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http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51308036.html
2009年12月19日00:00 カテゴリ社会・世界情勢
法的には、わたしたちがいらないと言えば米軍基地はなくなる
おととい、「辺野古の目はなくなった」(12月13日)でも引用した、東京新聞の半田滋さんの講演を聞いてきました。沖縄の基地問題について、専門的でしかも血の通った、わかりやすいお話でした。半田さんも、辺野古移設はないと見ておられます。
印象に残ったのは、米軍はグワムに行けばいいとか、本土に行けばいいとか言う立場に、わたしたちはない、という指摘です。「それは米軍、米政府の決めること」と。たしかに、言われて初めて気がつきましたが、そのとおりです。わたしたちは、「出ていってください」と言えばいいだけです。
半田さんは、「なぜだかわからないが、外務省は米軍を引き止めてきた」とも。その理由は、「官僚の権力の源泉としての対米追従 田中宇さんの分析2」(11月18日)で説明がつくと思います。
半田さんはまた、「米軍は、政府が出て行けと言えば出ていく。国民に出ていってほしいと考える人が少ないのでは」とも言いました。そうなのでしょうかねえ、だとしたら「痛い」話です。国会決議をすれば米軍基地はお引き取り願えるということは、田中宇さんも指摘していて、同じことを半田さんからも聞くとは。
これはますます、来年の安保見直しが重要になってきました。なにしろ1996年に鳩山さんは、「2010年には日米安保を見直し、常時駐留なき安保へともっていきたい」と、「文藝春秋」に書いたのです。半田さんのお話を聞いて、このところの普天間基地をめぐる鳩山さんの言動は、この「常時駐留なき安保」をにらんでのことではないかとの確信を強めました。わたしは、安保条約そのものを解消したほうがいいと思いますが、米軍基地がなくなることは、その一歩にもなりうるだろうと思います。半田さんは、今後の米軍のあり方、脱軍事化にひとつの可能性を示しました。それはまた稿を改めます。
問題は、主権者の意志が在日米軍基地の命運を握っているという事実を、わたしたちが知らない、ということです。すくなくとも、わたしは知りませんでした。相手国であるアメリカは、民主主義という価値観を共有しているのだから、わたしたちの民主主義的決定を快く受け入れるしかないのだとは、恥ずかしながら、発想したことがありませんでした。
この事実はおそらく、これまで意図的にひた隠しにされてきたのでしょう。とんだ洗脳状態です。それが今、全選挙区で辺野古移設に反対する議員を送り出した沖縄の人びとの意志が尊重されるべきではないのか、という問いかけのかたちで、わたしたちの覚醒を迫っています。だったら、沖縄だけではない、米軍基地のあるすべての選挙区で、基地はいらないという意思表示をする時ではないのか、と。
これまで、対米追従を続けることで権力を維持したい人びとは、「外交防衛を一地方の選挙結果にゆだねるのは無責任だ」とのレトリックで、いかなる民主主義的結果もスルーし、いまだにこの一本調子を続けています。それはウソだと論破すること。50年続いたこの目隠しをかなぐり捨てること。その使命は、まずはマスメディアが負っているはずです。けれど、相も変わらず対米追従思考から抜け出せないおおかたのマスメディアに頼るわけにはいきません。わたしたち自身が、ネットをはじめとするツールを駆使して言い触らさねば。うー、元気が出てきました。
ツイッターやろうかな。慣れてしまえば簡単と、きのうある方が教えてくださいました。わたしがツイッターを使えるようになるまで、ツイッターユーザーのみなさん、この情報をせいぜい広めてください。
[関連投稿]
辺野古の目はなくなった(池田香代子のブログ)
http://www.asyura2.com/10/senkyo76/msg/183.html
投稿者 クマのプーさん 日時 2009 年 12 月 13 日