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1609年の薩摩による琉球侵攻から、今年は400年の節目の年である。今年は、沖縄、鹿児島を中心に様々なシンポジウムがあり、年始から同問題についての専門家らの論文発表などがあった。薩摩による琉球侵攻400年を捉えるキーワードが「歴史の記憶」である。 今日(12月9日付)の沖縄タイムス「大弦小弦」欄に真久田巧記者が注目すべき署名記事を書いている。真久田記者は「本土は自らの地位保全や安寧のために毛色の違う同胞としての沖縄をことごとく犠牲にしてきた歴史が連綿と続いているのが実態ではないか。その延長線上に普天間問題もある」と書き綴る。私は、真久田記者の歴史認識、現状分析、普天間問題の捉え方に共感する。 私は、かねてよりこのブログで、沖縄に国策の犠牲を強要してきた時の政府(権力)を”疑え”、と言ってきた。過剰な期待をするな、とも言った。真久田記者は、沖縄と本土の歴史の関係に言及し、「・・・・・こうした犠牲の歴史に終止符を打つ。それがいま県民世論としての動かしがたい流れとなっている『県外移設』といえる。歴史の記憶に立つなら、本土も応分の負担をと主張して当然ではないか」と結んでいる。 そうなんだ。普天間問題で沖縄との連帯を表明する者、わが党を含む各党の国会議員、運動体の人々、普天間問題に無関心な圧倒的に多くの国民は、沖縄の「歴史の記憶」に照らして米軍基地の応分の負担を決意し、覚悟してもらいたい。真剣に、ね。 −−−追 記−−− |