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菅直人の権力闘争宣言にはただただあきれるばかりである。今年一年間の政治のありようを思うと暗澹とした気分にさせられる。菅首相新年会、議員45人出席 小沢氏との数対決に完敗も「やりたいことやるため権力掌握する」 (産経ニュース 2011.1.1)
菅直人首相は1日、首相公邸で新年会を開き、「やりたいことをやるために権力を掌握してがんばる」と述べた。そして菅は権力闘争の道を突っ走る積もりのようである。年頭挨拶がこれまた醜悪きわまりないものであった。それにしても、日本国内閣総理大臣の全国民に向けての年頭挨拶がこれでは、今年に期待する国民の心を萎えさせる。
首相バッサリ「小沢切り宣言」 年頭会見、自ら発言練る (asahi.com 2011年1月5日)
菅直人首相は4日の年頭記者会見で、民主党の小沢一郎元代表に対し、強制起訴された時の議員辞職も念頭に出処進退の判断を迫った。政権浮揚の唯一のカードである「小沢切り」の姿勢をさらに鮮明にした。菅直人にとって小沢叩きだけが権力闘争なのであろう。小沢一郎も昨年、「権力闘争」という言葉を使っている。
小沢氏、「これは権力闘争だぞ」と涙
民主党の小沢一郎元代表は4日午後、東京第5検察審査会の議決が公表された後、東京都内の個人事務所で自らに近い議員と会談した。その際、小沢氏は「これは権力闘争だぞ」と述べ、涙を流しながら自らの正当性を訴えたという。
(2010年10月5日03時04分 読売新聞)
この時、小沢一郎の念頭には、菅直人も岡田克也もなかったろう。小沢一郎が彼らとの闘いに、「権力闘争」などという言葉を使うはずがない。小沢一郎が闘う権力とは、検察であり、検察審査会であり、マスコミであり、裁判所であり、官僚であり、そういった既得権益に固執する勢力一切であった。闘いを挑まれているのは小沢一郎個人ではなく、「政治」そのものなのである。
菅直人などとは、闘いの次元が違う。菅直人は「政治」を、マスコミ・官僚・検察等の奴隷にしてしまった。「政治」の主体性を取り戻すことなどまったく意識の外である。菅直人は、国権の最高機関である国会での最大政党の党首であり、行政機関のトップである内閣総理大臣であり、最高裁長官の指名権、その他すべての裁判官の任命権を握っている。能力と決意さえあれば、何でも出来るのだ。今更、何の権力闘争か!
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