http://www.asyura2.com/10/senkyo103/msg/198.html
Tweet |
元検察官、三井環さんが語る「リーク」の実態
検察の裏金が暴かれる日は来るのか
2010.12.27(Mon) 烏賀陽 弘道
前回まで、新聞社をはじめとする記者クラブ系報道と検察の関係について書いた。その延長線として、元検察官の三井環さんに話を聞いた時のことを書く。
三井さんはずっと会ってみたい人の1人だった。
2002年4月、大阪高検の公安部長だった三井さんは、検察の「裏金」(調査活動費の不正流用)をテレビ番組で告発しようとして、何とインタビュー収録当日の朝に逮捕されてしまった。
三井さんをそのあと待っていたのは「犯罪者」としての過酷な人生だった。
最高裁まで争ったあげくに懲役1年8カ月の実刑判決を受けた。2008年10月に刑務所に放り込まれ、仮釈放も認められず(全体の2%しかいない)、満期を服役してやっと出てきたのが今年の1月だ。
■三井さんにどうしても聞きたかったこと
出所以来、三井さんに1対1で話を聞こうと機会を待っていた。出所直後は新聞や雑誌のインタビューで多忙を極めておられるだろうからと、時期を待った。公開の講演会を聞きに行き、立ち話をしたりして、感触を確かめていた。実は、三井さんという人物がどういう人なのかよく分からなかったので、慎重に構えたのだ。
逮捕の時、新聞報道は「悪徳検事・三井」一色だった。暴力団幹部周辺からマンションを買ってどうたらこうたら、女をあてがわれて接待を受けたなんたらかんたら(この件は無罪だった)と、とんでもない話ばかり逮捕容疑として並んでいた。ヤクザみたいな検事だったら困るなと思っていた。
ところが、何度か会ってみると、三井さんは純朴というか素朴というか、無邪気なくらい開けっぴろげな、人のいいオジさんだった。
私も過去に検察庁を担当して何人かの検事、元検事さんとつきあいがある。三井さんは、その中で「突飛」とか「異常」とかという印象はない。ただ、開けっぴろげすぎて、検察幹部の威光を利用しようとする悪い連中も寄ってくるだろうということは容易に想像できた。そういう人たちをうまく制御できなかったのかもしれない。
三井事件を取材していた記者仲間に聞くと「三井さんは内部告発するには脇が甘すぎる」と本音を言う。
まあ、検事は犯罪を捜査するのも職業のうちだから、そういうアウトロー人脈がまったくないのも不自然だ。検察に逆襲されるようなネタはあったのだろう(私にだってアンダーグラウンドな人たちとの「交際」はある)。
報道やマスメディアの問題に関心のある私にとって、三井さんにどうしても聞きたかったのは「検事時代には自分もマスコミを利用して、捜査に有利な風を吹かせた」と証言している点だ。それもただの元「検事」ではなく、次席や部長まで務めた、れっきとした元「検察幹部」がそう言っているのだ。
私もかつて新聞社勤務時代に、検事さんからネタ(みたいなもの)を聞いて喜んで書いた。でも、あれは「捜査への追い風」を作り出すための「誘導」だったのか。
こんなこと、検察の側がタネ明かしするなんて、かつては考えられないことだった。「検察庁の壁の向こう側」がどんな考えで報道に接してきたのか。長年報道にかかわる1人として、どうしても聞かなければならないのだ。
■特捜部長が作ったストーリーは変えられない
三井さんの東京の事務所を訪ねたのは、12月1日だった。東京・上野の1つ隣の駅を降りてすぐ。仏壇仏具屋の並ぶ中、質素なビルの2階に三井さんは事務所を構えている。大きなエグゼクティブデスクの前に黒い革張りの応接セットがあって、冬の光が差し込む中、三井さんが座っていた。
無職なのになぜこんな立派な事務所を持てるのだろう。不思議に思って訊ねてみた。支援者が自分の会社の一室を提供してくれているのだそうだ。インターネット音痴の三井さんの代わりにメールをやりとりする女性アシスタントもちゃんといた。
私が挨拶すると、三井さんは名刺をくれた。以前に講演会で名刺を交換しているのだが、記者の来訪が多すぎて覚えていられないらしい。村木厚子厚生労働省局長冤罪事件、大阪地検の証拠改竄事件と検察の権威が失墜して、三井さんにも取材が殺到している。4日後の12月5日には、三井さんの呼びかけによって日比谷野外音楽堂で検察への抗議集会が開かれ、霞が関や銀座をデモ行進する予定だった。こちらも取材に行った。右翼から労働組合まで、約2500人が日比谷野音を埋めていて、びっくりした。
──三井さんが逮捕された頃と比べて、状況は変わりましたか。
「あれから8年経って、みんなだんだん分かってきたみたいだね。だから、みんな怒ってデモをせざるを得ないんですよ。(検察の裏金は)当時で検事が30〜40人、今はおそらくもっと増えて70人は逮捕されてしまうような話だから。そういうふうに検察が重病であることが村木事件で分かってきた。今なら三井を逮捕できないだろうね」
──裏金以外の「重病」とは何ですか。
「捜査が政治に利用されること。隠蔽体質であること。『被告に有利な証拠は出さない』ことは今までもあった。証拠改竄は・・・なかったかもしれんなあ、あったかもしれん(笑)」
──捜査の始めにストーリーを作るのは、よくあるのですか。
「まず特捜部長がストーリーを作るんだ。それで検事総長まで決裁を取る。次に、幹部を集めて『事前協議』という会議を開く。そこで『事前協議資料』という証拠から記載した、実に詳細な資料を作る。いつもそれくらい緻密に(ストーリー作りを)やってるんだ。村木事件なら『石井一議員が頂点』という前提の資料を作るんだね。それが『ストーリー』だよ」
──なぜ、それが硬直化するのですか。
「トップの決裁まで取っているから、途中で変更ができないんだ。今回も、捜査途中で石井一議員のアリバイがはっきりして、事件は『議員案件』じゃなくなった。なのに、石井議員が絡んでいるという前提で冒頭陳述に突き進んだでしょう?」
──検察官は1人で独立の官庁のはずなのに、おかしくないですか。
「おかしな話に聞こえるかもしれないが、これは『検察一体の法則』なんだ。『1人独立官庁』は形骸化してるね。無罪になったら、主任検事は責任を取らされる。だが、処分する側のトップも『その筋書きでいい』と決裁しているのだから、処分しないとおかしいよ」
■マスコミは「ふくらまし」と憶測で記事を書いてくれる
2010年10月に証拠改竄事件で逮捕された大阪地検特捜部の大坪弘道・前部長は、三井さんが逮捕された時に相手の暴力団幹部を取り調べた。同じく証拠改竄事件で逮捕された佐賀元明・前副部長は、三井さんが高松地検の次席検事(ナンバー2)だった時に、部下として働いていたそうだ。
三井さんは検察庁を懲戒免職になり、法曹資格も剥奪されたから、弁護士にもなれない。「公民権停止」で選挙権も被選挙権もあと数年停止される。他の検察OB弁護士と違って、特捜事件の被告弁護など「古巣」に世話になるつもりがない。だから、他のOBなら「沈黙の掟」になっている話でも、遠慮会釈なく証言してしまう。
もちろん反対に、自分を「犯罪者」にした検察に対する遺恨は相当なものだろう。検察に不利な話は誇張してでも話すだろう。悪いことではなく、虐げられた人間としてそれは自然なことだ。その点は「割引」して話を聞く必要がある。
とはいえ、聞いた瞬間に首肯できる話もある。他ならぬ、報道と検察の関係だ。なぜなら、私は「取材する側」にいたからだ。
──なぜ検察の裏金報道に新聞は腰が引けていると思いますか。
「裏金問題(の報道を)やりたがっている若い記者は実にたくさんいるんだ。ところが、デスクや部長の段階でつぶされちゃう。年に6億円の規模の裏金があって、その多くがゴルフや麻雀に使われるんだよ。毎月10万円使っていた検事正だっていたのにね」
──私もかつて新人新聞記者として検察庁を担当していました。検事さんは警察官より口が堅くて、あまり記事になるようなネタはもらえなかった。でも、もらえたら無条件に信じて記事にしたような記憶があります。
「リークのこと? ぼくは『風を吹かせる』って呼んでいた」
──捜査の追い風のことですね。
「こっちが話を作る必要もないんだ。ちょっと話をリークすると、60%はホント、後の40%はふくらましや憶測で記事を書いてくれる。1社だけにリークして特ダネで書かせると、他社が追いかける。そうやってだんだんと話が大きくなる」
──世論の追い風が必要なのですね。
「そうやって記事が出ると、もうどんどんクロというか、有罪のような認識が広まるでしょ。被疑者じゃない関係者の協力を得る時でも、そうやって周りが騒いでいると、抵抗しにくいというか、そっちの流れになっていくんです」
私はため息をついた。三井さんの著書『検察との闘い』(創出版)には、高松地検次席時代に、1日1時間と決めて記者を呼び込み、5〜10分ほどリークをしたことが記されている。検察の狙いと違う供述をする人を、そうやって追いつめていくのだ。
■三井さんは「記者クラブ系報道の敵」だった
三井さんのその他の著書にも、こうした報道を操縦して捜査に有利な環境をつくっていく過程が仔細に書かれている。
読む端から、私は暗い気持ちになった。若い記者時代、「検察から情報が取れるようになったら事件記者として凄腕」などと上司や先輩から教育を受けていたからだ。
それは、朝日新聞だけではなく読売、毎日など、どの社でも同じであることは、検察の捜査情報が1面や社会面のトップになる特ダネとして扱われていることを見て、すぐに分かった。
記者たちが日夜睡眠時間や家族との幸福な時間を犠牲にしてまで追い求める「検察情報の特ダネ」は、実は捜査を有利に進めるための情報操作でしかなかった、ということを、向こう側にいた三井さんの話は物語っている。政府が必死で隠してきた「核兵器持ち込み密約」が、米国側の情報公開で証明されてしまった話に似ている。
1989年、私がリクルート事件取材班にいたとき、当時の竹下首相事務所がリクルート社から5000万円の借金をしていることをすっぱ抜いた先輩記者がいた。この報道が引き金になって、竹下内閣は総辞職してしまった。特ダネで内閣が倒れてしまったのだ。朝日新聞のリクルート事件報道の最後を飾る大手柄として、この逸話は単行本『ドキュメント リクルート報道』(朝日新聞社会部)の巻頭を飾っている。この先輩記者も検察担当だった。
この先輩記者に限らず「彼は検察に強い」と言われた記者も、何のことはない、こういう情報誘導に踊らされていただけかもしれないのだ。かつて特ダネ記者として名前を轟かせ、自分も憧れていた先輩たちの顔を思い浮かべ、私は暗澹たる気持ちになった。
そう考えると、記者クラブ系大手マスコミが三井さんの裏金告発をほぼ完全に無視し続けてきた理由が分かった。
三井さんは、「検察は捜査を有利に進めるために報道を利用してきた。報道は無批判に服従してきた」とはっきり言っているのだ。こういうことを言う人の正当性を報道が肯定するわけにはいかないだろう。彼を逮捕した検察の筋書きに従って、おとしめる、あるいは無視するしかあるまい。
三井さんが「重要取材先である検察の敵視する人物」だから無視するのではない。三井さんは「記者クラブ系報道の敵」でもあるのだ。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5115
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK103掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。