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アメブロ GENKIのブログ 日本と世界の黎明より
習近平副主席来日に伴い、天皇陛下政治利用という見出しの報道が飛び交っている。
前原発言では、前総理大臣より要望があった訪問であるとの情報も飛び出しているようだが、その不統率ぶりは後日記す。
小沢幹事長の会見も、VTRの後、悪党面だの、態度が横柄だのお決まりのコメントがされている。
ともあれ、ご健康が心配された天皇陛下より無事ご引見を賜り、それに応える習近平の姿を見て御会見の成功を一日本国民として素直に慶びたい。
興味深かったのは、局を問わず、日頃、厚顔無恥なコメンテーターやキャスターが一通り批判を終えると、最後に「陛下のお身体にご負担が掛らぬように」とか「陛下の御公務に感謝したい」など、陛下のお身体をいたわるコメントがあったことである。
注目したいのは、テレ朝の『やじうまプラス』下平さやかキャスターの発言である。
「・・・しかし天皇陛下に(副主席が)お会いになりたいと言って頂けるのは有難いですね」と述べたのには本当に驚いた。
なにげないこの発言は、とても素直な心情を表しているもので、好感が持てる大切な一言だった。
天皇陛下について述べさせて頂くにあたり、私などはつい、へりくだった言い方をしてしまうので反省しなければならない。
難しく論じる必要は無い。
お会いになりたいという『相手の』気持ちに感謝し、会いたいと思もって頂けるお方『天皇陛下』がこの日本に存在している事実に有難いと感謝することである。
この心こそ日本人の心情であり、互いを敬う真の外交の基礎と言える。
前政権のように形式的に会見していたならば、何も論議されること無く、この様な心情を呼び起こすことも無かったであろう。
下平さやかキャスターの何気ない言葉が、現代における天皇と国民の立ち位置である気がする。
この事を考えれば、いかに羽毛田発言が僣越だったか理解出来る。
いずれにしても、この思わぬ副産物に清々しい感銘をうけた。
しかし、この会見や陛下を巡る報道はすぐに沈静化するであろう。
なぜなら、この度の論議は様々な思惑のもとで話されているからである。
もはや右や左と単純に色分けは出来ない。
あったとしても、国内ではなく、海外の反響報道であろう。
国内においてご皇室に係る問題は、政治や報道の思惑を超えて、国民的な論議に発展する要素を含んでいる。
それは、マスコミの意図するところではない。
政治家やマスコミも自分達の利する方向で論議を着地させる事が不可能になり、操作不能に陥る可能性が大だからである。
報道番組における、出演者の態度からもその一端が窺える。
いくら発言批判をしていても、話を掘り下げる過程で、ご皇室のあり方という聖櫃に手を掛けようとしている事に気が付く。
コメントが的を得ず、途中で頭でっかち尻切れトンボのようになるのも、周りで様々な思惑が存在している事と、皇室の在り方をはっきり定義できていないためである。
となりに座る出演者ですら、どの様な思惑で、どの様な皇室定義をもっているのか判らず、顔色をうかがう姿や、出演者同士で温度差を埋めようとする様子が見て取れた。
報道工作の限界を見た気がする。
象徴天皇で議論が尽きると言いきれるだろうか。
国家元首として諸外国から認知されているという事実と、象徴天皇何たるかをいまだ国民一人一人が理解しない姿は、今後ますます浮き彫りとなっていくであろう。
小沢VS羽毛田・保守・左派合同などではない。
このような話が出れば出る程、現行憲法の限界が見えてくる。
政治家も報道側も憲法第一章を、勝手に解釈してはいけない。
いつもは概ね反共の私だが、
日本の為に御引見された陛下と『お忙しい中わざわざ面会の機会を設けて頂き誠に有難うございました』とお礼を述べた習近平。
副主席ながら国益を背負った者と羽毛田や自民隷米議員らに、志の違いを感じるのは私だけであろうか・・・・・・・
極めて国體については、イラク派遣のような解釈の過ちを犯してはならないのである