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菅首相が4日今年初の記者会見を行った。その席に居たのではないので、その詳細は分からない。だが、マスコミ各社で共通しているのは、政治とカネのけじめをつけ、「小沢一郎民主党元代表は強制起訴されたら議員辞職を含めて進退を明らかにし、裁判に専念すべきだ」との発言だ。マスコミにも問題はあるが、首相は国民に向けて、新年に相応しい希望に満ちた抱負を述べることが、なぜ出来なかったのだろう。
脱小沢の気持ちがあったとしても、それは年頭に言うことではないだろう。菅直人の人間としての「器」と品性の下劣さを、日本国民だけでなく、全世界に向けて発信したことに気付いていないようだ。正月三が日、おそらく小沢氏の巨大な影に怯え、一日でも長く総理の座にしがみつくことしか考えていなかった、そうとしか思えない。もし、国を思い国民を思えば、もっと違った年頭所感を述べたはずだ。
政治とカネの問題にけじめをつける年だと言うのは大いに結構。それならば政治とカネの何が問題で、どのようなけじめをつけるのか、分かり易く国民に説明すべきだ。小沢氏に国会での説明を求めるのは、何が目的だ。議員辞職を求めるなら、何も国会での説明を求める必要はないだろう。そして、官房機密費のカネ疑惑に包まれている似非ジャーナリストと同じようなことを、わざわざ述べることもない。
一方、民主党の小沢一郎元代表は4日午前の民放BS番組の収録*で、この菅首相の記者会見の発言について、「首相は、僕のことなんかどうでもいいんで、国民のために何を一生懸命やるかが問題だ」と語ったそうだ。その上で「私自身のことは私と国民自身が裁いてくれる、判断してくれる」と述べたそうだ。国会議員の出所進退は、有権者である国民が決める。それが代議制民主主義と云うものである。
付け加えるなら、小沢氏は元日の自宅での新年会で、「日本の危機的情況は、庶民の方が政治家より知っている。民主党を政権交代の原点に戻し、一日も早く『国民の生活が第一』政治を実現しよう」と述べ、挙党一致の態勢の確立が必要だと強調したそうだ(平野貞夫氏による)。二人の人間としての「器」の違いを感じるのだ。
話を戻す。記者会見で一国の宰相が、軽々しく「強制起訴」と云うマスコミ造語を語るべきことなのか。火曜日のLサイドコラムでも書いたが「強制起訴」という法律用語は無い。検察審査会法41条10の定めに従って、裁判所から指定された弁護士が公訴を提起することを、マスコミが「強制起訴」と言っているだけである。刑事訴訟法による検察による起訴とは、全く別物の起訴である。それが分かっているのか。
刑訴法247条には「公訴は、検察官がこれを行う」とある。検察官が行わない公訴は、刑事訴訟法の適用外となる。また、検察官は公訴(=行政)の裁量権を有する。だが、検察審査会法には「指定弁護士は、速やかに、起訴議決に係る事件について公訴を提起しなければならない」とあるので、指定弁護士は検察官のような裁量権を与えられていない。だから、起訴を強制されているのは指定弁護士となる?(笑)
もっと言えば、刑事訴訟法は憲法65条と73条に基づいている。一方、最高裁は、検察審査会は行政組織だとは言っていない。仙谷官房長官も国会答弁で、検察審査会は行政府とは関係ないと答弁した。指定弁護士は検察審査会法に従って公訴するのだが、その議決をした検察審査会が拠って立つ憲法上の根拠が不明だ。その根拠が無く指定弁護士が公訴を提起することを定めた検察審査会法は、憲法違反の疑いがある。
日本は法治国家である。苟(いやしく)も菅首相は行政府の長である。国権の最高機関である立法府の議員が、憲法違反の疑いのある検察審査会法に則り起訴される事態に当たって、「強制起訴」と云うマスコミ造語を駆使し、「強制起訴されたら議員辞職を含めて進退を云々」と語るべきことか。それで国民の支持を得られると考えているとしたら、国民を舐めている。国民はそのような人物を、首相に頂きたいとは決して思わないだろう。心ある国民は蔑みの対象として見ることになる。
注* 5日午後10時からBSイレブン「提言、どこに行く日本」で放映。
http://www.olive-x.com/news_ex/newsdisp.php?n=102249
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