線地域であり、北朝鮮・軍事独裁体制の核開発をめぐる緊張、中国の軍拡をめぐる国家間のせめぎあいが継続している東アジアは、同時に世界的な「スーパーパワー」となった中国を軸に二十一世紀の資本主義経済の「成長センター」として、グローバル資本主義経済の帰趨を決定する地域となっているからである。 経済面だけではない安全保障面をも組み込んだG2と言われる米中のグローバルな「戦略的信頼の形成と強化」(米中首脳会談・共同声明)や、また鳩山政権の看板にもなっている「対等な日米同盟」と「開かれた海洋国家」、「東アジア共同体」構想は、この米国・中国・日本のトライアングル関係の中でのイニシアティブをめぐる角逐を示している。ここにおいては米国も日本も、中国との戦略的な二国間関係を自らに有利な形で形成するための手段として日米同盟が位置づけられるという構造が浮き彫りになっている。 鳩山政権において「米軍再編」問題、とりわけ沖縄の普天間基地の辺野古への「移設」問題が政権の命運をかけた当面の最大の焦点として大きく浮上してきたことの要因が、「スーパーパワー」としての中国の台頭をめぐる東アジアにおける政治・軍事・経済的力関係の新たな再編にあることを確認しよう。こうした情勢における民衆運動の側からの二〇一〇年の政治攻防は、まず沖縄県民の「普天間基地閉鎖・辺野古新基地建設反対」のねばり強い闘いに全力で応えることから開始される。 日米同盟を撃つ闘いの構図 われわれはここで改めて、今回の普天間基地「移設」問題をめぐる攻防の歴史的位置づけを再確認しておくことが必要である。 「普天間」基地の返還・撤去問題が提起されたのは一九九五年九月の沖縄での米兵による少女レイプ事件に対する島ぐるみの怒りの爆発が契機であった。一九九六年四月、当時の橋本首相とモンデール駐日米大使の共同記者会見において普天間基地などの返還が「県内移設」とセットで合意されたことが発表されたが、それは続いて行われたクリントン・橋本会談での「日米安保共同宣言」による、安保のアジア太平洋全域への拡大と一体の攻撃だった。この「日米安保共同宣言」に基づき、翌一九九七年には「新ガイドライン」が発表され、同ガイドラインは一九九九年の「周辺事態法」という形で法制化されることになった。 一九九六年十二月のSACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)合意は普天間基地などの返還を「五〜七年」以内で実現することを打ちだした。政府は「普天間代替施設」の建設候補地を辺野古沖沿岸とすることを決定した。この基地の「県内たらい回し」に反対して翌一九九七年十二月に行われた名護市の市民投票で、市民はこの上なく明瞭に反対の意思を表明した。それにもかかわらず当時の比嘉・名護市長は、市民投票の反対意思を裏切って「基地受け入れ」とともに辞任を表明し、新市長選でも争点をあいまいにしたまま「条件付き受け入れ」派の岸本市長が当選することになったのである。 辺野古住民を先頭にした座り込み、海上阻止行動など地元住民のねばり強い闘いは続いた。現在にいたるまで辺野古への新基地建設工事は完全に阻止されている。しかしイラク戦争を目前した二〇〇二年十二月の「2プラス2協議」(日米両政権の外務・防衛閣僚協議)から始まった「米軍再編」についてのブッシュ政権と小泉政権の密室での協議は、「普天間移設」問題を、一九九六年の「新安保共同宣言」をも超えて米軍のグローバルな戦争への自衛隊の全面的な組み込みと実戦的動員という新たな土台に据え直すことを意味した。二〇〇五年二月の「2プラス2合意」、同年十月の「米軍再編」中間報告「未来と変革のための再編」、二〇〇六年五月の「再編実施のためのロードマップ」によって、普天間基地の「返還」と辺野古新基地建設、在沖海兵隊のグアム移転とその費用の日本による分担をふくむ「米軍再編」全体のプランが、まさに米国の戦略に従属した「日米同盟」のグローバルな実戦化にほかならないこと、自衛隊の海外派兵の本務化と恒常化、「集団的自衛権」行使の容認と武力行使への「制約」の撤廃、九条の明文改憲という「戦争ができる国家」体制づくりと不可分のものであることが明らかになった。 この意味で、沖縄県民の「普天間基地即時閉鎖・県内移設阻止」の圧倒的な世論は、鳩山政権・民主党の思惑をも超えて日米両政府・支配階級が十数年をかけて積み上げてきた「日米同盟」に基づく改憲・「戦争国家」体制の流れそのものに根本的な異議を提起するものだと言わなければならない。 安保廃棄・外国軍基地撤去 二〇〇九年七月、総選挙を前にした沖縄市での演説で、鳩山・民主党代表は普天間問題について「最低でも県外の方向で、われわれも積極的に行動を起こさなければならない」と訴えた。総選挙で沖縄から自公両党の候補者は比例区選出も含めて一人も当選できなかった。九月九日の鳩山新政権の三党連立合意では「沖縄県民の負担軽減の観点から、日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」ことがうたわれた。 これに対して米国政府、自民党、朝日新聞をふくむマスメディアは口をそろえて「日米関係が危険にさらされている。日米合意を順守し、辺野古『移設』を決断せよ」と圧力をかけた。北沢防衛相、岡田外相は、この圧力の中で「県内移設以外の選択はない」「現行の辺野古案以外の可能性は少ない」と屈服の意向を示した。だが沖縄県民は十一月八日の二万一千人の大集会を成功させ、鳩山政権に「公約を守れ」の声を強めた。この強力な訴えによって「年内決着」は引き伸ばされ、辺野古ではない「県外移設」の可能性を米政府と交渉するというところにギリギリの攻防戦が設定されている。 朝日新聞09年12月16日付の社説は「普天間先送り 鳩山外交に募る不安」と題して次のように書いている。 「鳩山首相に求めたいのは、普天間の移設をめぐるもつれを日米関係そのものが揺らぐような問題にさせないことだ。出発点は同盟の重要性を新政権として再確認することにある」「日本の安全保障にとって、米国との同盟は欠かせない柱だ。在日米軍基地は日本防衛とともに、この地域の安定を保ち、潜在的な脅威を抑止する役割を担っている」。 ここでは米政府・軍部、自民党と寸分変わることのない「日米同盟絶対論」が貫かれている。しかしある意味で、この主張は「普天間」問題は「日米同盟」の根幹にふれるという支配者の側の正しい危機意識を率直に体現しているというべきだろう。 普天間「移設」をめぐる闘いは、普天間飛行場の即時閉鎖・返還と沖縄での新基地建設断念を要求するものであるが、その際、「世界で最も危険な基地」である普天間飛行場の返還は即時・無条件の課題であり、「移設」を前提とするものではないことを明確にすることが必要である(本紙前号1面、「鳩山首相への緊急提案」参照)。そしてこうした運動の発展は、鳩山政権が自ら掲げる「米軍再編の見直し」を必然的に提起し、グローバルな「日米同盟」戦略による派兵・改憲の枠組みを広範な論議の対象に押し上げ、「日米同盟」の制度的な枠組みである安保条約そのものの廃棄という目標を手繰り寄せることになる。安保改定五十年になる二〇一〇年にあたり、支配階級の側からも「新たな日米同盟関係」をめぐる論議が喚起されようとしている。労働者・市民の側からもそのことを意識的に追求し、安保条約の廃棄、東アジアからの一切の外国軍基地の撤去を提起していくことが問われているのである。 資本主義経済の危機深化 二〇〇九年は、前年からの「戦後最悪の恐慌」が世界を覆い尽くした年となった。一九八九年から九一年にかけたソ連・東欧の「労働者国家」体制の崩壊と、「社会主義」への信頼性の喪失以後、「代わるべきものなどない」とされた資本のグローバル化の爆発的な矛盾と破綻は、新自由主義のイデオローグたちを茫然自失の状態に追い込み、中谷巌のような「転向」者を続出させた。 新自由主義的グローバリゼーションの先導者だった金融資本の破産を引き金とした危機は実体経済の危機へと急速に波及し、生産の収縮、労働者の解雇、貧困をいっそう深刻なものにしている。金融・経済恐慌の爆発は、環境、食糧、エネルギー危機と結びついた、資本主義システムの総体的危機とその限界を露呈させるものとなった。 主要な先進資本主義諸国が一様にマイナス成長に転落した二〇〇八年後半から二〇〇九年とは異なり、世界経済の動向には一定の回復の兆しがあるとする楽観的論調もある(たとえば『日経ビジネス アソシエ』09年12月21日臨時増刊号「徹底予測2010」の基調)。米国経済は二〇〇九年七〜九月期の実質GDPが5四半期ぶりにプラス成長となり、米連邦準備理事会(FRB)も景気底打ちという認識を示したというのだ。だがこうした「景気後退」への歯止めは、資本主義諸国の後先をかえりみない財政出動による市場介入・大資本への救済措置と、中国をはじめとする「新興国」市場の成長回復によってかろうじてもたらされたものにすぎない。 米国では、あいつぐ金融機関の「国有化」やGMやクライスラー救済など、財政赤字をいっそう悪化させる措置をつうじても、消費は低迷し、失業率は一〇%を超える高率のまま推移しており、企業による民間設備投資は四・一%減とマイナスである。一連の「景気対策」が一巡した後再び景気の「二番底」が到来するという予測も現実性を帯びている 日本ではどうか。「派遣切り」によって会社の寮からも追い出され、ほとんど無一文で寒風の中に放り出された派遣社員、期間社員などの悲惨な現実を浮き彫りにした日比谷公園「派遣村」の闘いで二〇〇九年の幕が開いた。すでに小泉・竹中「構造改革」路線によって、日本社会を覆う「格差と貧困」が生存そのものの危機にまで深まってきたことは、「反貧困」ネットワークの運動、女性や青年たちの訴えによって意識されるようになっていた。しかし「リーマン・ショック」を契機にした金融・経済恐慌による「派遣切り」の嵐は、あらゆる防護壁を奪われ、裸のままで資本の搾取にさらされ、切り捨てられる日本社会の現実を多くの人びとに衝撃的な形でつきつけたのである。 こうしたあり方になんら手がつけられない中で、日本経済もさらに深刻な局面の到来が必至だと見られている。鳩山政権は〇九年十一月末の月例報告で「緩やかなデフレ状況にある」と宣言した。「今回のデフレは物価下落幅からみればまだ初期段階だ。しかし、その特徴が過去最大の需給ギャップ(供給と需要の乖離)を背景とした需要不足デフレであることを勘案すると、今後一段と深刻化、長期化し、悪性デフレの様相が強まるリスクがある」(湯元健治「43兆円の需給ギャップへ 悪性デフレが最低4年間続く」、『エコノミスト』09年12月22日号)。 湯元は、円高による輸出不振がデフレスパイラルを加速させ、経済成長を再びマイナスに押し下げる圧力になる、としている。このデフレスパイラルの昂進は、解雇、雇用の非正規化、賃金の引き下げという、新自由主義的「構造改革」政策の下で進められてきた労働者への攻撃をさらに強めることになる。 新卒大学生、高校生の二〇一〇年度の就職率をはじめとする求人率はさらに低下しており、労働者の所得も切り下げられている。鳩山政権で初めて発表された日本の貧困率(平均所得の半額以下の人びと)は一五・七%とOECD諸国の中で二番目という高率に達している。とりわけ一人親世帯、その多くがシングルマザーの世帯の貧困率は実に過半数を超えている。シングルマザーや若年層では五割が非正規雇用であり、そのほとんどが年収二百万円以下の貧困ラインに位置している。 システム転換が必要だ 新自由主義的グローバル化がもたらした「戦後最悪」の恐慌からの帝国主義諸国の「回復」の目論見そのものが次のいっそう増幅された矛盾と危機を準備する。資本主義諸国はかつてのように高成長のパイを勤労民衆の生活向上によって振り向けることで階級支配の安定化を実現することはできない。深まる貧困、住居をふくめた生存の危機は、まさに今日の資本主義システムそのものに起因しているのであり、新自由主義的グローバル資本主義の「危機からの脱出」のあり方そのものが、本質的には「底辺への競争」に勤労民衆を駆り立てるものに他ならないのである。 三党連立政権の「合意」は、「子ども手当(仮称)」の創設、生活保護の母子加算復活などの他に「年金・医療・介護など社会保障制度の充実」の項において、「社会保障費の自然増を年二千二百億円抑制する」との「経済財政運営の基本方針」(骨太方針)の廃止、「所得比例年金」「最低保障年金」を組み合わせることで、低年金、無年金問題を解決し、転職にも対応できる制度にする、後期高齢者医療制度の廃止、医療費(GDP比)の先進国並みの確保、介護労働者の待遇改善による人材確保、「障害者自立支援法」の廃止を打ち出した。 また「雇用対策の強化――労働者派遣法の抜本改正」の項では、「日雇い派遣」「スポット派遣」の禁止、「登録型派遣」の原則禁止による安定雇用、製造業派遣も原則禁止、違法派遣の際の「直接雇用みなし制度」の創設、「派遣業法」から「派遣労働者保護法」に改める、職業訓練期間中に手当を支給する「求職者支援制度」の創設、雇用保険のすべての労働者への適用、最低賃金の引き上げ、男・女・正規・非正規間の均等待遇の実現を打ちだした。 しかし、新政権下の労政審において資本の側から主張されている内容は、「国際競争に勝てない」「中小企業が困る」とか、果ては「職業選択の自由」を口実に、「登録型派遣」の禁止や「製造業派遣の禁止」に異を唱える、というまさに噴飯ものの居直りと抵抗である。さらにさまざまな福祉、セーフティーネットに関わる措置も、経済危機による大幅な税収の減により、先送りが相次いでいる。そして税収の大幅な減少の中で浮かび上がってくる方策こそ、消費税の大幅な引き上げという低所得者への犠牲転化にほかならない。 鳩山首相は、十月二十六日に行った初の施政方針演説の中で「人間のための経済へ」という項目を起こし「経済合理性や経済成長率に偏った評価軸で経済をとらえるのをやめよう」と述べ、「国民の暮らしの豊かさに力点を置いた経済、そして社会へ転換させなければなりません」と訴えた。 しかしそこで提起されなかったことは、低成長、ゼロ・マイナス成長の時代における大資本の利潤の空前の増大と労働者、勤労民衆の実質所得の大幅な減少という構造、すなわち大資本の搾取率の増大と雇用・労働条件・賃金の圧縮による格差の増大・貧困の深まりなのである。われわれは「改革なくして成長なし」「成長なくして福祉なし」という資本のキャンペーンと決別しなければならない。今、問われていることは大企業の法人税率の引き上げ、高額所得者への高度累進課税を原資とした抜本的な所得再分配に基づく福祉の充実、「ベーシックインカム」などの最低保障所得制度の導入なのであって、そうした措置ぬきには「人間のための経済」は、だれもが認める飾り文句にすぎなくなるだろう。 問題はまさしく資本との「階級闘争」であり、大衆的社会運動による公正な所得再分配の実現なのである。それは民主主義的で自治的でエコロジー、フェミニズムに基づく社会のプラン、すなわち「二十一世紀の社会主義」のための重要な核心となる構想を提起するものである。 極右排外主義潮流との闘い 鳩山政権の成立を焦点にした日本の政治情勢と、大衆運動の動向を考える上で決して見過ごしてはならないのは、現在の経済的・社会的危機の煮詰まりの中で極右排外主義勢力が、一部の青年層を含めて街頭での暴力的突出を深めていることである。 これらの勢力は、小泉「構造改革」路線がもてはやされていた時に、自らを取りまく社会的閉塞感にいらだち、爆発的な不満を蓄積してきた青年たちの動向と関係している。「小泉応援団」として登場することによって情動的に「弱者」や「左翼」そして女性へのバッシングに合流した。二〇〇四年のイラク「人質」問題での「自己責任」キャンペーンの中にも、それが表現された。ネットを通じて自ら盛り上がり、「同調者」を見出していった。 さらに日本軍による侵略・植民地支配を正当化し、「戦後民主主義」を批判して日本の「栄光」を取り戻すことを掲げた「新しい歴史教科書をつくる会」らの「自虐史観」批判にアイデンティティーを見出し、日本軍「慰安婦」の訴えや小泉の「靖国」参拝で巻き起こった韓国や中国からの批判に敵意を募らせた。安倍晋三、中川昭一らの「若手」極右政治家の庇護の下でNHKの女性国際戦犯法廷のドキュメントを改ざんさせた。 「主権回復をめざす会」、「在日特権を許さない市民の会」など、「行動する保守」、保守派の市民運動を主張する彼らは、「日本会議」などの伝統的な天皇主義右翼と一部において対立しつつ、二〇〇九年にその行動をエスカレートさせ、行政、メディア、左翼や市民運動の集会に押し掛けるだけではなく、在日外国人への直接的な集団的暴力を繰り返す事態に立ち至っている。 さらに「不法滞在」のフィリピン人一家、とりわけ日本生まれの少女をターゲットにした「犯罪外国人」追放のデモを一家が住む埼玉県蕨市で行ったのを皮切りに、京都、大阪、福岡などでもレイシスト・キャンペーンのための街頭デモを行い、東京都三鷹市では「慰安婦展」に押し掛け、市民が会場に入れない状況を作り出した。八月十五日の「反天皇制・反靖国」デモには数百人を動員してデモ隊列を襲撃し、参加者を負傷させた。さらに池袋の中国人商店への襲撃、京都の朝鮮人学校への襲撃など、彼らの行動は、警察の黙認の下で、ますます悪質さの度合いを増している。 安倍・麻生らの極右派の政権が無惨に自壊し、民主党政権が誕生し、中国の国際的影響力が急速に高まっている今日、危機感を募らせた彼らの排外主義的・レイシスト的襲撃・破壊行動について、われわれは重大な警戒心をもってこれに立ち向かわなければならない。二〇一〇年の通常国会で外国籍住民の地方参政権法案が上程されようとしている状況の中で、野党に転落した自民党が「日本会議」などの伝統的極右とイデオロギー的に一体化する傾向を強めているとき、その突出した行動部隊としての「在特会」らの動きを絶対に軽視してはならないのである。 この流れは、資本主義経済の深刻な破綻が労働者・市民の生活を直撃している今、世界的な共通性をもって現れている。オバマ政権に対する極右派白人グループの動員、欧州議会選挙でのイギリス、オランダなどでの排外主義極右の大量得票などは、「行動する保守」を名乗る日本での極右レイシストの登場と同根であり、萌芽的なファシスト運動としての性格を持っている。われわれは、在日外国籍の人びとへの襲撃を共同の力で封じこめるとともに、外国籍住民の「地方参政権法案」の成立と真の「多文化共生社会」の実現、外国人労働者の労働権・生活権の保障、日本軍「慰安婦」、強制連行被害者への謝罪と補償の法制化などの実現に向けて闘う必要がある。 左翼主体の新たな再編・結集 グローバル資本主義の危機が新たな世界恐慌の可能性もふくんでいっそうの深まりを露わにしている二〇一〇年の世界は、新たな対立・激動の様相を色濃くしている。とりわけアフガニスタン、パキスタンでの「オバマの戦争」は、アメリカ帝国主義の衰退をさらに刻印していく結果となることは必然である。 成立して三カ月を過ぎた民主党・鳩山政権は、沖縄県民の米軍基地反対闘争と厳しい経済危機・財政危機に直撃されて早くも混迷と行き詰まりを見せている。解雇・失業・貧困の深刻化は、もはや一刻の猶予も許されない状況に立ち至っている。階級対立の構造はすでに明瞭な姿をとっている。 しかし、支配階級の側も労働者・市民の側も、民主党主導の三党連立政権の誕生といういまだ経験したことのない新しい政治的構図の中で、突破口を見いだせてはいない。民主党の総選挙における「一人勝ち」の中で、議会内左派勢力である共産党、社民党は「現状維持」がせいいっぱいであった。われわれはこの模索状況をゆり動かし、新しい突破口を探り当てるための意識的闘いに踏み出さなければならない。 第一の政治的課題は、沖縄県民の闘いを通じて情勢の焦点に押し上げられた、普天間基地即時閉鎖・辺野古新基地建設阻止の闘いに、総力を上げることである。沖縄決民も結論はもはや明らかである。「この米軍基地を沖縄からなくせ」である。一月三十日に東京・日比谷野外音楽堂で一万人結集を目標に開催される「普天間基地はいらない 新基地建設を許さない全国集会」の成功をはじめ、沖縄県民とともに闘う行動を全国で作り出そう。さらにWORLD PEACE NOWは「アフガン戦争と占領反対、沖縄の米軍基地撤去、パレスチナに平和を」を三本の柱として三月二十日に集会とデモを呼びかけている(芝公園4号地)。 こうした運動を盛り上げ、鳩山政権に対して「米軍再編」全体の根本的見直しを求める世論を作りあげよう。それは「安保改定」五十年にあたり、「日米同盟」の法的基盤である安保条約の廃棄をあらためて提起する闘いの重要性を再確認させることになるだろう。 第二の課題は、失業・解雇・派遣切り・貧困に反対する運動の全国的で重層的な広がりをさらに政治的に強化し、鳩山政権に政策実現をせまる闘いである、資本のあからさまな抵抗を運動の力ではねのけ、労働権・生活権をかちとろう。派遣法抜本改正、国鉄一〇四七人問題の即時全面解決をめざす闘いを皮切りに、新自由主義の下で進められてきた、規制緩和・民営化・雇用と賃金の破壊を押し戻し、真に公正な労働のあり方を実現するために労働組合運動の再生をかちとろう。 第三の課題は、金融・経済・環境・食糧・エネルギーなどの複合的でシステム的な危機に見舞われたグローバル資本主義に対して、その根本的な「チェンジ」を提起するオルタ・グローバリゼーション運動(グローバル・ジャスティス運動)である。二〇〇九年初頭ブラジル。アマゾン川河口の都市ベレンで開催された世界社会フォーラムの社会運動総会は「反帝国主義・フェミニスト・環境保護・社会主義的オルタナティブが必要だ」と題するきわめてラディカルな宣言を採択した。 この立場は、二〇〇九年十二月のCOP15にあたってコペンハーゲンに結集したグローバル・ジャスティス運動の活動家に引き継がれている。一月二十四日に東京で開催される「WSF in TOKYO」、三月二十一日〜二十二日に大阪で開催される「おおさか社会フォーラム」の成功をともに勝ち取り、十月に横浜で開催されるAPEC(アジア太平洋経済協力会議)への対抗アクションを成功させよう。 一連の行動に取り組む中で、われわれは自公政権の打倒が民主党主導政権の成立として集約されることになった階級状況を変革するための左翼政治主体の構築のために自覚的に取り組もうとする。 二〇〇九年二月に結成されたフランスの反資本主義新党(NPA)の挑戦は、欧州レベルでのこうした左翼オルタナティブに向けた踏み出しであった。複数主義と民主主義、エコロジーとフェミニズムの理念に貫かれたラディカルな「反資本主義」構想に基づく政治勢力の形成は、まさに世界的な目標である。チャベス・ベネズエラ大統領が提起した「第五インターナショナル」の呼びかけもまた、その具体的プロセスについてはいまだ不明であるとはいえ、今日の世界において破綻した新自由主義の秩序を根底から変革する党の問題を提起するものだと考えられる。アジアにおいても韓国やフィリピンで、左翼の危機と再編の中で同様の取り組みが開始されている。 日本における左翼の状況は、さらに深刻である。民主党主導政権の下での階級攻防は、民主党への幻想、あるいはセクト主義的閉鎖を両極としながら、この左翼主体の分解・危機をさらに加速することになっている。しかしそれは同時に新しい左翼主体の再編・結集に向けた努力のための条件をつくりだすに違いないし、そのための努力をためらってはならない。 二〇一〇年、共同編集体制に移行した本紙「かけはし」の充実をはかりつつ、鳩山政権下の階級攻防を全力で担い、左翼のラディカルな再生に向けた前進をともに勝ち取っていこう。 (平井純一)
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