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田中良紹の「国会探検」
2010年12月25日
トカゲの何とか切り
最高検察庁は24日に郵便不正事件を巡る検証結果を公表し、27日付で大林宏検事総長が引責辞任する事になった。公表された検証結果を見ると謎は深まるばかりである。トカゲの何とか切りの印象がさらに深まった。
検察官は一人一人が起訴したり公判を維持する権限を持っている。であるが故に検察官は「検察官一体の原則」と言って、検事総長を頂点とする指揮命令系統で統一される。それぞれ勝手な判断をする事は許されない。従って逮捕、起訴などの判断は組織が一体となって行う。
特に政治家が絡む事件では検察は慎重な判断を求められる。民主主義社会に於いて国民の代表である政治家は特別の存在である。政治家を殺すも生かすも判断は国民に委ねられる。検察の捜査で政治が混乱すれば国家の安定が損なわれ国民生活に支障が出る。民主国家の検察が守るべきは国家と国民生活の安定である。従って政治家に関わる事件は必ず検事総長を頂点とする検察組織が一体となって判断し、特に国民にとって最も重要な選挙前の捜査は慎重の上にも慎重さが求められる。
大阪地検が郵便不正事件の捜査に着手したのは2009年2月である。衆議院議員の任期が9月で切れる事から否応なく総選挙が行われる直前であった。郵便不正事件の捜査は民主党副代表の石井一参議院議員がターゲットである。選挙の直前に政治家をターゲットに捜査を行う事をこれまでの検察はしていない。しかしそれを当時の検事総長を頂点とする検察が一体となって行った。
この時、東京地検も政治家をターゲットに捜査を始めていた。西松建設事件である。3月に小沢一郎民主党代表の秘書が突然逮捕された。通常ならば任意で事情聴取を行い、逮捕が必要かどうかは最高幹部会議で判断する。また逮捕する前に悪いイメージをマスコミにリークして世論誘導を行うのも常套手段である。ところが西松建設事件でそうした事はなかった。
最高幹部会議も開かずに逮捕に踏み切ったのは「検察官一体の原則」に反して逮捕した事になる。そこからこの事件は上司の命令を聞かない若手検事の「クーデター」と言われた。しかし私はそうした見方に組みしない。「検察官一体の原則」は貫かれていた筈で、もしもの時の責任逃れでそう言う情報を流したと見ていた。かつて見た事も聞いた事もない異常な捜査手法を東京地検が取った理由は他にある。
それは「恫喝」である。突然の逮捕で小沢氏を恐怖させ、取引をするための「恫喝」である。突然の逮捕は「代表を辞めれば秘書は起訴しないし、これ以上はやらない」というサインに私には見えた。そうだとすれば検察はまともな捜査をしようとしていない。極めて政治的な裏のある捜査なのである。検察の裏にそれをやらせた「見えない権力」がいる。
政権交代が確実な情勢で民主党政権が誕生するのを押さえる事は出来ない。しかし小沢氏の力を消滅させないと困った事になると考える勢力がこれを仕掛けている。そう思ってみていると検察OBから捜査に対する強い批判が出てきた。まともな捜査をしていないのだから当然である。そして民主党内部からは「代表を辞任すべし」の声が上がった。これは民主党内部に「見えない権力」と通ずる者がいることを示している。
小沢氏は検察と争う姿勢を見せた。つまり「恫喝」には屈しないと回答した。そのため東京地検は小沢氏の秘書を起訴せざるを得なくなった。「恫喝」の逮捕だから裁判で有罪にする見通しのないまま起訴する羽目になった。政治家の秘書を異常な方法で逮捕し、裁判で無罪になれば検察は取り返しのつかない打撃を受ける。追い込まれたのは検察である。
その時点から検察は慌ててゼネコン関係者の一斉聴取を始めた。小沢氏の旧悪を暴こうとしたのである。そしてゼネコンから裏金が流れたというリークが始まった。初めにリークして悪い印象を国民に与え、それから強制捜査に入るのが通常のやり方だが、これでは順序が逆さまである。私には泥縄式の捜査に思えた。
検察に起訴をさせた後で小沢氏は代表を辞任した。検察とその裏にいる「見えない権力」の「恫喝」に肩すかしを食わせ、裁判で決着をつける道を選んだ。すると直後に司法改革の一環として検察審査会法が改正され、検察審査会が強制起訴出来る事になった。検察が起訴に持ち込めなくとも素人を動員して強制起訴に持ち込む事を可能にしたのである。実際にその後の展開で検察は小沢氏を不起訴としたが、検察審査会によって強制起訴される事になった。
小沢氏の話を長々と書いたのは、検察組織の問題を考えるならば郵便不正事件と同時に進行していたもう一つの事件と複眼で見る必要があると考えるからだ。郵便不正事件で大阪地検の捜査は肝心の石井一参議院議員にたどり着くどころではなく、その手前で検察の描いたストーリーが破綻し、裁判で村木厚子氏は無罪になった。裁判が確定したためそこだけに目が注がれているが、二つの事件とも当時の検事総長を頂点とする検察の組織が一体として指揮した事件である。複眼で見る必要があるのである。
最高検の検証報告では大阪地検の大坪前特捜部長が就任してから組織がおかしくなったような内容になっている。そして東京地検にも名古屋地検にも問題はなく、大阪地検だけの問題であるかのような内容である。大阪地検特捜部を潰し、検事総長の首を差し出すことで生き残りを計ろうとする意図が見えてくる。しかし一連の捜査を指揮した樋渡利秋前検事総長の責任を問う事もなく、大林宏検事総長が辞任して幕引きを計るのであれば、トカゲのアタマとシッポ切りにもならない。
江副浩正氏の「リクルート事件・江副浩正の真実」を読むと、当時の宗像主任検事が吉永検事総長の指示に基づいて「でっち上げ」の供述を強制している様子が詳細に描かれている。まさに「検察官一体の原則」を実感させてくれる。その頃とは違って現在の検察には「検察官一体の原則」もないというのであれば、トカゲは全身が腐っている。部分を切除するだけでは再生できない事になる。
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2010/12/post_242.html
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