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2010年12月31日
今日は2010年の日本政治の総括と11年の展望などを書いてみようかと思っていたのだが、なにやら気に障る報道があったので、その件を検証する。
岡田や菅が28日の小沢一郎の政倫審出席表明の声明文及び会見中の質疑を通した一連の言葉や文章をもって「条件付き」は認めないといきり立ったのが事の発端。
筆者としても“どうだったろう?”と確認の意味で、声明文と会見時のビデオをじっくりと検証してみたが、小沢は出席の為の「条件」は付けていない。
己の潜在意識に疑心暗鬼を抱えた、多くの腐れマスメディア諸君や菅民主党の連中には、小沢が例示的に表現した「例え」に過激に反応したに過ぎない事実は明白だ。 小沢一郎の政倫審への出席は「己の身の潔白証明」に意味はない。政治家としての「説明責任」をする段階は過ぎた。しかし、菅政権の国会運営に役立つのであれば、趣旨は違うだろうが「政治的判断」で出席する、と云うものだった。
つまり、菅政権の予算成立の為、国会常会がスムーズになるようなら、身を賭して協力したい、と述べたのである。読み書き見聞きが正常な範囲の人々なら、そのようにしか受け取れない。まぁ菅直人と岡田への厭味くらいはあっただろう(笑)「挙党一致」を何度となく口にしている。
たしかに、小沢が国会運営をスムーズに動かす為の犠牲なのだから、政倫審開催の時期に関し、政治的局面打開に「俺を利用してくれ」と岡田と菅に「エール」と「アドバイス」を送ったのだから、当然「例えば」「或いは」と云う形容詞を枕に「例示して教えてやる」先輩としての気持や老婆心は覗える。
おそらく、この国会運営の為の政治的判断だと云う部分を強調する為に、例示もその趣旨にベストマッチする例示が使われたに過ぎない。 まぁ政治家としての「手順を踏む」一種なのだが、小沢一郎は流石だ、ドジは踏んでいない。その点は見事である。
ただ、その一連の言動を「濁った眼」を持つ、腐れマスメディア連中と菅民主党が、メッセージを間違って受けとめただけの事である。それに、常識的に考えても「政倫審」は国会が開かれてから行われると思うのが当然だろう。だから、例示もそのようになったに過ぎない。
つまり、そもそもマスメディアや論説員や岡田・菅が誤解や歪曲又は意図的に言葉尻を捉え、小沢一郎のメッセージを受け取ってしまっただけのことであり、社説まで書いた馬鹿たちが居る。(笑)おそらく、朝日・読売・毎日は、共同・産経・時事のように、能天気に「小沢氏、条件は付けていないと軌道修正」のような記事を書けなかった、と云う事だろう。 報道と云うものが、このような経緯で本当の趣旨とか発言が、少しずつ拡大され又矮小化されて伝わる典型のような現象を目の当たりにする。
推測だが、小沢は自らの会見と声明文の内容を、ただちに勘違いして受け取られ、「条件付き」が主人公のように動きだした事に危惧を感じたのだろう。特に民主党新人議員に親父のような配慮をしてきた関係上、正月に地元に帰り支持者との懇談で、独り歩きしている「条件付き」で悩まされる議員の立場を慮った発言をしたのだろう。ただそれだけのことである。
「条件付き」と勘違いか、歪曲したマスメディアは、素直にこの事実を報道出来ない事情と、もう一つ大きな事情がある。
それが、小沢一郎が民主党新人議員の「条件付き」で地元で苦境に立たせない為の配慮を報道する事が、小沢一郎の意図に乗る事になるからだ。小沢が得をする情報など出したくない。そう云う短絡的心情も働いているのだろう。いやはや、日本のマスメディアは「腐れ」どころか「溶解」に近いものになっている。
晦日になっても、批判のコラムを書かなければならない虚しさはあるが、批判すべきものが存在する以上、これも哀しき現実である。本来であれば、来年こそ「いい年に」、と締め括りたいものだが、当分そのような晦日が来る予兆はない。
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