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2009.12.17(その3) 森田実の言わねばならぬ【993】
平和・自立・調和の日本をつくるために[988]
《著書紹介》『表現の自由と第三者機関』(小学館101新書、2009年8月8日刊、定価756円)の著者・清水英夫先生(青山学院大学名誉教授。弁護士)のこと〈4〉「ジャーナリストが守るべき規範」についての清水先生の教え
「本来、メディアは権力の濫用や横暴から国民を守るという責務を負っている。しかし、その基本姿勢が曖昧になっているところに、国民は気づいている」(清水英夫)
清水英夫先生は私の人生における最大の恩師である。前述したが、私にとって大恩人である。清水英夫先生という偉大な教師を追いつづけることが私の人生だった。並外れた能力をもちながらこれを外に出すことのない努力の人であり、きびしい倫理を自らに課しながら弟子に対しては寛大な教師である清水英夫先生に、私は少しでも近づこうと努力してきた。だが、いくら努力しても近づくことはできなかったが、努力が私の人生となった。
本書には、私たち後輩が守るべき言葉がある。いくつか列記する。
[1]「今日では、ワシントンの新聞記者の力は、ほとんど憲法の一部分といってよいほどムムあるいは「憲法以上の」というべきかもしれないムム強力なので、外国人の驚嘆の的となっている」(ダニエル・J.ブーアスティン『幻影(イメージ)の時代 マスコミが製造する事実』より)。
[マスコミは立法、司法、行政に匹敵する第四の統治権(権力)とみなされるにいたっている。マスコミで働く者は、自らの大権力を抑制する道徳力をもつべきである、という意味として捉えるべきであろう]
[2]「良心の自由は、欧米では信仰の自由と同義であり(その意味では『良心の自由』は不適訳といえるだろう)、近代精神の核であるところから、戦後日本にとっても、最も重要な概念であると考えた」(清水英夫、本書pp.157-158)。
[3]「ジャーナリズムにとって、内乱扇動や利敵行為、大逆罪などの名目による事前圧迫、事後処罰を眼前の敵とすれば、名誉毀損による訴追は背後の脅威であったし、今日もそれは失われていない」(清水英夫、本書p.158、40年前の清水先生の言葉)。
[4]「どうしたらメディアやジャーナリストは信頼を得ることができるだろうか。それは、メディアやジャーナリストが、真に市民の立場に立つこと以外考えられない。そのためには、閉鎖性を破って開かれたものにすること、自らの権力性(社会的影響力)を自覚するとともに、反権力、非権力に徹すること、そして驕りを捨てて謙虚な態度で取材や報道に臨むことである、と思われる」(清水英夫、p.162)。
[「驕り」はジャーナリズムの最大の敵であり、「謙虚」こそがジャーナリズムの生きる本道であることを、清水先生はわれわれに教えている/森田実]
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2009.12.18(その3) 森田実の言わねばならぬ【996】
平和・自立・調和の日本をつくるために[991]
《著書紹介》『表現の自由と第三者機関』(小学館101新書、2009年8月8日刊、定価756円)の著者・清水英夫先生(青山学院大学名誉教授、弁護士)のこと〈5・完〉清水先生の人生がわれわれに教えること/戦争体験と日本国憲法と言論の自由
「1945年(昭和20年)8月末、敗戦で除隊となった私は再び大学に戻った。しかし、東京に家は空襲で焼かれ、応召前は五人だった家族も母独りになっていた(父と祖母は病死、弟は戦病死)。戦争は、私から何もかも奪ってしまったのである」(清水英夫、本書p.112)
偉人・清水英夫先生の戦後の人生は、戦争体験から始まった。ここに清水先生の人生の原点がある、と私は思っている。そして新しい憲法ノ。これも、清水先生の人生の原点である。
「四六年十一月、日本国憲法が公布された。それは、暗闇の中の一条の光のように、私には感じられた」(本書pp.112-113)。
「ちょうど就職先の選択にさしかかっていたころであるが、戦前目指していた官僚の道は、すでに私の脳裏からは完全に消えていた。逆に、『できるだけ非権力的な職業に就きたい』という気持ちに傾いていた私は、選ぶなら弁護士か新聞記者だと考えていた」(本書p.113)。
「見習い期間を終えて、『中央公論』編集部に配属されて間もない四七年五月、日本国憲法が施行された。そして、ジャーナリストの立場から新憲法を読み直したとき、その第二一条(『集会、結社および言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する』)の重大さと素晴らしさを、改めて発見することになる。ジャーナリズムを窒息させた検閲は禁止され、占領下という制約(占領軍による検閲を含め、かなり不自由ではあったが)を除けば、日本近代史の中で、初めて味わった言論の自由なのであった」(本書pp.113-114)。
それから六十数年。清水先生は、「言論の自由」を守るために、編集者、学者、弁護士として全力をあげて努力してこられた。先生は戦後日本のジャーナリズムとともに生きてこられた。平和主義と言論の自由という人間社会の最高の理想を胸に、自らをきびしく律しつつ、周囲の人々にはやさしく、教育者の心をもって接し、多くの人々を激励し、救ってきた。清水先生は日本国民すべてが規範とすべき手本であると思う。私も、改めて清水先生のように自らを律して生きていきたいと決意している。(完)