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仙谷由人官房長官が、慇懃無礼に西岡武夫参院議長に反論して、自らの「更迭」について見苦しい抵抗を続けている。このことを朝日新聞が1月8日付けの朝刊「政治面」(4面)で「仙谷氏、西岡参院議長に反論 月刊誌上の批判、受け入れず」との見出しを付けて、以下のように報じている。
「仙谷由人官房長官は7日の定例会見で、西岡武夫参院議長が問責決議を理由に仙谷氏の官房長官辞任を月刊誌で主張したことを問われ、『憲法論、権力論との関係でどういう論理なのか拝見したい』と疑問を呈した。西岡氏は民主党出身の議長で、問責の効力をめぐる論争が政権党にも飛び火している。西岡氏は月刊誌『文芸春秋』への寄稿で、仙谷氏について『法的拘束力のなさを理由に平然としているのはいかがなものか』などと指摘した。
これに対し、仙谷氏は会見で『自分自身が西岡先生のように成熟度の高い政治家だと自負していない』と低姿勢を示しつつも、批判については『国民と歴史が評価されるだろう』と受け入れなかった。西岡氏はこれまでも『問責を受けたことへの重さの自覚がない』」などと仙谷氏らを繰り返し批判してきた。
問責効力の否定を容認すれば、参院の存在感低下につながりかねないためだ。そもそも、問責効力をめぐる論争は今に始まった話ではない。2008年6月に福田康夫首相(当時)の問責決議が参院で可決された際、当時野党だった民主党側は問責の効力を主張し、政権側の自民党が問責を否定していた。
攻守の立場を変えて同じような論争を繰り返し、さらには政権内でもいさかいが始まったことに、衆院副議長経験者は「問責というのは単なる『おしかりを受けた』というだけの話だ」と嘆いている」
この記事が指摘しているように、参院での問責決議は、議会運営上「当時野党だった民主党側は問責の効力を主張」していたの「野党戦術」の1つであった。それが攻守を替えて、「問責効力の否定」を言うのは、身勝手というものである。それも仙谷官房長官は、「『憲法論、権力論との関係でどういう論理なのか拝見したい』と疑問を呈している」と建前論を言い張っている。
これも何をかいわんやである。日本国憲法が、与野党の細かな議会戦術について、これはよいとか、あれはダメとかを細々と規定しているわけではない。大事な最低限の基本ルールを定めているにすぎない。国会は、社会の様々な集団の利害得失について利害調整する場であり、丁々発止のやり取り、根回し、裏取引、協議など「政治的交渉」、つまり駆け引きに関する手練手管、あるいは牛歩などの戦術が展開されるところである。「参院での問責決議」もその1つである。
しかし、「法的拘束力」がないからといって、軽々しく扱っていると、議会運営が進まなくなるのは、当たり前である。逆に言えば、憲法に禁止規定がなされていないことは、何でもできる。その実例の1つが、小泉純一郎元首相が断行した「郵政解散」である。郵政民営化関連法案が衆院で可決成立していたのに、参院で否決されたのを理由に、衆院を解散し総選挙が行われたのである。
これは、衆院から見れば、「理不尽なこと」であった。だが、「伝家の宝刀」と言われる実質的な解散権を首相が握り、「内閣の助言と承認」により、天皇陛下が憲法第7条3項の規定に基づいて「解散権を行使」するのである。この場合、「解散理由」については、何も規定されていないので、極端な話、首相の気分次第でも解散できるのが、いまの憲法体制である。
だから、参院において、問責決議を受けた閣僚が、参院の多数派から参院に足を踏み入れるなと言われれば、出ていくことは難しくなるのは、当然である。参院は閣僚の首を切る権限はなく、切るか切らないかは、内閣総理大臣の人事権の範疇にあるけれど、議会運営上は、十分に配慮しなければいけなくなる。仙谷官房長官と馬渕澄夫国土交通相の「問責問題」は、その程度の問題にすぎない。
菅首相は、議会運営をスムーズに進めたいと思うなら、障害を除くしかない。仙谷官房長官が、慇懃無礼に西岡参院議長に反論して、自らの「更迭」について見苦しい抵抗を続けていても、議会戦術について憲法に何も禁止規定がないのであるから、無駄な抵抗というものである。仙谷官房長官も武士の端くれならば、見苦しいことは、お止めなさい。
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