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二見伸明の「誇り高き自由人として」
「小沢で明け、小沢で暮れる去年今年」 読み人しらず
2010年も小沢一郎で明け、小沢で暮れた。2011年も「小沢一郎で明け、小沢で暮れる」だろう。17年間、与党ではなく小さな野党の政治家でありながら、政界のど真ん中で主役を演じ、時代を動かしてきた小沢一郎は歴史に残る希有な政治家である。小沢が、自民党やマスコミ、さらには仲間であるべき菅総理らの「小沢抹殺」を狙った執拗な攻撃をものともしない図太さは何か。それは「智者にわが義破られずば用いじとなり」という高僧のような、哲学者のような、日本人には珍しい哲学・原理原則をふまえた論理の優劣を大切にする頑固さだ。またこれは、なかなか理解しがたいことだが、総理になることが目標という世俗的な執着心ではなく、「国のかたち」を変えたいという、既存の政治家とは次元の違う高い志のゆえでもあろう。
1996年、中曽根康弘元総理は自民党の下野について「東西冷戦の終焉が重大な転機になっているが、直接的には保守合同による、いわゆる55年体制が金属疲労を起こして崩れたということだろう。世論も『自民党よ、もういい加減にしろ』という意識を明確に持ち始めていた。 小沢君一派はそれに乗じて一つのチャンスをつかんだわけです」、「ある程度の数が(自民党から)離脱すれば、自民党より大きくなると算段して、一応成功した。守旧派と改革派の対決とか、言葉の戦術をうまく弄んで、・・・」(「毎日」2010.12.11 『近聞遠見』)と語った。
私は、今では通俗化しているこの見方を否定はしない。小沢が「それに乗じて一つのチャンスをつかんだ」のはたしかだが、しかし、「守旧派と改革派の対決とか、言葉の戦術をうまく弄んで」権力だけを獲りにいったという中曽根の認識は浅薄というよりも間違っていると思う。
1969年の初当選以来、小沢が主張し続けたのは「個人の自立」「国民主権・政治主導」「中央と地方の役割分担=地方主権」「二つの勢力が政権交代する真の政党政治」であり、底辺を流れる哲学は「自立した個人が構成する国家」と「共生」だった。それを実現するための大きな第一歩が小選挙区制の導入と細川非自民党政権の誕生である。無責任政治と自民党型利権政治の根っこはこの瞬間に断たれたと言っても過言ではない。当時、小沢の盟友、羽田孜は私に「小選挙区制だけでは地元の利益誘導のみを考える小粒な国会議員になってしまう。次の目標は徹底的な地方分権だ」と熱っぽく語った。「小選挙区制と地方分権」を同時・併行的に構想していた小沢のスケールの大きさは驚異的である。既存の利権構造が崩壊することに危機感を抱いたのは自民党だけではない。一部の財界人、官僚、マスコミ、評論家、御用学者もそうだ。2009年3月、アメリカの週刊誌「TIME」は小沢を、独立自尊の「扱いにくいパートナー」と評したが、日本を「将棋の駒」の一つとして世界戦略(=誤解を恐れずに言えば世界制覇を目指す『新アメリカ帝国主義』)を構築し、推進してきたアメリカも、日本が小沢によって「自立した国家」に「突然変異」することに脅威を抱いた。「宗主国と属国の関係」(カレル・V・ウォルフレン)の日本が「対等の同盟国」になることは、民主・共和党の別なく、夢想したくもない悪夢なのだ。
細川・羽田の非自民党政権は、社会党、さきがけの「歴史の歯車を逆転させる時代認識を欠いた裏切り」で崩壊した。しかし、歴史の歯車は逆転しなかった。険しい山道を一歩一歩、登ってきた。改革のマグマが噴きあげたのが2009年8月30日の政権交代だ。既成勢力は震え上がり、アメリカは鳩山政権に圧力をかけた。
歴史に学ぼう。17年前、非自民党政権崩壊を策したのは「さきがけの武村正義」だった。今、改革をそっちのけで「眦(まなじり)を決して、小沢粛清」の血刀を振るっているのが「さきがけ出身の菅総理」で、それを操っているのが内ゲバを得意とする「全共闘出身」の梟雄「社会党の仙谷」だ。マスコミは「政治の混迷」「民主党内紛」の原因は全て小沢にある、と扇動しているが、それは陰湿なデマゴギーである。マスコミなど守旧勢力が小沢を倒すために、「改革勢力の中に反革命分子を作った」ことこそが政治の混迷の最大唯一の原因・元凶なのだ。国民は、日本は民主主義の衣をまとっているが、実体は「世論ファシズム国家」であることを、直感的に理解している。誤った歴史を繰り返してはならない。
■小選挙区では党首の指導力、責任感が全てだ
1979年5月、私は「政権奪取を目指す保守党が歴史的な勝利を収めたイギリの総選挙」を視察した。保守党を支援する大会で万余の支持者を前にしたサッチャーの演説は具体的で、説得力のあるものだったが、それ以上に物凄かったのは、そのド迫力だった。イギリスの再生と保守党勝利の責任を全身で受け止めたサッチャーは吠えた。「七つの海を支配したイギリスの栄光を取り戻そう」と。影の内閣の閣僚たちも「保守党勝利で、サッチャーを首相にしよう」と訴えた。熱気と拍手、どよめきで、会場の鉄傘が揺れた。サッチャーの政策には批判も多いが、国民生活を左右し、選挙の勝敗に責任をもつのは、党首の指導力、実行力、責任感であることをイギリスの選挙は如実に示していた。責任の所在が不明確で、ツケを国民に押し付ける日本とは大違いだ。
党首が公約をないがしろにすれば選挙は負ける。小選挙区では党首といえども落選する。カナダでは与党が全滅した。菅総理も落選の可能性はあるのだ。民主党にその危機感があるのか。
■「法の支配」か「世論の支配」か
「法の支配」とは「専断的な国家権力の支配、すなわち、人の支配を排し、全ての統治権力を法(=憲法)で拘束すること」であり、民主主義社会にとって不可欠な、重要な基盤である。
年末の28日、小沢一郎が三権分立や基本的人権の尊重という憲法上の原理原則《注:法の支配》を棚上げしても「国会の審議が円滑に進められるのであれば、通常国会冒頭に政倫審に出席する」と発言した。これは、国会審議の最大の障害物であるだけでなく、菅という操り人形を使って政権交代の理念「国民の生活が第一」を投げ捨てようとする仙谷官房長官の更迭を要求した剛速球でもある。度胆を抜かれたのはマスコミで、例によって、予想通り一斉に反発し、反攻を開始した。菅も憲法や法の支配に言及することなく、「小沢切り」で内閣支持率を上げることだけを考え「世論が説明を要求しているのだから、無条件で政倫審に出席すべきだ」と拒否した。
小沢が投じた剛速球は、本人が意識していたかどうかは分からないが、マスコミや菅の、「世論」は絶対であり、憲法の精神を無視しても「世論」に従うべきであるという「世論の支配」は「法の支配」を否定する反民主的な考えであることを白日の下に曝け出したのである。
小沢の政治資金について、NHKの2010年2月の世論調査では「『国民』に説明責任を果たしていると思うか、どうか」と質問したが、3月以降の調査では「国民」ではなく「『国会』の場で説明する必要があるか、どうか」と巧妙に説問を変えた。小沢は東京地検から事情聴取された1月23日夜の記者会見で300人を超す報道陣に丁寧に説明し、その後も毎週月曜日の定例記者会見で全ての質問に答えた。彼は国民の知る権利に応え、国民への説明責任を果たしていたのだ。報道しなかったのはNHKだ。NHKは、自らが果たさなければならない説明責任を放棄したのだ。そのことに忸怩たる思いがあってか「国民に説明責任云々」とは質問できず、「国会の場で説明云々」と説問を変えたのだろう。マスコミの調査も4月以降、「国民」を「国会」に変えた。マスコミは不承不承、小沢が「国民に説明責任を果たしている」ことを認めざるを得なかったのである。にもかかわらず、彼らは自分たちの不始末を全く公表しなかったし、そのことで、あらぬ誤解をされた小沢に一片の謝罪もしなかった。それどころか、国民が気付いていないことをいいことに、またぞろ、「国民」の名において小沢攻撃をヒート・アップさせている。そんな意図的で陰湿な「世論」を金科玉条として「党首の命令、党の決定に従わなければ離党だ」とわめきたてる菅やマスコミの脳みそはどうなっているのだろう? 民主主義の否定である。
■質実剛健で気品に満ちた国を作ろう
ワシントンで批准書交換を済ませた新見豊前守正興を正使とする日本最初の遣米使節は、1860年6月16日、ニューヨークのユニオン公園での閲兵式に臨んだ。数万の群衆に交じって一行の行列を見たホイットマンは、未開の野蛮国から来た日本人の、礼儀正しく、気品に満ち、毅然とした姿に感嘆して、詩『ブロードウェーの行列』を書いた。
《西方の海を越えて、こちらへ、日本から渡来した、謙譲にして、色浅黒く、
腰に両刀を手挟んだ使節たちは、頭あらわに、落ち着き払って、
無蓋の四輪馬車のなかに反り返り、今日この日、マンハッタンの大路を乗りゆく。
(略)
「創造の女性」がやって来たのである。
言語の巣窟、詩歌を伝えた人びと、古往の民族、
血色鮮やかに、考え深そうな、瞑想に耽り、情熱ゆたかに、
香気馥郁、寛袍ひらひらする衣装を着なして、
陽やけの相貌、白熱せる魂と炯炯たる眼光の持ち主、
波羅門の民族がやって来たのである。》
(略)
1860年といえば、大老・井伊直弼が桜田門外で水戸浪士に暗殺された年である。徳川幕府崩壊の直前で、世情騒然として、混迷の極致にあった。そんなことを、?気(おくび)にも出さず、日本の名誉、徳川政権の名誉のために堂々と行進した新見遣米使節団の精神の格調の高さは見事と言うほかはない。あえていうが、彼らだけが特別に洗練されていたわけではない。当時、来日した外国人も見聞録に記しているが、普通の日本人の姿でもあった。われわれの先祖は、たとえ貧しくても、礼儀正しく、思いやりがあり、気品に満ちた風格を作り上げていたのである。「未開の野蛮人」どころか、世界有数の文化人であり、文化国家だった。・・
ひるがえって、尖閣諸島問題の責任を一検察官に押し付け、地方選の連戦連敗は小沢の責任だと言い、あまつさえ、政権交代の大功労者を追放しようとする菅総理は常軌を逸している。また、言葉尻を捉えるだけで、骨太の政権構想もなく、大局観に立って政治を正す能力も気概もない野党も同罪である。これでは世界の物笑いだ。
民度を超える政治家はいないという。であるならば、志のある自立した個人が立ち上がり、民度を高めるしかない。2011年はそうした新しい一年にしたい。私の初夢である。
http://www.the-journal.jp/contents/futami/2011/01/post_32.html
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