★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK76 > 298.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
2009/12/16
天皇を政治利用しているのはどっち?
http://yahhoo.cocolog-tcom.com/goodwill/2009/12/post-3e4b.html(全文転載)
この日本、ある単語が出てくると、いったいどうしてしまったのかと思うようなお粗末な理屈がまかり通り事がママある。掲題にあるように、天皇と習近平副主席との会談をもって、天皇の政治利用と騒ぐのがそれだ。本気で言ってるとしたら噴飯もの、知能が足りなさ過ぎと言いたい。
まず、ここは反民主の産経記事を敢えて引用しておこう。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091215-00000524-san-soci
<引用開始>
陛下、習近平副主席とご会見へ「政治利用」の批判高まるなか
天皇陛下は15日午前、来日中の中国の習近平国家副主席と皇居・宮殿で会見される。この会見をめぐっては、希望日の1カ月前までに申請するという「1カ月ルール」の期限を過ぎているにもかかわらず、鳩山由紀夫首相の指示を受けた平野博文官房長官が、宮内庁の羽毛田信吾長官に会見実行を指示するという異例の経過をたどっていた。「政府首脳による天皇の政治利用」との批判が巻き起こる中、会見がついに実現することになった。
[表で見る]天皇陛下と周近平国家副主席の「特例会見」までの経緯
習氏は午前10時35分ごろに皇居・宮殿の南車寄に到着、陛下と約20分間にわたって会見される。
ルールに合わないまま陛下との会見が設定されたことに抗議する動きもあり、皇居前広場には多数の警察官が配置され、不測の事態に備えた。
中国側からの陛下と習副主席との会見申し入れは、11月26日に外務省を通じて宮内庁に打診があった。1カ月ルールに合わないため宮内庁は「応じかねる」と返答した。しかし鳩山首相の指示を受けた平野官房長官が、2度にわたり羽毛田長官に「日中関係は重要」として会見の実行を指示。宮内庁側は最終的に受け入れた。
羽毛田長官は11日、こうした経緯を記者団に説明、「国の大小、政治的重要性で差をつけないのが陛下の国際親善のあり方。二度とあってはほしくない」と不快感を表明。これに対し、民主党の小沢一郎幹事長は14日、記者会見で「辞表を出した後に言うべき」と述べるなど、異例の経過をたどっている。
<引用終わり>
自民党は鬼の首を取ったかの様に批判し、また民主党の中にも批判があるようだ。確かに天皇の政治利用はよろしくない。戦前への逆戻りを連想させてしまう。おそらく誰しも異論ないだろう。
ところで、政治利用って何?今回の中国副主席と天皇の会談が政治利用ならば、今までの各国首脳との会談は何なんだ。どこが違うというのか。違いは、単に1か月ルールと言う手続き論の話だろうに。
そもそも、この会見を小沢氏は国事行為と思ったらしいが同じ産経に記事によれば公的行為と言う。ならば、天皇に拒否権がない国事行為と違って、公的行為は憲法上の規定はなく、必ずしもその限りではない。
それでいて、当のご本人の天皇が会談を嫌がっているとか、体調がすぐれないとか言うなら分かるが、そういった事は一切出てきてないで、宮内庁長官と自民党がケシカランと騒いでいる。いったい全体どういうロジックなんだろうか、局部的に見れば天皇擁護の体裁を装っているが、よく考えれば天皇は自分の意思表示を出来ない人と言ってるようなもんではないか。
ただし、この長官が、1か月ルールを守るべきと考えるのは、至極当然でそういう役目なんだから、その事は妥当だ。だがそれは天皇に過重な負担を強いるまいとの政府内の取り決めであって、いわば内部の手続き論であり、これは目的ではない。この手続きルールの目的は天皇の負担軽減と自主性の尊重だろう。
だから、この宮内庁長官が1か月ルールを守れと主張するのは間違ってないし主張すべきだが、それは、そういう要求をした上司である首相に進言すべきであって、世間に言うことではない。社長である首相を飛び越えて社長批判を世間に言いたいならば、辞表を出して元宮内庁長官という個人の立場で主張すべきだろう。そうでなければ国家としてのガバナンスが機能しないではないか。
何も言論統制を強いているのではない。何を主張してもかまわないが、立場に見合った責任をもって主張すべき事は法律以前の慣習法の常識だろう。ベンダソンが何を言おうが、それは所詮ヘタレブロガーの遠吠えに過ぎないが、宮内庁長官の主張なら政府方針と一致してなければおかしい。
首相と反対のことを直属の部門の最高責任者が、ルールを無視して公言してはばからないとしたら、しかもその内容がルールを守れでは論理矛盾も甚だしい。そもそも法律でも何でもない政府内部の事務手続きルールを守れとの主張をするのに、ルールを守らないで主張する、この大きな論理矛盾に何故誰も気が付かないのか不思議でならない。大きな国のルールより、そこに包含される政府部局の小さなルールの方が大事って、そんな国どこにある?
たとえば、普天間基地移転に関しては、まだ政府として意思決定がなされず議論の最中ならば各大臣の意見が違うのは当たり前なのに、意志統一されてないと騒いでおきながら、首相が意思決定し要請した天皇の公的行為に対して、部下がケシカランと反対することには批判しない。対象となる事物によって判断がかわってしまうこのご都合主義・思考停止には首をかしげてしまう。
拙ブログ、以前から言うように、この国では「天皇」と「原子力」と「憲法」はタブーで、この単語が出てきただけで、一斉に思考停止に陥るようだ。だからこれを政治利用しようとする人々は、これらの単語をちりばめ政敵の足を引っ張る。
今回の騒動はまさにこの典型。この宮内庁長官はともかくも、周りでわいわい騒いでいる自民党諸氏に言いたい。天皇を政治いや正確には政局に利用しているのはどっちなんだと。
あたかも天皇陛下を崇めたてまつるかの様なポーズをとっていながら、肝心要の天皇陛下の事情や気持ちは全く話題にもならず蚊帳の外にあるのがその証拠だ。天皇が、もし会談を厭だとするならば一言、一か月ルールを守ってくれと言えば済む話ではないか。
そもそも、会談と言う行為自体も全く議論の対象になって無いのだ。天皇の政治利用はケシカランと言いながら、いったい何の事を指してるのかマカ不思議だ。1か月ルールに反しているとの単なる内部手続き論でもって、その手続きの優劣が天皇の政治利用であるとする事自体、論拠があまりにもお粗末で、知能程度を疑ってしまう。「天皇」を持ち出せば国民全員が思考停止するとは限らないのだが・・・。
小沢幹事長が「辞表を出してから言え!」というのは、一見乱暴に聞こえるが、宮内庁長官と言う立場と発言内容からすれば、理にかなっている。ただし、理屈より感情を優先する人々や「天皇」と聞いたとたん思考停止する人々には到底理解できまい。
少し話題を変えるが、この国の未来を考えているのは誰なんだろうか。そう考えると、少なくとも今回の天皇と副主席階段を批判する人々にはそれを感じられない。彼らには天下国家よりも政局が第一なんだなあと思ってしまう。
普天間問題にしても、きーきー・わーわー騒いでいる人々は、日本国の国防と安寧を考えての事のようには見えない。政局であったり自己PRのためでしかないように見えるのだ。あるいは、小沢氏の西松献金問題や鳩山氏の母親からの献金疑惑にしても、根っ子の部分を見ずに厳密な手続き論ばかりを言う人が多すぎる。
こうした批判勢力の多くに共通しているのは全体観の欠落だ。本来は日本の国防や外交であったり政治倫理といった天下国家を論じる話なのに、なんとか民主党の足を引っ張りたい一心でモノを言うから、議論の対象であるはずの事象に対する評価がほとんど無く、ただピンポイントで手続きミスをついて論理的な主張をしているつもりになっている。
自分勝手な局部的な前提条件をこさえて、その上で成り立つ手続き論を展開するから、議論の前提が変われば何の意味もない。この天皇と中国副主席の会談批判を例にとれば、宮内庁が決めた手続きルールの国政全体における位置づけを考えれば、1か月ルールは何ら批判の根拠足り得ない事は明らかだ。
結局のところ、田舎の顔役が、誰それに挨拶したのかとか、俺は聞いてねーとか、へそを曲げる論法と大して変わらん。常に何を言ったか起こったかの話の中身ではなく、誰がエライか、誰が言ったかを問題にしている。
普天間の問題にしても、自民党はわいわい騒ぐが、お前たちが戦後60年かけてこういう状態を造ってきたんだろうと言いたい。聞こえてくるのは、いつまでに決断しなければならないといった形式論ばかりだ。60年間ろくな決断をせず今日まで引き延ばしておいてそりゃないだろと思う。
小沢氏が、どれほどの人物かは、まだ断定できないし、あの顔だから何でも割り引いて評価したくなるが、終始一貫して一本筋が通っていることは認めざるを得ない。今回の件も、記者会見で、記者諸氏に憲法をよく勉強しろ!と一喝していたが、あまりにもマスコミはじめ批判勢力が右往左往する様との対比が鮮明で、彼らの小者ブリが浮き立ってしまう。
小沢氏の国事行為という憲法解釈は間違っているとの指摘もあるが、即座に誰も反論はできず、後になって憲法学者の諸説ふんぷんの中でどうやら違うんじゃないのかという微妙なところだ。告示行為じゃなければ公的行為と言うわけだから、冒頭述べたように、だったらなおさら天皇が自分で判断した訳であるから、それを外野がとやかく言うのは天皇の判断への批判となる。
批判する側は、なんとかやっつけてやろうと局部的にアラ探しするので常に全体観が欠落しており、小沢氏の揚げ足を取ったつもりなんだろうが、そもそもの論点を考えれば、逆に自分たちの墓穴を掘っている。
こういうレベルの差を見せつけられ、小沢氏の、あのおっかない顔を見ないようにして考えると、彼はこの国にあって見ているものが、その辺の政治屋とは根本的に違うような気がしてくる。
1年前、マスコミは政権を取っても首相になる意思がないのはケシカランと騒ぎ、首相になりそうだとなると、一斉に党首の座から引きずり下ろし、政権を取ったら、今度は影の実力者だと騒ぎたてる。
騒ぎ立てる側には何も芯が感じられず、ただただ条件反射のごとく反対のために反対し右往左往していて、どこか誰かに操られている感が否めない。ここから先はさしたる客観的根拠があってのことではないが、こう考えるとつじつまが合うなと言う話をして終わりにしたい。
それは、このたび天皇を引き合いに出したり、普天間問題を引き合いに出したりする人々は、日本や世界の平和とか繁栄なんてどーでもよくて、日米同盟や反共で食っているのではないか。だから政府が本気で日本の平和とか発展を考えだしたら都合が悪い。
そもそも、辺野古への基地建設にしても、なんでヘリの理発着に滑走路がいるのか不思議だし、米軍が特に望んでもいないのに滑走路建設を言い出したのは日本側と言う説もある。だいたい、やたら期限を区切って煽ってるのは自民党と日本のマスコミと、アメリカの前政権だ。
どこか日米安保で利権を創りあげ食っているではないか、と考えるのが妥当な気がしてならない。本当にオバマ政権が苛立って、日米安保がダメになるというなら、具体的にどういう事態になるというのか。ただただアメリカ側の肩を持って、お追従に一生けん命にしか見えない。
日米安保は国防の手段なのに目的と勘違いしてしまって、本来の国防の前提条件が変化してしまったのに、そのまま維持しようとしているようだ。現下の状況では、日米安保は絶対に必要だと思うが、その中身は時代の変化に対応すべきであることは明らかだろう。
そこへもってきて、あたかも天皇陛下を守るかの様な言い回しで、天皇を自分たちの政局や、アピールに利用している。いったいどこに日本国の事を考えているというのか。国防を考える、天皇を思うふりをして、ただ自分たちの飯の種を何とか温存しようとしているだけではないか。
天皇自身が何も言ってもいないのに、あたかも天皇の身をおもんばかるかの様に「天皇」と言う言葉を担ぎ出して、平和の足がかりを崩そうとする者こそ国賊と言わなければならないだろう。日本と中国が仲良くなって困るのはいったい誰なのか、少なくとも日本国民ではない。
反対派は天皇が会談する相手国に差があってはならないなどと、一般論を持ち出し、この会談がいかにも特別な会見でありケシカランと印象づけようとしているが、どこにあるかも分からない日本と縁もゆかりもないもない国の代表ではない、へたすりゃ近い将来世界1の大国になるかもしれない隣国の副主席なのだ。
こう考えると、宮内庁の内規を盾にとって、両国の親善を妨害しようとする様には、何がこの国にとって重要なのかではなく、何が自分にとって重要か、そういう心根のお粗末さが見え隠れしてしまうのだ。
この会見は、そもそも自民党の元総理N曽根氏の要望とも噂されているが、国益を考えてのことだろう、自民党内にも、民主党内にも国益を優先して思考する人もいれば、根っ子の無い人間もいる。民主党だから素晴らしい、自民党だから利権派とは限らない。
このたびの政権交代は、維新の序章だろう、大政奉還した後の国家建設には、再度の政界再編が必要だと思う。・・・ただね、それまでこの国が持てばよいが(独白)。
という訳で、本日これにて。
(転載終わり)