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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu206.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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小沢一郎は、日本が「民主主義人民共和国」になるのが「日本解放」だと
思っていることが分かる。「私は解放のための人民解放軍野戦軍司令官」
2009年12月19日 土曜日
◆君、日本国憲法読んだことあるの、とは誰のことか 12月15日 西村眞悟
http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=470
今来日している、中共の副主席が天皇陛下と会見することとなった事態は、許されざる事態である。
腹に据えかねる思いをもつ国民にとって、図らずも、この事態は、我が国体と天皇の存在について、あらためて認識を深める機会となっている。
それと同時に、一旦日本側が断っていたこの会見を、中共の意向の元にごり押しして、まさに彼の走狗となって実現にこぎ着けた総理及び党幹事長の「程度」が、極めて低いことも明らかになった。
昨夜(十四日)の小沢氏の記者会見での発言は聴くに堪えなかった。そして、なるほどなー、かわらんなーこの人はと思った。 彼はぶすっとした顔になって、質問した記者に
「君、日本国憲法読んだことあるの?」と言い放っていた。
彼のこの発言と北京での発言、「日本解放はまだ」、「私は解放のための人民解放軍野戦軍司令官」を総合すれば、
先ず第一に、この人物は、日本国憲法が分かっていないということが分かる。
次に、この人物は、日本が「民主主義人民共和国」になるのが「日本解放」だと思っていることが分かる。
そして、選挙によって政権を取れば、何でもできると考えていることが分かる。
先ず、日本国憲法第一章第一条にある「天皇」について
ここに天皇が日本国と日本国民統合の象徴と記述されていて、「この地位(天皇の地位)は、主権の存する国民の総意に基づく」とある。
では、この「国民の総意」とは何か。
これがポイントである。これが分からない者は小沢氏のようになる。つまり、国家にとっては極めて有害であり、個人的には恥をさらす。
この「国民」とは、例えば、今街角を歩いている国民、または家でテレビを観ている個々の国民ではない。つまり、現在の「横の集合体としての国民」ではない。
日本が誕生して以来、二千年にわたって日本国民であった「縦の集合体としての国民」のことである。歴史のなかで亡くなっていった国民を含めた国民である。
神話によって伝えられる昔から、つまり二千年以上昔から、途絶えることなく天皇とともに生き、万葉集に歌を遺してきた無量の日本国民が一貫して疑うことなく天皇を戴いてきたこと、これが「国民の総意」である。
遙か昔、「大君の みことかしこみ 磯にふり 海原わたる 父母をおきて」と万葉集に歌を残し対馬の金田城の長大な石垣の石を運んだた無名の防人、
昭和二十年三月、「国のため 重きつとめを果たしえず 矢弾尽き果て 死ぬぞ悲しき」と打電して硫黄島で玉砕した栗林中将と二万の将兵、
そして、今も続く宮中歌会初めに天皇皇后両陛下とともに歌を寄せる数万の国民、
さらに、ご皇室のご成婚や皇子誕生に、こころから喜んで日本を明るくしてきた一億二千万の国民、
この二千年の歴史の積み重なりがなければ天皇の地位はない。これら全ての国民が戴いてきたのが、世界のなかで我が国にしかおられない万世一系の天皇であり、この地位が百二十五代を経て今にあるということが、即ち「国民の総意」なのだ。
ところが、小沢氏は、今生きる個々の国民の集まりが「国民の総意」と思っている。そしてその「総意」は、選挙によって内閣を組織した自分たちが「体現している」と思っている。つまり、小沢氏にとっては、選挙結果が「国民の総意」であり、結局、選挙で勝った自分たちが「国民の総意」そのものなのだ。
従って、極端に言えば、馬の骨であろうとも、土匪、馬賊、蛇頭の親分であろうとも、自分たちが会わせようとと思えば、天皇と会見してもらう、これが「民主主義」であり「日本国憲法」だと小沢氏は思っている。
だから、彼は、天皇と副主席の会見セットに関して記者から質問を受けて、自分の正当性を強調するために、
「君、日本国憲法読んだことあるの」、「民主主義なんだろう」という反論をしていた。
昨日も書いたが、また、語るに落ちたのである。
馬鹿さ加減極まれりだ。与党の幹事長の答弁とは思えない。大学の憲法ゼミでの幼稚な学生の質問でもあるまいに。また、左翼学生が好んだ団体交渉のヤジでもあるまいに。
小沢氏は、自分勝手に憲法を読んでいるだけだ。そして、極めて浅薄な解釈しかなしえていない。
小沢氏の解釈では、日本は「民主主義人民共和国」である。
今いる国民だけが投票する選挙が「国民の総意」なのだから、国民投票で皇位を廃止することもできる。
これが小沢氏の「民主主義」である。
権力を握れば何でもできると思っている幼児性、このような者に限って「民主主義」を強調する。
何故こうなっているのか。それは小沢氏が、「日本の国体」を理解していないからである。その結果、極めて危険なモデルに合わせて憲法を解釈している。
そのモデルとは、中国共産党である。従って、北京に行って「日本の解放はまだ」だとか自分は「人民解放軍の司令官」だとか、あきれるようなことを大まじめに言えるのである。
つまり、小沢氏のマインドは、金正日と同じだ。このような者、つまり「無道の者」は、速やかに掃蕩すべきである。
◆天皇陛下にも非礼な会見 正視に耐えぬ現政権「朝貢の図」 12月17日 佐々淳行
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/336549/
15日付の朝刊各紙は、第1面で大々的に≪小沢−羽毛田≫論争をとりあげていた。
天皇陛下の習近平中国国家副主席との「特例」会見が、「天皇の政治利用」につながるかどうかが論点である。筆者は、これは民主党の小沢一郎幹事長と鳩山由紀夫内閣の「天皇の政治利用」だと断ずる。羽毛田信吾宮内庁長官は、国家行政組織法で授権された国家公務員としての任務、すなわち、天皇陛下のご健康を気遣い、一視同仁、政治外交上の中立性を守るべき天皇をお守りする任務を遂行した人物で、記者会見で一党の幹事長に、怒りに任せて公然と辞表を出せといわれる筋合いはない。
以下、政治利用と断ずる、その理由を列挙したい。
1、まず一政党の幹事長に宮内庁長官の罷免権はない。いかに役人嫌いであるからといって、天皇の信任を受けている同長官への悪口雑言は、天皇に対しても非礼である。宮内庁長官の任免は、天皇と内閣総理大臣のなすべきことであり、一政党の幹事長が記者会見でいうことではない。
≪「国事行為」の理解に誤り≫
2、小沢幹事長は記者団に「憲法、読んだこと、あるのか」と礼を失する発言をした。確かに、日本国憲法第7条「天皇の国事行為」の項には、「天皇は内閣の助言と承認により、国民のため左の国事に関する行為を行う」とあり、憲法改正、国会の召集、衆議院解散など10項目が限定列挙されている。外交に関しては第8項「批准書や外交文書の認証」と第9項「外国の大使及び公使の接受」だが、要人との会見は明記されていない。
今回の習副主席はもとよりオバマ米大統領をはじめ外国の元首、首相などと天皇との会見は「国事行為」ではなく皇室外交の国際礼譲であり、さらにその助言役は宮内庁の羽毛田長官である。今回の会談を「内閣の方針」による「国事行為」ということこそ、不勉強による誤りである。
3、「1カ月ルールは誰が決めた。法律に書いてあるか」「内閣の決定したことに反対なら辞表を出してから、ものを言え」という小沢幹事長の羽毛田氏非難も多分、国民はその傲慢(ごうまん)で高圧的なもの言いぶりに反感を抱いたと思う。宮内庁への全国各地からの羽毛田氏支持の声はFAX、電話など1日で1千件を超したという。
4、最も妥当性を欠くのは、「天皇の体調がすぐれないなら、優位性の低い行事はお休みになればよい」という発言だが、鳩山総理もこれを支持したという。その大小の決定をするのも内閣なのか。では問うが、中国は大国だからルールに反してもよいが、小国なら接受しなくてもよいのか。身体障害者施設や老人・児童施設への行幸(ぎょうこう)は、大きいことなのか、小さいことなのか。
両陛下の国民をおもいやる優しい心からみれば、また皇室のため、内閣のためにも「大きなこと」ではないのか。この発言も、大小、強弱を問わず何事も公平にという両陛下の大御心(みこころ)にそわぬものと心得る。この点、国会開会式に「もっと思いが入ったお言葉を」といった岡田克也外相の発言にも、天皇の政治利用の下心を感じさせられた。
≪対米関係にも悪影響≫
5、習副主席が天皇に会うことは東アジアの平和と繁栄のために良いこと、と筆者も思う。だが、そんな大きな外交日程がなぜルール通り1カ月前に決められなかったのか。そこに、600人を率いて行われた小沢訪中とのパッケージ・バーター外交ではないかとの疑念を禁じ得ない。
中国が天皇を政治外交に利用したいと考えていることは、江沢民前政権以来、明々白々である。そこへ大訪中団を率いて訪れ、国賓並みの歓迎を受け、このパッケージ外交で迎合したのではないだろうか。報道によれば、小沢幹事長は「解放軍の総司令官だ」と自己紹介したという。自民党から「解放」したというつもりなのだろうが、アメリカはそうは思わない。アメリカの占領からの解放ととり、不快感を強めるだろう。
143人の現役議員全員に、1人1秒足らず、胡錦濤主席と握手させ、写真を撮らせる演出は、まさに宗主国に恭順する近隣国の“朝貢の図”で、誇りある日本人の正視に耐えない。そうすると、先月中旬、学習院大学ホールで上演された中国人民解放軍総政治部歌舞団のオペラを、お忍びで皇太子殿下が観劇したのも、このパッケージの一部だったのかとかんぐりたくなる。総監督の人気オペラ歌手は習副主席の妻だからだ。
小沢氏の記者会見は、いい気分で凱旋(がいせん)した日本で小役人が反抗したことへの怒りの表れと思うが、天皇を戴(いただ)くのは日本の2千年の政治の知恵であり、世界に比類のない国体である。平時は「権威」として政治に関与せず、民族の存亡にかかわる重大な時に、国民統合の象徴としてお力を発揮していただくというのが筆者の見解だ。ゆめゆめ一内閣の外交、ましてや党利党略に乱用することは許してはならない。(初代内閣安全保障室長・佐々淳行)
(私のコメント)
小沢一郎は日本の開放を目指しているらしいのですが、解放後は日本自治州第一書記にでもなるつもりなのだろうか? 小沢自身も「開放のための人民解放軍野戦司令官」を自認しているくらいなので本気で思っているのかもしれない。鳩山首相の駐留なき安保には賛成できるが、日本を開放して中国の一部になるような事を小沢一郎が持っているとすれば狂っているとしか思えない。
小沢一郎は自民党幹事長時代は典型的なアメポチであり、湾岸戦争の頃はアメリカの手先となって働いた人物だ。彼の「日本改造計画」は年次改革要望書を小沢一郎と北米局の親米官僚グループが本にしたものであり、アメリカの手先となることで権力を握ってきた人物である。それがアメリカと仲たがいして中国の手先となることで権力を掌握しようとしている。
確かにアメリカや中国の手先になれば、豪腕をふるって権力を取るくらい簡単だろう。アメリカや中国は利権を餌に近づいてきて取り込んでは日本の内政に踏み込んで来る。小沢一郎は外国人参政権法案を通して在日中国人のコロニーを作って解放区にするつもりだろう。アメリカにしても日本にある100ヶ所以上の米軍基地は日本の警察権力の及ばないアメリカ人租界地だ。
東京には池袋に中国人解放区が出来つつある。新宿の歌舞伎町も中国人マフィアによる進出ですっかり風紀が悪くなってしまった。マスコミなどこれを国際化と呼んでいるが、正式な方法で滞在しているのではなく不法滞在者たちだ。アメリカにしても入国が厳しくなりましたが中南米や韓国や中国からの不法入国が増えてきてコロニーが出来ている。
小沢一郎が外国人参政権に熱心なのも中国という国家権力を借りて日本を乗っ取ろうという野心があるからであり、600人の大訪中団で本性を現して来た。民主党の幹事長に過ぎないのに外交問題や天皇を自在に扱えるという権力をもたらしている責任は民主党にある。民主党幹部も小沢一郎に一喝されるとものも言えなくなるのは小沢の独裁者的強権政治が始まりつつあるのだろう。
小泉純一郎にも独裁者的強権政治がありましたが、自民党幹部たちは小泉に何もものが言えなくなってしまった。このような強権政治家がいれば中国やアメリカにとっては好都合であり、彼一人を取り込んでしまえば日本が自由自在に扱える。日本は幕末以来権力を分散させて外圧から逃れてきた。信長のような天皇に成り代る独裁者が現れれば明智光秀が彼を討ち取った。
農産物輸入自由化や大店法自由化などを推進してきたのは小沢一郎であり、そのおかげで地方の駅前商店街がシャッター通りにしたのは彼の功績だ。今度は中国の手先になって日本に何を仕掛けてくるのだろうか? 外国人参政権で日本中の大都市にはチャイナタウンが出来て彼らの支持がなければ日本の政治が動かない事になるかもしれない。
小沢一郎の発言を見ても日本の皇室制度の将来も危ういものになりそうだ。彼の憲法解釈によれば「国民の総意」で皇室も廃止できると解釈できる。民主党が政権をとったと言う事は平成の無血クーデターという事なのだろうか? 民主党のマニフェストには外国人参政権も天皇の韓国訪問も書いては無い。
小沢一郎の記者会見における恫喝は民主党政権に対するイメージを一気に損なうものだ。それと同時に鳩山首相の無力振りが明らかになって国民の支持率も50%を切ってしまった。鳩山に代えて誰が首相になろうとも小沢院政が行なわれれば党の幹事長が最高権力者という事になる。党の幹事長は議会の承認も天皇の認証も要らないポストだ。
習近平副主席の天皇会見の前に、皇太子が習近平夫人の中国人民解放軍のオペラに鑑賞に来られた。これは私的活動という事ですが中国は皇室にも深く関与し始めてきている。それが羽毛田宮内庁長官の危機意識から記者会見に及んだのだろう。
◆イベントご参加慎重に 中国人民解放軍のオペラ 皇太子さまご鑑賞 11月29日 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/091129/imp0911290958001-n1.htm
11日、皇太子さまは母校の学習院大学の構内で、中国人民解放軍総政治部歌舞団による中国オペラの特別公演を鑑賞された。宮内庁東宮職によると、このお出ましはいわゆる公務ではなく、私的なご活動との位置づけであった。
ただ、私的なご活動であるとはいえ、中国人民解放軍は中国共産党の軍事部門であり、事実上の国軍である。複雑なる日中関係を考えれば、そうしたイベントに皇太子さまが行かれることには、正直にいって文字通りの「違和感」を禁じ得ない。
そもそもこうした催しに、皇太子さまが行かれる必要があったのだろうか。宮内庁関係者によると、このイベントは、出演した日本のオーケストラの指揮者が皇太子さまと以前から音楽を通じて深い関係にあるため、その縁で皇太子さまに私的に鑑賞のお誘いがあったのだという。
しかし、個人的関係に基づくご鑑賞とはいえ、中国人民解放軍のオペラを皇太子さまが鑑賞されたという事実は、さまざまな憶測を呼ぶ。皇太子さまを支える側近の人々には、こうしたイベントへのご参加にはもっと慎重に構えて調整する必要があったのではないだろうか。
外国の軍隊の歌舞を皇太子さまがごらんになるなら、その前に、自衛隊の吹奏楽コンサートなど、ほかにごらんに入れるべきものはたくさんあるはずである。(白浜正三)
宮内庁が報道自粛を要請した皇太子と習近平夫人との鑑賞会