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■1月某日 フィリピンから沖縄に戻ると、民主党のNO1,NO2である鳩山、小沢の二人に対するバッシングが報道が強まっている。各紙とも正月元旦号で、東京地検特捜部のリーク記事を大きく取りあげたようだ。マニラでは、日本語日刊新聞「まにら新聞」(一面独自取材と共同通信の配信記事で紙面構成)とホテルのNHK・BSニュースくらいか見ていないから、日本のメディア事情は一週間のご無沙汰なので真相はよくわからない。朝日、読売も二日遅れくらいでホテルの売店においてあったが、正月はその売店がしまっていた(苦笑)。でも、日本の大手メディアの検察・警察、霞ヶ関官僚依存かつ癒着・一体化は政権交代があったとしても基本的な構図はまったく変わっていない。鳩山政権の日米合意破棄の姿勢、小沢幹事長の中国との外交重視という姿勢をみれば、東京地検という日本の権力機構が政治的捜査に着手し、久々に米国・CIAも小踊りして新政権へのプレッシャを与えるために地検の背後で暗躍しているのではないか。
ま、それにしても鳩山総理が親の資産を政治活動資金に流用していた件や普天間基地の移設に関する優柔不断な姿勢は批判されてしかるべきだろうが、小沢幹事長への検察の執拗な過去をほじくる捜査はどう見ても、検察を頂点とした官僚組織が既得権益を守るために総力をあげた小沢潰しの国策捜査の臭いプンプンである。4億円の箪笥預金にも笑ったが民主党に剛腕・小沢さえいなければ新政権は求心力を失い、バラバラになるだろうし、7月の参議院選挙にも勝てないだろうと踏んだ検察=自民党連合軍のバッシングだろう。ここは、鳩山、小沢ともに、民主党の政権公約である「企業・団体献金の全面廃止」を前倒ししてでも、一刻も早く法案を通すことだ。いらぬ誤解を国民に与えないためにもベストの選択だと思うが、民主党は本気でそう思わないのか、不思議である。谷垣総裁(何と時代遅れのネーミングだ)、腐りきった自民党政治再生のために政界再編と新党結成も匂わし始めた舛添議員の復活をいっさい許さないためにも、参議院選挙前の企業・団体献金全面禁止はベストの選択だということを強調しておきたい!!
いまだ、マニラの喧騒が脳裏に残っている日々だが、マニラで読んだ屋良朝博論説委員の『砂上の同盟―米軍再編が明かすウソ』(沖縄タイムス刊)が実に面白かった。いや、面白いというよりも、痛快そのものの内容だった。この本は、昨年8月末の政権交代直前に出版されたので、タイミングが悪いなーと思ってパラパラ読みしかしていなかったことを悔いる。自民党政権と防衛・外務省がいかに沖縄の基地問題を適当にあしらってきたか、米国の在日米軍再編がいかにテーゲーにつくられたものか、実に明快に書かれている。著者は沖縄タイムスの論説委員だが、会社を一年休職してハワイ東西センター客員研究員として米国留学した際、米軍関係者に直撃取材で得た情報をもとに、普天間基地が「沖縄でなければならない」という虚構を完全に突き崩している。鳩山総理、岡田外相、北沢防衛省、前原国土交通省、ついでに菅国家戦略担当副大臣も絶対必読の書と薦めたい。体調不良の藤井財務大臣もさっさと交代させた方がいい
それにしても、かつての自民党政権と敵当すぎる米国戦略との馴れ合いを批判してこなかったマスメディアのいい加減さに呆れるやら腹が立つやらで情けない。今からでも遅くない、大手メディアはこの本を読んで、米軍再編と普天間移設を根底から取材しなおして認識をあらためるべきである。防衛・外務省官僚たちのメディア操作、米国対する呪縛から解き放たれなければ、普天間基地問題の本質はいつまでも見えてこない。むろん、伊江島や下地島という県内移設となれば、米軍基地のない沖縄の未来は50年、100年はやってこないと断言できる!まさに県民一丸となる千載一隅のチャンスを逃すなよ、新政権!
(南青山コメント)
どうやら検察を頂点とした官僚組織は死にものぐるいのようだ。
「日本の大手メディアの検察・警察、霞ヶ関官僚依存かつ癒着・一体化は政権交代があったとしても基本的な構図はまったく変わっていない」とあるように、メディアも官僚組織と一体化して死にものぐるいで攻めてきているように見える。
対する民主党、鳩山首相、小沢幹事長はどうかというと、報道を見るかぎり、それほどの緊迫感は感じられない(小沢に対しても「任意」ということなので、これにて手打ちということだろうか)。
鳩山や管は歴代政治家の中でも群を抜いた頭脳の持ち主であり、小沢は政治家、官僚の表も裏も知り尽くし、囲碁有段者とのことだから、戦略的思考も熟知しているだろう。
よくいえば泰然自若、悪く見ればのんき者、太平楽のふるまいだ。
当然、すべてを理解したうえでの行動、対応だろうから、はたの者があれこれ騒ぎ立てる必要はないかもしれない。