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http://www.labornetjp.org/news/2010/1262603635381staff01 から転載。
磯崎由美さん(毎日新聞記者)へのラブレター 〜公設派遣村報道のことなどに関わって
投稿者:東本高志
毎日新聞記者の磯崎由美さんが昨年末の同紙「発信箱」に、鳩山首相は「苦しみを、本当に想像できるリーダーなのだろうか」、と同首相の「共感力」にクエスチョンを投げかける記事を書いています。
「不況の時ほど政治に共感力が求められると思う。そういえば秋、首相は所信表明演説で遊説中のあるエピソードを紹介した。息子が職に就けず自殺したというおばあさんが、握手した手を離そうとしなかったという。鳩山首相は「『その手の感触。断じて忘れてはならない』と熱く語っていたが、職を失い死を選ばざるを得なかった苦しみを、本当に想像できるリーダーなのだろうか。」(「発信箱:リーダーの共感力」、2009年12月30日)。
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20091230ddm008070021000c.html
マスメディアではほとんど報じられていませんが(少なくとも私はそうした報道を知りません)、市民メディアの報道するところによれば、「政府が東京都に協力を求めて現在実施している『官製派遣村』は飢えと寒さをしのぐことはできる。だが職も住居も失った人たちの生活再建については何のフォローもない」。「『これでは事態は改善されない』と危機感を抱いた『元祖派遣村』の中核なった法律家や労働組合員らで作る『ワンストップの会』(代表:宇都宮健児弁護士)」は「『官製派遣村』の退去期限である1月4日以降の暮らしに不安を抱く入所者への相談会を」同村の会場となっているオリンピック・センターで開こうとしたが「入場を認めてもらえな」かった。しかたなく「オリンピック・センターの前に停めた観光バスの中で相談会を開こうとした」ところ、「東京都の差し金を受けた警察から『駐車違反』と咎められたため、バスを走らせながらの相談会」にせざるをえなかった。「定員27人のバスは、相談員と約20人の入所者で満杯になる。2日、バスは4巡(相談会は4回)したが、積み残された入所者が10人以上出た」といいます(「『派遣村は走るバス』〜警察に咎められ」「政府が『派遣村封じ込め』、失業者増大にもかかわらず」 田中龍作ジャーナル2010年1月2日付、2009年12月30日付)。
http://tanakaryusaku.seesaa.net/article/137230293.html
http://tanakaryusaku.seesaa.net/article/136961705.html
連帯しようとするものを、それも同派遣村の大事さを訴えてはじめから、そして根っ子から支えてきた人たちを、国家の権力を笠に着て閉め出してしまうなどおよそ「共感力」のある政府のすることではないでしょう。私は磯崎由美さんの鳩山首相、鳩山内閣の「共感力」に対するクエスチョンを支持します。
ほんとうのところ私は現在のマスメディアの報道や論説に絶望しています。年末から年始にかけてのマスメディアの社説を読んでも、たとえば普天間基地問題に関して、沖縄の一部のメディアを除いてわが国のマスメディア総体は、今年は60年安保50年ということですが、そのときにも大問題になったこと、その8年前のサンフランシスコ講和条約締結時に単独講和か全面講和かが日本をあげての大論争になった問題群を完璧に素通りして「日米同盟」をあたかも当然の前提のごとくして各社の論説を掲げています。辺見庸はかつて「ファシズムというのは、こういう風景ではないのか」(『いまここに在ることの恥』 2006年)と言いました。その寒々しい風景がこの年末から年始にかけて私の目の前で展開されているのです。私はもはやわが国のマスメディアの報道や論説に軽蔑や侮蔑を感じても、希望を見出すことはできないのです。
しかし、それでも私は、ひとりの記者、ひとりのジャーナリストの情熱や真面目さ、優しさ。そうした感性に支えられたものを見る目のすべてに希望を失っているわけではありません。そうした私に希望を抱かせてくれるひとりの記者として磯崎由美さんがいます。
私が磯崎由美さんの記事に注目したのは、彼女の「発信箱:炊き出しの囲い」(毎日新聞 2009年3月18日付)という記事がきっかけでした。同記事はすでに毎日新聞のサイトでは見ることはできませんので「薔薇、または陽だまりの猫」ブログから同記事を再録しておきます。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/f4154feccfd80f36b8f23a890c4784e1
同記事の結語で磯崎記者は次のように書いています。「地域と失業者とを分断するような囲いを見ながら、私はしばらく考えた。この囲いを生み出したものは、何なのかと」。私はこの記事に同記者の優しいまなざしを見ました。磯崎記者のこの記事の引用を含めて私は下記のような記事を発信したことがあります。
■【その後】浅草聖ヨハネ教会日曜給食活動継続のためのお願い(AML 25194 2009年3月18日)
http://list.jca.apc.org/public/aml/2009-March/024625.html
その記事で私は次のように書いています。磯崎記者の上記の問いは、「貧富の差をさらに拡大させることになった新自由主義の問題点、自己責任論の問題の所在にまでつながっていく問いであるでしょう。同記者はうすうすそういうことに気がついている。それが「この囲いを生み出したものは、何なのか」という結びのことばになったのだろう」。
上記の磯崎記者の記事に対する私の解釈は誤っていなかったようです。磯崎記者がこの1年ほどの間に書いた記事を少し探してみました。
■発信箱:リーダーの共感力(毎日新聞 2009年12月30日付)
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20091230ddm008070021000c.html
■発信箱:ありがトン(同紙 2009年12月23日付)
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20091223k0000m070138000c.html
■発信箱:政治主導で救済を(同紙 2009年12月16日付)
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20091216k0000m070147000c.html
■発信箱:高円寺の朝(同紙 2009年12月9日付)
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20091209k0000m070124000c.html
■発信箱:医療と偏見(同紙 2009年10月8日付、他メディアリンクから)
http://blog.canpan.info/dogenkasenaika/archive/2859
■発信箱:炊き出しの囲い(同紙 2009年3月18日付、他メディアリンクから)
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/f4154feccfd80f36b8f23a890c4784e1
■発信箱:戦争が終わる日(同紙 2009年2月25日付、他メディアリンクから)
http://blog.goo.ne.jp/psyche-box/e/593307a068744dfbd6e387a07371d9d6
すべての記事が優しいまなざしに貫かれています。私はかつて東京新聞の田原牧記者にラブレターを書いたことがあります。
■田原牧さんへのラブレター〜ひとりの新聞記者(JANJAN 2006年12月28日)
http://www.news.janjan.jp/media/0612/0612277216/1.php
今度は磯崎由美記者にラブレターを書きたくなりました。私のメディア不信を救ってくれる数少ない稀有な記者のひとりとして。ラブレターは4年ぶりのことです。気が多い、などとは言わないでください。