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先進国では日本にしかないという記者クラブについては、税金による特権とか、いろいろ言われるけど、俺が一番問題にしたいのは「情報談合」ということだろうか。特権的に情報にありつけるという優遇もあるかもしれない。しかし、それ以上に問題なのは、記者クラブ質を置く官邸や公官庁で「情報談合」が行われることではないだろうか。
テレビ・新聞を目にする人たちは、一応、公官庁とい一つの組織の情報がテレビ局や新聞社という別の組織を通して個々の記事・ニュースが出てきていると受け止めている。しかし、公官庁から得た情報を一社が抜け駆けで記事したり、批判的な記事を出したりすれば、期限付きの出入り禁止とかの懲罰を受ける。少し前の小沢さん関係の記事にもあった。つまり、元々が記事にすることの自由が制限されちゃっているわけだ。おまけに、記者室は官邸や公官庁のビルの中に同居しているわけだから、その中でどんな報道合意がなされているのかも分からない。同じ発表にしても、オマエのところは肯定的に書け、オマエのところは否定的に書けというような「情報談合」がどういう形で行われているのか知ることができないのだ。
最近は肯定と否定の両方を混ぜる余裕もないのか、マスコミから出てくる記事はどれも一方的である。例えば小沢さんの秘書の大久保さんの虚偽記載記事では、「検察関係者」発の情報が氾濫した。そこには明らかに地検特捜部でしか得られないと思われる情報があったが、しかし、それは「検察関係者」として記事にされた。これは「情報談合」という情報の出所を曖昧にすることに役立っている例ではないだろうか。だいたいにおいて、そうした記事には署名が入らない。地検特捜部の方も別に嘘情報・プロパガンダを流しても、直接的には自分たちが国民に向けて流しているわけではなく、マスコミが流していることだから、責任は問われない。マスコミの方は訴えられなければ、どうでもいいことだ。つまり、マスコミが守ってくれるから、公官庁の方はいくらでも嘘・プロパガンダを垂れ流すことができる。
要するに、「情報談合」というのは、嘘・プロパガンダを流すかもしれない公官庁という情報元とその情報を伝える側とが一体化し、融合した状態である。この状態は異様としか言いようがない。日本新聞協会は「情報開示に消極的な公的機関に対して、記者クラブという形で結集して公開を迫ってきた歴史があります」とか書いているが、開示も何も、公官庁から出てくる情報が嘘かどうかの見分けも付かずに、あるいは批判的に評価する能力もなしにただ開示された情報を表面的に騒いでいるだけの報道をされたって、あるいは、それ以前に「アンタ、それ公務便の守秘義務違反でしょ」とも言えない連中に情報開示なんて大層なことを言われたってチャンチャラおかしいということではないだろうか。
昨日紹介した記事での、10年以上も前の橋本首相の「米国債を売りたいと思った」発言に対する旧大蔵省とマスコミの反応にしてもそうだが、これだけ官公庁と記者クラブに属するマスコミが一体化していると、これを分離しなければ、何が本当の情報なのか、どのような見方が存在するのか、何が適切な見方なのか国民は判断することができない。その意味で、記者クラブという「情報談合」は先ず廃止しなければならないと思う。
マスコミは99.99%米国支配下にある!
http://ootw-corner.asablo.jp/blog/2009/12/21/4768136