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日本でチャーチルはルーズベルトと並んでよく知られているが、しかし、
米国に占領された後は、米国の保護国の様な有様に甘んじてきたせいであろうか、同時代の世界の他の政治家たちに比べてチャーチルについては関心が高い割には評価が深められてはいないようだ。
それは戦後の”大英帝国”が米国のように隆盛に向かったのではなく、衰退に向かった事も理由を為しているのかもしれない。
しかし、私見ではチャーチルの政治力はルーズベルトを凌いでいたと考えるし、魅力的な政治家なのだ。
確かに大英帝国の政治家であるから戦前・戦中の日本の目からみれば余り好感は持てないだろう。
彼の魅力はそのタフネスぶりにある。なぜタフでいられたのか? 精神的には必ずしもタフではなかった(無神経ではなかった)にも拘らず。
繊細な画風の絵描き趣味を持っていたとの事であり、学校の成績は悪かったようだが頭脳は良かった事が窺える。
成績は良くても、政治は活きたライブ劇場であるから役割を演ずる能力やスポーツの試合を戦える能力が要求されるから、それに非妥協的に戦う精神力も必要だ。学業だけに長けた人物では務まらない。
彼の強さの由来は何処にあったのだろうか?
それは私なりのかなり乱暴な推測だが、以下のことだったのではないだろうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%AB
彼が優秀な政治家の条件として挙げたのは「将来何が起こるかを予言する能力」と「予言が当たらなかったとき、それを弁解する能力」である。
政治家には「予言する能力」と「弁解する能力」が必要だ。
学者ならば前者だけでよいが、政治家には後者も必要だ。後者がないとやり直しが利かなくなるからだ。
今後の日本は大英帝国のように衰退に向かう事はない。
日本はチャイナやインドに追われる経済大国ではない。
チャイナやインドと同列に並んでいてはいけないのだ。
世界において役割が全く異なるのだから。
日本は先進経済国としての課題を突きつけられた経済大国であり、その課題とは経済社会の改編であり、例えれば「脱皮」を迫られていると言える。
この迫られた脱皮は先の対戦中の英国の置かれた立場に似ている。
非常事態なのである。
ドイツ軍との戦いに苦戦している英国と似ている。
経済課題の戦いに苦戦している。
国民の多くが失業し、自殺者も多い。これは戦死と戦傷に例える事が出来る。
国民の勤労意欲を鼓舞し、自らも戦略を立てて、それに則り経済復活を組織立てて押し勧める事が出来なければならない。チャーチルのように。
チャーチルは保守的政治家であり、当時の英国を守る為に必要な政治家だった。
現在の日本では”保守”だけでは務まらないだろう。
独自の「予言する能力」が必要だ。
これを経済戦争の相手国であった米国も、後発のチャイナも提供してくれはしない。
彼らも他人の事に構っている余裕はないのだ。
私は「日本のチャーチル」の登場を望みたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%AB
サー・ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル(Sir Winston Leonard Spencer-Churchill, 1874年11月30日 - 1965年1月24日)は、イギリスの政治家。1940年から1945年にかけてイギリス戦時内閣の首相としてイギリス国民を指導し、第二次世界大戦を勝利に導く。大戦終結後に再び首相となる。
彼の家名(ファミリーネーム)は単に「チャーチル」と呼ばれることが圧倒的に多いが、正式には「スペンサー=チャーチル」という複合姓(二重姓)である。 フランクリン・ルーズベルト、ダグラス・マッカーサーとは遠戚関係にある。 2002年、BBCが行った「偉大な英国人」投票で第1位となった。
(中略)
チャーチルは非常に英雄主義的な考えをもった政治家であり、政治や文学にその才能を発揮した。第二次世界大戦の困難な時期に彼は強い意志と楽観主義をもって憔悴したイギリス国民を激励。戦意を保ち、軍事戦略を立案し、ついにはアメリカ・ソ連と同盟しイギリスを勝利に導いた。彼はたぐいまれな軍事的知識をもち、その戦略家としての名声は卓越したものがある。しかし批判者の中には「彼の提案する壮大で無謀な作戦戦略は、しばしば現場と衝突し、混乱させた。」と主張するものもある。これは、チャーチルには幼少時からハンニバルやカエサル、ナポレオンなどの英雄に対する強い憧れがあり、それに後述する躁うつ症状が重なったことが大きく影響したとする。ナポレオンへの思い入れは深く少年時は、錫製のナポレオン時代の兵士の人形をコレクションしていた。
彼の政治キャリアは長きにわたるが、そこには幾たびかの不遇期があった。特に戦間期にはチャーチルは古い帝国主義的幻想にしがみついた時代遅れの政治家と考えられていた。また彼はマールバラ公家特有の躁うつ病を患い、生涯に心臓発作を含むさまざまな病と闘った(彼は自身の躁うつ病のことを『私の中の黒い犬』と呼んでいた)。
また彼の文才とユーモアとウィットのセンスは、広く認められたものであった。彼はその政治家としてのスタートをさまざまな戦記を執筆することからはじめた。彼は下院議員に当選後も積極的に執筆活動を続け、海軍大臣として第一線で活躍した第一次世界大戦を書いた作品や自分自身の先祖ジョン・チャーチルや父ランドルフ・チャーチルを書いた伝記など多数を執筆。特に第二次世界大戦を描いた一連の大作は有名であり、それらの筆業は彼にノーベル文学賞をもたらした。日常ではジョークの名手かつ毒舌家であり、ある女性議員から「私があなたの妻だったらあなたの飲む紅茶に毒を入れるでしょう」と皮肉られたところ、「私があなたの夫だったら喜んでその紅茶を飲むでしょう」と平然と言い返したという話は有名で、女性議員を悔しがらせたと伝えられる。
なお、彼が優秀な政治家の条件として挙げたのは「将来何が起こるかを予言する能力」と「予言が当たらなかったとき、それを弁解する能力」である。
(後略)
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