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秦末期、劉邦・項羽に先駆けた指導者、陳勝の言葉…「ああ燕雀いづくんぞ鴻鵠の志を知らんや」。
一か月、二か月…と日が経つにつれて、「政権交代」というのは、なかなか簡単なものではないということが身に沁みてわかってくる。だが、革命に反革命はつきものではないか!
「政権交代」というのは、入れ物(器)が変わるだけではなく中身まで入れ替えないと本物にはならないということだ。それには時間が掛る。
なにしろ「権力」というのは、「権力」それ自身に力の源泉が存在していると言うより、権力の周囲を十重二十重に取り巻いてきた厚い壁のような人間の組織や集団が共鳴して「権力」を生み出し、保存しているからである。
だから、戦後六十年間という長い時間をかけて作られた、この国の「権力構造」の壁は生半可な外圧では崩壊しないのである。しかし、癌細胞はあらゆる手を尽くして徹底的に取り除かねば、復活してくるものなのだ。
「マニフェスト」を守ろうとすれば、「マニフェスト至上主義だ!」と言われ、「マニフェスト」を修正すれば「公約違反だ!」と書き立てられているが、この程度で立ち往生するようでは、この反革命の逆流に立ち向かうことなどはできないのである。
今週の「週刊新潮」と「週刊文春」の見出しを見てみるがいい。
★「天皇陛下」を中国共産党に差し出した「小沢天皇」の傲岸
★「胡錦濤」国家主席への忠誠心を示した「官邸恫喝」
★平気で嘘つく「平野官房長官」をやめさせろ
★怒髪天を衝く「宮内庁」の激烈オフレコ発言録
★「アンチ小沢」火の手を吹き消したお追従議員
★「小沢城」攻略で「東京地検」が目を漬けた「料亭&風俗接待」・・・以上、週刊新潮。
☆小沢と鳩山は天皇に土下座して謝れ
☆天皇皇后両陛下が示した「深い憂慮」
☆見返りは小沢民主訪中団「胡錦濤」の握手と写真撮影
☆「辞めてから言え」不遜な小沢会見
☆福田和也「小沢には歴史観がない。切腹ものだ」・・・以上、週刊文春。
「メデイアはどうして、こんなにも小沢一郎を恐れ、小沢一郎を嫌うのか?」と不思議に思えるほど、もう圧倒的な「小沢批判」「小沢潰し」の記事が氾濫している。そしてこの傾向は今週号に限ってのことではなく、すでに「政権交代」の翌日から始まっていたのだ。
店頭に並んでいる「月刊誌」1月号などは、「正論」、「WILL」、「VOICE」、「新潮45」…どれを手にとっても、徹底した「小沢叩き」の特集が組まれている。
「新潮45」を見てみると「死に至る小鳩政権」という特集があり、巻頭には京都大学教授の佐伯啓思という人物が「日本の行く末…国民のための政治という幻想」という特別寄稿を書いていて、「マニフェスト至上主義の滑稽さ」と言って鳩山政権を嘲笑っている。
相変わらずだが、自民党元幹事長で「小沢嫌い」で有名な「野中広務」氏も、≪漂流、鳩山内閣≫と書き、「小沢一郎の逆国策捜査」とか「誰もモノ言えぬ恐怖政治」「小沢独裁」…と、もう言いたい放題。
この野中という人物、京都の府議の頃から知っているが、左右どっちでも「権力」に取り入ることが実に巧みな人で、当時から裏社会、闇の世界とのつながりが濃い…と囁かれていた人物だった。
「被差別部落出身者」という出自をうまく利用して、あたかも「反権力で平和主義者」のようなことを口にしているが、実に怪しい人だと、私は感じている。
こういう人物に簡単に騙され取り込まれる「サヨク」が多いのにも、私は呆れているのだ。そういえば、共産党なども持ち上げていたっけ(笑)。
この六十年、メデイアは一貫して「政治権力=自民党政権」と癒着していたのであり、メデイアのトップは「権力構造」の中に組み込まれた正に「権力そのもの」であったことを忘れてはいけないのだが、このような記事が溢れているのをみると、この国を変えるのは大変なことなのだと思わないではいられないではないか。
政治評論家の森田実氏がどこかで、「メデイアが安易に民主党の政権交代を持ち上げているが、実態は小沢独裁政治で、恐怖政治だ」と書いて笑われていたが、どこをとってもメデイアは今なお「政権交代」に疑問符を付け続けているし、≪出来れば元に戻したい≫と願って、「反革命」を唆しているのだ。
つまり、この「政権交代」が定着してしまったら、徐々に自分たちが棲む場所が狭まり、二度と自分たちの出番はないだろうと踏んでいるのである。
しかし、五十年、百年先にこの時代を振り返ってみれば、この時代の「政治家」として名が残るのは「小沢一郎」ということになるに違いない。
ほかの有象無象の政治家など虫けらほどでもないのだ…と私は思っている。
だから、「燕雀いずくんぞ…」となるのである。
「ドキュメント政権交代」≪自民党崩壊への400日≫(武田一顕著)河出書房新社…の中にこんな小沢の言葉が書かれている。
「(映画「戦場にかける橋」をひいて)イギリス人は捕虜になっても、指揮系統をみんながきちっと守る。なぜかというと、その指揮系統は自分たちみんなで作ったものだからです。指揮官はジュネーブ条約によって、絶対に使役に使ってはいけないことになっているので、使役に抵抗して独房に入れられたりする。その指揮官が独房から出てくると、みんなが拍手をする。一方、太平洋戦争末期の帝国陸海軍の指揮系統がどれだけ酷かったか。そのことはいくつかの本に記されています。日本兵は烏合の衆と化してしまった。また、捕虜になった日本兵は聞かれていないことまでぺらぺらとしゃべってしまう。それは、なぜかというと、自分たちで互いに認め合って作った指揮系統ではなく、権力関係によってつくられたものだったからです。だから、本当の意味での自立的な意識がなかった。」
小沢の作ろうとしてる国家・社会は「自立した国民による、自立した国家・社会」ということになる。
まさに「坂の上の雲」描くところの世界ではないか。