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ソフトバンク創業者の孫正義社長が、「これまでの僕の人生の中で最も大切なスピーチ」完全収録を銘打った「ソフトバンク新30年ビジョン」(ソフトバンク新30年ビジョン制作委員会編、ソフトバンククリエーティブ刊)なかで、面白いことを言っている。
「織田信長が領土をどのように拡大していったかを、グラフ化してみたんです。すると、ある時期を境に急成長していることがわかった。その時期を、信長の行動を記した年表と照らし合わせると、『天下布武』という印鑑を使い始めた時期と、ちょうど重なっていたのです」「『天下布武』の意味について諸説あるが、『天下を統一する』という信長の志を、はっきりと形で示したものというのが一般的な解釈だ。
孫はこの事実に『信長は「天下布武」というビジョンを目に見える形で掲げてから急成長した。やはり明確なビジョンを掲げることは大切なのだ』と、興奮したという」
徳川家康は、「厭離穢土欣求浄土」の言葉を馬印に用いた。松平元康を名乗っていた19歳のとき、桶狭間の戦いで今川義元討死の後、菩提寺である三河国大樹寺へと逃げ隠れ、前途を悲観し、松平家の墓前で自害を試みる。
だが、13代住職の登誉が「厭離穢土欣求浄土」、すなわち「戦国の世は、誰もが自己の欲望のために戦いをしているから、国土が穢れきっている。その穢土を厭い離れ、永遠に平和な浄土をねがい求めるならば、必ず仏の加護を得て事を成す」と説いた。これを聞いて元康は、切腹を思いとどまり、天下統一への新たな志を抱くことができたという。
明治維新政府は、「富国強兵」を基本政策として掲げて欧米列強の仲間入りを目指して、驀進した。元は、中国・春秋戦国時代に諸侯の国が行った政策を「富国強兵」といい、『戦国策』秦策に用例が見える。大東亜戦争時には、「五族協和」「鬼畜米英」を掲げたものの敗北。戦後は、池田勇人首相が掲げた「所得倍増」を目標に、経済の高度成長に邁進し、経済大国を実現した。
その後は、全国民を総動員する力強い「キャッチフレーズ」は、生まれなかった。中曽根康弘首相が「都市再開発」を掲げてバブル経済を演出した程度であった。近年では、小泉純一郎首相が、「郵政改革」を掲げたが、国論を二分してしまった。現民主党政権は、「官から政」「コンクリートから人へ」を掲げているが、菅直人首相は、「志」を未だ何も示していない。「政権にしがみつく」ことのみに恋々として、政権延命に汲々として、国民を塗炭の苦しみを味わわせ続けている。日本史上、最低最悪の首相と言わざるを得ない。
国家としての志、ビジョンは、本来「国家戦略室(局)」が立案すべきものである。国策を「キャッチフレーズ」にまとめるのは、口で言うほどたやすくはない。だが、「国家戦略室(局)」は、法的根拠も得ず、菅直人、仙谷由人、玄葉光一郎の歴代担当相は、いずれも志を得ずして、国家目標を掲げられないできた。これがために、国民の多くが、閉塞感を抱き、日本の行く末を憂慮して憂鬱な日々を送っている。
この結果、日本はここ13年、毎年30000人を越える自殺者を出し続けている。なぜ「30000人以上」なのかは、不明である。個人ではなく、孤人が増えている。独居家庭である。朝日新聞が12月26日付け朝刊の1面トップ記事「孤族の国の私たち 第1部男たち」−{55歳、軽乗用車での最期」から、2面「個から孤 加速」−「家族に頼れる時代の終わり」、3面「街のアパートで一人また一人」−「気づかないもんだね」と大特集である。
この特集記事を待つまでもなく、日本社会は、「無縁社会現象」がますます深化しており、文字通り、「民族、国家、体制」という3要素が、液状化してきているのである。こうした状況を食い止めるのが、政権、政治家の役目であり、務めである。菅首相は、過去の政権の責任にしているけれど、それは感違いである。
過去の政権が何をして、失敗したから今の政権に責任転化したいかも知れないが、それらの失敗を克服しようと国民に約束するからこそ、政権を国民に託されたはずである。だから、泣き言など言っていたのでは、政権担当能力はない。最大不幸社会に陥れており、直ぐに下野すべきである。
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