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マスコミが発するニュースなるもの、新聞の記事らしきものを
みるてつくづく思うのは、だんだん訳が分からなくなってしまうということです。
例えば、”児童手当の年齢制限が導入される?”と大騒ぎして報道しているのですが
何故年齢制限をするのかということは報道しないのです。
マニフェストと違うのは分かったのですが、どうして導入することにしたのかを
取材して、報道して欲しいのです。
”Aということがありました。民主党のマニフェストに反してるのでは。”
で終わり。それでは、おかしいと思います。誰だって、マニフェストは
守りたいし、仲良くしたいし、いい顔したいんです。だから、そうなるには
理由があるはずです。
だから、
”Aということがありました。民主党のマニフェストに反しているのかもしれないが
こういう理由で政治判断がなされました。”
という、報道ができるはずですし、しなければならない。
それをしないで、センセーショナルなお題目だけを垂れ流しているから
報道機関は存在理由がなくなりつつあるのでしょう。
”何故なの”が全くないのは、思考停止している。報道機関は思考停止状態に
あるのだと思います。
もうひとつ気になるのは、報道番組で適当な画像を切り張りで挿入することと、
音楽を入れることです。これらは、判断を惑わせるものだと思います。
キャスターが自分の説を述べたり、主張するのもいいでしょうが、
適正な報道とは、淡々と事実を述べ、そのキャスターや局の意見があれば、
脚色なく述べることだと思います。
あまりに、脚色が多くて、すべてが嘘っぽくみえるのが現在の報道でしょう。
その報道に頼って、政治状況を判断するのはもう、無理かもしれない。