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田中角栄元首相の敏腕秘書として誉れの高かった早坂茂三さんの本に、これぞ日本的経営!という素晴らしい文章がありました。
山形で創業三百年余り、先祖代々の“諸国旅人御宿”を営んできた萬国屋という旅館の話です。
会長いわく、「人件費倒産なら本望だ!」
「私がいつも言っているのは『社員の幸福なくして企業の繁栄はない』ということです。働く人が一番大切です。私は社員を倖せにしたくて経営してるようなものです。これは若いときの(社会主義思想、社会正義の)考えを経営者になっても役立たせたいと思ったからです」。
御手洗会長ぜひ、一読して爪の垢でも煎じて飲んでみて下さい。
【転載開始】
「男たちの履歴書 いかにして道をひらくか」早坂茂三著 集英社文庫
第三章 親方、覚悟すべし──どんな男に人はついていくか
山形県の西の端、日本海に面した西田川郡の温海温泉に萬国屋(ばんこくや)という旅館がある。客室数百五十、収容人員九百人、東北地方で指折りの名門旅館だ。主人の本間儀左衛門は大正十三年生まれの七十歳。今、株式会社・萬国崖の会長を務めるかたわら、その経営ノウハウを教えてくれと頼まれて、講演に出かけるという日々を送っている。 彼は学生時代、早稲田で戦後のシュツルム・ウント・ドランクに巻き込まれる。当時の多くの青年と同じように「万人は一人のために、一人は万人のために」という社会主義思想に傾斜していく。新しい日本に社会正義を実現したい。マルクス、エンゲルス、レーニンの本を貪り読んだ。実践の道を模索した。ところが、卒業の年になって母親が言う。
「山形に帰って家業を継いでくれ。この宿屋を盛り立てておくれ。私の一生のお願いだ」
父親は彼が三つの時に他界し、その後は母親が創業三百年余り、先祖代々の“諸国旅人御宿”を切り回してきた。彼は輾転反側(てんてんはんそく)して悩みながらも、結局、苦労のしどおしだった 母親の願いを受け入れる。
それから四十余年、彼は地方の温泉宿を『旅行新聞』が毎年発表する「プロが選んだ日本の優良ホテル・旅館」で上位にランクされるまでに仕立て上げた。昭和六十一年には、日本能率協会が三社を選んだ第一回サービス優秀賞を受賞した。他の二社は帝国ホテルとホテル・ニューオータニである。
今、萬国屋には東北だけでなく全国各地の温泉旅館やホテルの経営者、あるいは番頭、支配人たちが客としてやってくる。なぜ、それほど繁昌するのか、どうしてそんなに評判がよいのか。口コミで広がる萬固屋のサービスを自ら体験するために入替わりで訪ねている。
昭和六十三年の七月、私は全国旅館環境衛生同業組合連合会の大会に呼ばれて講演した。
その青年部長が本間幸男、儀左衛門の長男である。後になって、本間二世が同業の仲間と一緒に東京・赤坂の早坂事務所へやってきた。一時間くらい世間話をして帰り、父親に報告した。
それを聞いて読書家の儀左衛門が私の本を次々と読んだ。そして、私が早稲田の後輩であるとわかった。よくよく透かして見たら、同じように赤旗を振って、失敗を繰り返している。挙げ句の果てに、とんでもない極道の世界に入って面白い体験をしている。
彼は平成六年三月、自分のお客さんが六百人も集まる会に私を講師として呼んだ。出かけて行った私は、噂に聞く萬国屋の経営、サービスを自分の目で確認することになった。
私は挨拶や礼儀作法、人との応対の仕方には厳しい。新聞記者から政治家の秘書に転じた私が、角栄親方から黄初に教えられたのは丁寧なお辞儀の仕方であった。以来、角栄流の仕込みが万端、体に渉み込んでいる。レストランやホテル、旅館などで口の利き方も知らないウエイトレス、ボーイに会うと反射的に血圧が上がる。あとで年甲斐もないと反省するのだが、つい顔色や口に出る。
最近、どこへ行っても同じ場面に出会うので女房、息子は私と一緒に外出するのを嫌うようになった。小言幸兵衛のような真似はやめてくれというわけだ。しかし、体に潜み込んだ感性はしょうがない。いかに家族から敬遠されようと、私のような男がいなくなれば、日本から敬語も礼儀作法も消えてなくなる。
その小言幸兵衛のような私から見ても、萬国屋の従業員たちは非の打ちどころが一点もなかった。言葉遣い、お辞儀の仕方から服装に至るまで、すべてがキチンとしている。まだ高校を出て間もない二十歳前後の女子従業員が着崩れもなく和服を身に着けて、見事な言葉遣い、立居振舞いをするのに驚いた。
私は、初め講師だから特別扱いして、選り抜きの女性が応接係になったに違いない。そう勘ぐった。ところか、私以外の客に接している従業員も大同小異、ほとんど変わらない男性スタッフを見ても、手空きでポケットに手を突っ込んだり、ネクタイが緩んだ者もいない。みんな背筋をピンと伸ばし、若者らしくキビキピ動いていた。
「人件費倒産なら本望だ」
講演を終えて、私は主人の本間儀左衛門に話を聞いた。
「私がいつも言っているのは『社員の幸福なくして企業の繁栄はない』ということです。働く人が一番大切です。私は社員を倖せにしたくて経営してるようなものです。これは若いときの考えを経営者になっても役立たせたいと思ったからです」
そう言って彼が語ってくれた経営哲学は、さわやかなものだった。
本間は三十年ほど前に退職金制度を作った。山形県でもトップクラスの退職金を出す。
地方のトップ企業はほとんどがその地方の銀行だ。だから山形の地銀と同じレベルの退職金を出すことにした。毎年、退職金引当金を計上して積み立てるのだ。
すると、取引銀行の幹部が心配して忠告した。
「本間さん、こんなに退職金を出してもいいのでしょうか。そうでなくとも、おたくは人件費率が高うございます。退職金制度は、いったん決めると、解約することがひじょうにむずかしいですよ」
まだ三十代で血の気が多い本間が答えた。
「まあ、企業なんてものは屏風と同じですよ。あまり広げてしまえば倒産するし、すぼめ てしまえば、やっぱり倒産する。経営は倒産しやすいようにできているんです。どうせ倒産するんだったら、私は人権費倒産がいい。人件費が高くて倒産したら、私は本望です」
そして、その退職金の原資に売店の利益を充てることにした。
萬国屋では宿の中で朝市をやっている。それから土産物屋のコーナーも広く取っている。
そこから上がる利益のすべてが従業員の退職金引当金として計上される。
その貯金がもう三億円を越えているという。毎年、若干の変動はあっても、働いている人の人数は誰もがわかっている。誰が六十で定年になるか。みんなわかっている。そうすると、自分の勤続年数、年齢などを算式に入れれば、いくらの退職金が用意されているかがわかる。体さえ壊さないで、一所懸命に働いて売上げを増やせば、自分の退職金の積立金も増える。先行き心配がない。愉しみになる。
人間は愉しみ事がなければ一所懸命に働かない。我慢して、嫌々やって、夕方五時になったら字を書きかけていても中断、百メートル十秒の速さで勤務先から帰りたい……というのでは仕事に身が入らない。
この退職金引当金の定期預金は、どんなことがあっても担保に入れない。設備を拡張するために銀行から資金を借り入れる際も、彼はこの金には絶対にリスクを負わせない。そして、全従業員に毎月の決算を発表する。貸借対照表や損益計算書などの財務諸表を全社員に公開する。使徒不明金は一切ない。朝市と売店の売上げ、利益も示す。伝票の作成や金の出入れをしている従業員には、もともと全部わかっている。それと照らし合わせても一円も狂っていない。そして、
「今期はこれだけ皆さんの退職金引当金に繰り入れます」とやるわけだ。
翌朝、私は朝市を覗いて見てびっくりした。お客で溢れている。スーベニール,ショップのような安ものではなくて、本当にローカルで、センスのいい商品が並んでいる。魚もはねているようにイキのいいやつとか、一夜干しが見事にダーツと並んでいる。
「かあさん、ほかと比べて高いか安いか」
買い物寵を持った地元のオカミさんに聞いたら、私のほうを振り返って、
「安いよ。おめえ」
「ほう、そうかい。そりゃ、よかったなあ」
オカミさんはイカの一夜干しを十枚買っていった。
私が話を聞いたとき、本間の給料は六十万円だった。事実上の創業者オーナーである。
専務の給料は五十万だという。
「会長と十万しか違わないの」
「はい。申し訳ないんですが、会長にもっと取ってくださいと言っても、会長は『息子とは別会計で、あれは別に給料を貰っているし、私は婆さんと二人暮らしだ。年寄りはそう食わないし、あまり着るものもいらない。部屋はちゃんとこの中にある。金がかからないんだ』と言って、取らないんですよね」
専務が私に説明した。今はもう少し上がったらしいが、それを従業員はみんな知っている。
これは無言だが最大の説得力だ。人間は能書きだけを垂れて、偉そうに百万の説教を言っても誰も心服しない。しかし、会長がこれだけしか取っていないのに、従業員は世間の相場に比べて、ずっといい給料を貰っているとなれば、誰だって頑張る気になる。
月給というものは、渡す人から見れば、いつも永遠に高い。だが、貰うほうからすれば、月給は永遠に安い。二律背反だ。立場によって、金というものの重さは変わる。ならば、まあ、このへんかなと納得できて、よそと比べても遜色がない、もっと安いところもたくさんあるということになれば、人は働く。P-90
「男たちの履歴書 いかにして道をひらくか」早坂茂三 集英社文庫より
【転載終了】