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現在、菅直人政権が次々と行おうとしている政権交代時の公約破りという重大問題や自身の判断ミスに加え、マスコミや野党側からの下らない追及により、「政権交代は何だったのか?」という疑問の声が国民から上がり始めている。この問題については、以前にも書いたところであるが、改めて意見を述べたいと思う。
まず現状の問題は、「菅直人政権の問題」をマスコミや官僚の世論操作による「民主党そのものの問題」として論理がすり替えられている事にある。本来、鳩山前首相と小沢前幹事長の時には「国民の生活が第一」という選挙公約に従い、数々の政策が設定された。勿論、中には辺野古の問題のようにマスコミや官僚による激しい世論操作の圧力により後退してしまったものもあるが、少なくとも鳩山政権の時には現在の菅政権のような官僚寄りにかじを切ったような政策はなかった。鳩山政権の菅直人政権への交代の背景については、以前にも書いた「官僚社会主義国家」を守りたい守旧勢力による「政治とカネ」、「ばら撒き」のようなもっともらしい、しかし実態のない言葉による世論操作と、小沢一郎に対するいわれのない政治資金規正法を使った官僚側からの追い落としの企みがあったことは明らかである。
では、菅直人政権の問題について言おう。まず、財政赤字に関する問題と税金がある。本来、政権交代時の公約では、これまでの官僚と一体化した自民党政権による数々の無駄な政策や特別会計を一般会計化することで財源を作り、消費税などの国民負担は改革の後に考えるとするものであった。しかしながら参院選の前に退陣させられた鳩山氏に代わり首相になった菅直人は、唐突に消費税の問題に言及したのだ。明らかに国民は「おかしい」と感じた。結果は参院選で大敗北し、衆院と参院での「ねじれ」を生んでしまった。この責任はどこに消えたのだろう。
次に最も重大な問題は予算の組み方である。本来、政権交代後に初めて民主党独自の予算編成がなされるものと期待されたのに、実態は自民党時代と変わらない官僚主導による予算編成方式がなされてしまった。ここでも国民は「おかしい」と感じたのだ。特別会計については一般会計に組み込まれる事はなく、政治ショーと化した「事業仕分け」の一つとして誤魔化されてしまったままだ。先に行われた民主党の代表選で戦った小沢一郎の方針こそが民主党公約に従った考えであったにも拘らず、ここでも菅直人は国民を裏切ったのである。
さて、マスコミや野党が騒いでいる外交問題はどうだろうか。尖閣での中国漁船の問題については、取扱いに多少の問題があったとしても、大騒ぎするほどの問題とは思えない。むしろマスコミが変なのは、鳩山前首相が辺野古の問題で県外や国外を模索した時に「日米関係が壊れる」と大バッシングしたにもかかわらず、菅直人政権が辺野古寄りの決定をした事については沈黙したままだ。なぜ彼らはこの方針は正しいと大声をあげないのだろう。逆に沖縄県民の意思は違うと、鳩山元首相の時と真逆の対応を始めている。これは明らかな矛盾であり、彼らが行ってきたことが世論操作であったことを証明している。国民は「おかしい」と感じている。そして瑣末な尖閣での中国漁船の取り扱いを持って「外交戦略がない」というバカげた非難のオンパレードとなった。まるで尖閣諸島が中国に占領されたかのような騒ぎ方にはあきれるばかりだ。さらには中国に対しては弱腰であったから、ロシア大統領が北方領土を訪問したことも菅直人政権のせいだと騒ぐ始末だ。本当にあきれた屁理屈なのだけれど、国民はまんまと世論操作されてしまっている。正に「他人の不幸は我が身の幸せ」状態で、誰かの非難については容易に受け入れてしまう典型である。現在の中国抜きで我が国の経済が成り立つと思っているのだろうか、たかだか船長を釈放したからといって実際に何も被害があったのか冷静に考えるべきだ。外交とは国益全体を考える究極の騙しあいなのだ。むしろ我々国民が本当に考えるべきは沖縄における米軍の基地問題なのではないのか。マスコミや官僚寄りの評論家たちは、安全保障問題になると未だに昔ながらの米国一極主義の考えで、「沖縄の基地は必要だ」と声を揃える。確かに米国の傘の下に守られている事実はあるとしても、日米安保条約によって我が国を米軍が守ってくれるなどと言う幻想は持つべきではない。一体どこの国が他国の国土を守るために、自国の国益を無視して自国の兵士の血を他国のために流すのだろう。ありえない事だ。国家の防衛は、その国がしなければならないのは当たり前の事であり、その冷徹な事実をひたすら覆い隠し、これまでのような日米関係さえ守っていれば我が国の安全は保障されるというバカげた考えは捨てなければならない。我々は沖縄の基地問題を「自国の防衛」という問題にして本気で考える必要があるのだ。自民党時代に何も考えずに米国に隷従してきたやり方では決して国は守れない。現政権へのいわれのない外交や安全保障に対する非難は当たっていない。むしろ、過去の自民党時代のやり方に戻るような「米国への隷従政策」こそを非難するべきなのだ。せっかくの政権交代がここでも意味を失いつつある。
最後に国会のあり方の問題である。菅直人は首相になった時に「この国の法律の制定方法は三権分立の通りではない。」と明言した。これは従来から続けられてきた我が国の行政府による内閣の立案する法律が優先的になされている事(閣法制度)を示している。この閣法制度は、基本的に各省庁の官僚により立案されて制定されるものであり、実質的に行政府が立法行為をしている事を認めている重大な問題である。官僚の権力の源泉と言っても過言ではない。これは時間をかけて絶対に変える必要がある憲法違反の制度なのだ。また予算審議については、過去の自民党時代から、まともに予算内容の審議がなされていないために、官僚が作成したとおりに予算が通っている事になっているが、これも変える必要があるのに菅直人政権のもとでは何も変わっていない。これも「おかしい」のである。国会を機能させることをしなければ政権交代の意味は何もない。
これらの実質的な諸問題以上に、マスコミは下らない閣僚の言質をとらえたような報道ばかりで政局の混乱を助長し、国民は民主党による政権交代を何のためにしたのとを疑問視し始めたのだ。今の国民の状態は「木を見て森を見ず」の状態にさせられていると言って良いだろう。せっかく過去の長きにわたる官僚主導の国家運営を変えるために政権交代をしたのに、それを元に戻しては何にもならない。菅直人政権は明らかに政権交代時の公約を守る意思がないのであるから政権にいる資格は何もない。しかし民主党を全否定して過去の国家形態に戻しては何にもならない。「森」とは目指すべき国家形態の事で、「木」とは現在の菅直人政権なのだ。国家の形態を変えるには時間と忍耐が必要である。自分は決して民主党が全てと言うつもりはない、政党は単なる手段にすぎない。しかし現在、民主党政権を変えても何にもならない事は目に見えている。このように混乱しているかに見える今こそ、紆余曲折があるにせよ、その目的である官僚国家ではない民主国家の実現のために国民一人々々の熟慮が求められているのだ。一方的な情報だけで単純に判断して物事を決めないことを祈るばかりである。
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