★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK76 > 718.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C05928.HTML
2009.12.23(その1) 森田実の言わねばならぬ【1009】
平和・自立・調和の日本をつくるために[1004]
《新・森田実の政治日誌》[「小沢独裁・鳩山無原則政治」批判(1)]小沢強権恐怖政治の展開のなかで政官界に蔓延する「面従腹背」の生き方/日本の指導層のモラルが崩れつつある
「面従腹背とは、表面だけは服従するように見せかけて、内心では反対すること」(岩波国語辞典第3版)
歴史を振り返ると、革命はその直後に独裁政権による恐怖政治を生み出す。フランス革命は、ロベスピエールの恐怖政権を生んだ。旧体制を抹殺するために強権が発動される。ロシア革命後にはスターリンの独裁・粛清政権を生み出した。中国革命は毛沢東独裁政権ををつくった。独裁者による恐怖政権に抵抗した者、不服従との態度をとった者は、この世から抹殺された。
革命に期待した人々にとっては「裏切られた革命」となる。革命によって利益を受けるのは独裁者とそのエピゴーネンだけである。独裁政権のやり方に納得できない者は「面従腹背」の態度をとる。「面従腹背」することによって生存をはかる。 民主主義の政治体制のもとでは、政権交代は平和的に行われる。民主主義的政権交代と革命の違いは、新政権が旧体制政権への苛酷な報復を行わないか否かにある。政治的報復を行わないことによって、政権の平和的移動が可能となる。ところが民主主義社会でも、新政権の指導者の性格によって傲慢な行為が展開されることがある。
2009年8月30日の総選挙で政権交代が実現した。日本は民主主義社会ではあるが、新政権の旧政権への政治的報復は行われている。この点は欧米の政治と著しく異なっている。この最大の原因の一つは、新政権の最高実力者の小沢一郎民主党幹事長の性格にあるように思う。小沢氏は寛容とと忍耐に欠ける政治家であり、お互いを認め合う共存・共生ができないタイプの権力政治家ではないか、と私は思っている。小沢氏には政敵の自民党を抹殺しなければ気が済まないような非寛容さがある。
「小沢氏の心理の根底にあるのは1994年の敗北の体験だ」ムム小沢ウオッチャーの言葉である。1993年に誕生した細川・小沢政権が、1994年に倒され、自民・社会・さきがけの三党連立村山政権が誕生し、小沢氏らは再び野党の立場に突き落とされた体験が、小沢氏の心理の底にあるというのである。小沢氏は、おそらく、あのみじめな体験を繰り返さないためには自民党が再び立ち上がれないように無力化することを当面の政治工作の最重点にしているのだろう。いまの小沢戦略の最重点は、2010年夏の参議院議員選挙において自民党を撲滅することにおかれている。このために、小沢氏は自民党の選挙地盤の根絶をめざしている。小沢氏が報復の政治を強行している背景は、選挙における自民党の抹殺であろう。小沢氏の次の目標は2011年の統一地方選で自民党を草の根レベルでも根絶することにある。
小沢氏ら民主党は、自民党の最大の政治基盤が中央官僚だったと考えている。だが現実はどうか。鳩山政権は実態は財務省の上に乗った政権であるが、しかし、財務省以外の中央官庁を弱体化しようとしている。この先頭に立っているのは、前原国交相である。前原国交相は国土交通省と建設業界を弱体化し解体しようとしている。
小沢・前原両氏による強権政治は、政界、官界、経済界、地方の中に恐怖観念を植えつけている。この恐怖の強権政治が、政界、官界、経済界、地方政界、マスコミ界の中に「面従腹背」を産み出している。「面従腹背」の広がりは、道義の頽廃をもたらす。小沢独裁体制のもとで日本の指導層のモラルが崩れ始めている。独裁はモラルの敵である。(つづく)